『三国志演義』における袁術
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小説『三国志演義』では、第五回、董卓打倒に立ち上がった諸侯の一人として登場。連合軍の兵糧を担当したが、董卓の猛将華雄の前に先陣の名乗りを挙げた孫堅の功績を妬み兵糧を出し惜しみした結果、当初は優勢であった孫堅が大敗する。次に、部下の兪渉を華雄の相手にさせるが、あっという間に斬られる。さらに華雄を討つ勇者として劉備・関羽が名乗りを上げると、劉備の出自の卑しさを嫌い公然と侮辱する。第十一回、曹操は劉備と英雄論を交わした際、袁術を「墓の中の骨」と評している。 袁紹・劉表との対立の原因は、物資を無心して断られたことの恨みであると脚色されている。第十七回、後に孫策から「伝国の玉璽」を得、これが皇帝僭称の直接的な動機になったとしている。皇帝の号を僭称し、仲氏と建号した。馮方女は皇后になった、息子は太子になった。呂布との戦いでは自ら出陣し大敗し、さらに曹操・呂布・劉備・孫策の連合軍に四方より攻撃を受け、寿春を放棄せざるを得なくなる。最後まで残った猛将の紀霊も張飛に斬られ失い、第二十一回での袁術の死の描写では、雷薄・陳蘭らに略奪を受けついに糧食尽き、最後は蜜水を持ってくるよう料理人に命じたところ「ただ血水があるだけです。蜜水などどこで得られましょう」と言われ、絶望して血を吐いて死んだという描写になっている。
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