【経歴】
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1957年1月3日、東京都北区に生まれる。 1975年3月、私立巣鴨高等学校普通科を卒業。 1976年3月、服部栄養専門学校調律科卒業。 1976年4月、株式会社伊藤商店入社(割烹料理新宿車屋別館調理場勤務)。 1978年2月、株式会社伊藤商店退職(魚新設立の為円満退職)。 1978年3月、株式会社魚新入社(設立)。板前4人で創業し魚屋の一部を借りて高級仕出し弁当からスタートする(2008年ミシュラン一つ星(赤坂本店))。 1979年3月、人形町濱田家(魚新からの出向)(2008年、2009年ミシュラン連続三つ星)。 1980年1月、天ぷら魚新六本木勤務。新規開店のため濱田家より戻る。の本料理の天ぷらの経験はあるのだが、江戸前の天ぷらの経験がないため当時「天一」の一番人気の職人を独立させることを前提で店長として一年間招聘し技術を学ぶ。その後、独立をした天冨良よこ田は2008年ミシュラン一つ星。 1981年3月、天ぷら魚新店長就任。 1985年1月、株式会社魚新を円満退職。マネージメントを勉強する為にわがままを言っての退職。 1985年2月、ジャスコゼネラルミルズレストラン株式会社入社。レッドロブスター宮前店にて研修スタート。 1985年5月、レッドロブスター関町店勤務。店長として配属。研修終了後初の抜擢人事。 1987年4月、レッドロブスター関町店勤務。店長として配属、セールスコンクールで世界一(当時アメリカ約600店、カナダ約200店、日本25店)の販売数を記録し表彰される。 1987年10月、レッドロブスター川口店勤務。埼玉県一号店としてオープン店長として配属。128席と小型店ながら国内売上記録を樹立、また3ヶ月平日売上100万円を下回らない売上継続記録も記録(レッドロブスターUSから社長が視察に来る。最優秀店長として表彰されオーランド本社へ2週間の視察に行く。)。 1988年9月、レッドロブスター本部、スーパーバイザー就任。地区人事異動を繰り返しながら、最終北関東13店舗を統括、年間売上50億円を達成する。 1922年12月、博多らぁめん赤のれん(アルバイト勤務)。感動した味に惚れ込み弟子入りを懇願するも簡単に断られる。三度目の懇願でやっと許され12月4日より洗い場専門のアルバイトとして勤務スタート。 1993年3月、有限会社赤のれん社員として採用」、今までの経験が認められ同時に営業部長に就任。他店舗展開の夢に向かい新会社設立のための準備を開始。赤のれんの『味』、本間の『運営力』、そして後は『資金力』と考え、見合う企業に企画を持ち込む。 1994年2月、株式会社福のれん設立。取締役就任。有限会社赤のれん50%、大東通商株式会社50%の比率で6,000万円を出資してもらい、実務創業者として一任される。当時創業家以外ではグループ最年少役員になる。その他の役員は全員非常勤(大東通商はマルハの筆頭株主。マルハは大東グループ、林兼グループ、マルハグループがある。) 2001年1月、株式会社鼓福へ社名変更。 2002年11月、株式会社鼓福の常務取締役就任。 2005年8月、福のれんが18店舗まで拡大したタイミングで、マルハレストランシステムズに吸収される。 2005年12月、株式会社鼓福円満退職。 2006年8月、クックピット株式会社設立。インディペンデントコントラクター、いわゆる独立請負人として飲食コンサルタント、偽装無しの無添加本物のラーメンスープ(ストレートスープ)の販売、ラーメン店の経営、現在に至る。 2018年5月、書籍「ラーメンスープで世界を救う」を出版する。
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