『三国志演義』における楊儀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 15:08 UTC 版)
小説『三国志演義』では、諸葛亮が「出師の表」を上奏して北伐を行う場面で、従軍する将の一人として初めて名前が登場する(第91回)。本格的な登場は街亭の戦いからで、王平の使者によって馬謖の失態が諸葛亮に伝わると、楊儀は自身が馬謖と交替することを諸葛亮に申し出ている。しかし間に合わず、楊儀の出発直前に街亭の敗報が伝わり、諸葛亮は全軍撤退を余儀なくされている(第95回)。五丈原で諸葛亮が病没する場面では、臨終の諸葛亮から、魏延が反乱を起こした時の対策として錦の嚢を託されている。さらに全軍退却の際、魏の司馬懿が追撃してきた場合、諸葛亮の木像を隊列の前に押しだしてこれを阻めと告げられている(第104回)。諸葛亮の死後、魏延が反乱し漢中に攻め込んでくると、楊儀は錦の嚢を開いてそこに書かれた指示に従い、魏延に向かって「『わしを殺す勇気がある者はおるか』と三度叫ぶ勇気があるなら、漢中を譲ってやる」と告げる。魏延が一度叫ぶと、その言葉が終わらないうちに、生前の諸葛亮から密命を受け、偽って魏延配下となっていた馬岱が「私はお前を殺す勇気があるぞ」と叫び、魏延を背後から斬り殺している。諸葛亮の霊柩を守って成都に帰還した後、諸葛亮の後継者に選ばれなかったことに不満を持ち、費禕にこのことを劉禅に報告されている。激怒した劉禅が楊儀を処刑しようとするが、蔣琬の取りなしにより死罪を免れ、平民に落とされた上で流罪となるも、楊儀はこれを恥じて自殺することになる(第105回)。
※この「『三国志演義』における楊儀」の解説は、「楊儀」の解説の一部です。
「『三国志演義』における楊儀」を含む「楊儀」の記事については、「楊儀」の概要を参照ください。
- 『三国志演義』における楊儀のページへのリンク