『三国志演義』における華佗とは? わかりやすく解説

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『三国志演義』における華佗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 02:43 UTC 版)

華佗」の記事における「『三国志演義』における華佗」の解説

小説『三国志演義』では第15回から登場する董襲提案虞翻仲立ちにより孫策元に現れ宣城にて孫権救い出すため重傷負った周泰治療したり、斬殺した許貢食客襲われ孫策治療したりしている。 また第75回では、曹仁との戦闘毒矢の傷を受けた関羽治療するため、荊州に自らの意思出向き右腕の肘の骨を削ってトリカブトの毒を除いている。この時、関羽治療中には腕を固定した方がよいとの華佗提案断り、酒を飲みながら平然と馬良相手に碁を打っていたと描写されている。華佗関羽強靭さに大い驚き関羽もまた黄金百両の礼を申し出たが、華佗は「私がここに来たのは将軍仁義慕っての事」と告げ、それを断り去っていった。正史の「関羽伝」にも同様の逸話があるものの、治療した医者華佗とは書かれていない。また実際年代から言うと、この事件は既に華佗没した後の、建安24年219年)にあたる。 その後第78回で、神木切った後に頭痛苦しむようになった曹操召し出される。華佗病根脳中にあるため、治療効かない診断し「まず麻肺湯を飲みその後に斧をもって脳を切り開き、風涎を取り出して根を除きます」と治療法告げる。このため曹操華佗対し「お前はわしを殺す気か」と怒るが、華佗関羽が肘の骨を削られても動じなかった事を引合いに出す。しかし曹操は「脳を切り開く治療法など聞いた事がない。お前は関羽親しかったな。治療口実関羽仇討ちをしに来たか」とさらに怒り華佗投獄し拷問にかけた末に殺してしまう。この時、荀彧が既に死んでいたため、命乞いした人物賈詡代えられている。 華佗医書である「青嚢書」 を残し毎日華佗世話をしていた呉という姓の獄吏周囲から「呉押獄」と呼ばれている)に死の直前渡している。しかし獄吏の妻は「たとえ華佗のように医術極めても、結局は獄死するのでは何もならない」といい、夫の身を案じて焼き捨ててしまう。僅かに焼け残った箇所は、豚の去勢術などという有り様になっている華陀の手術については、『三国志』『後漢書』記載がある。彼は腹部開いて患部切除し腹腔洗浄し切開部を縫合し薬草軟膏塗って傷口治癒促したまた、麻沸散よばれる粉末麻酔薬考案し手術前にブドウ酒とともに投与して患者意識を失わせたとある。その処方詳細現代残っていないが、チョウセンアサガオ・アコニット根・シャクナゲ・ジャスミン根を含んでいたと考えられる著書多かった残っていない。中国では近代までにおいて、手術儒教教え反するとされたため、西洋医師により考え導入されるまで行われなかった。

※この「『三国志演義』における華佗」の解説は、「華佗」の解説の一部です。
「『三国志演義』における華佗」を含む「華佗」の記事については、「華佗」の概要を参照ください。

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