『三国志演義』の田豊
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小説『三国志演義』における田豊の事績も、正史および裴松之注の記述に概ね従っており、暗君に仕えて悲劇的な最期を遂げた人物として描かれている。曹操との戦いの際には、史実通り袁紹を諫めて投獄される。果たして田豊が危惧したとおり、袁紹は官渡で曹操に大敗してしまう。袁紹が田豊の諫言を聞き入れなかったことを後悔していると、逢紀が「田豊は獄中で主公の敗北を笑っています」と讒言する。激怒した袁紹は使者に宝剣を持たせ、田豊の処刑を命じる。獄中の田豊は、獄吏から敗戦を告げられ、「(あなたが言ったとおり)袁将軍は大敗して帰ってきますから、必ずあなたは重用されるでしょう」と喜ぶ獄吏に対し、田豊は「袁将軍はうわべは寛大に見えて内実は嫉妬深く、配下の忠誠を大切にしない。勝てば喜んで私を許してくれたかもしれないが、今敗戦してそれを羞じている以上、私は生きることは望めまい」と述べる。果たして袁紹からの使者が来て、田豊を斬首しようとする。自身の運命を悟った田豊は、涙を流して悲しむ獄吏の前で「主君を見抜くこともできずに仕えたことこそ無知というもの。今日死ぬとしても何を惜しむことがあろうか」と言って獄中で自害する。
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