『三国志演義』における劉備とは? わかりやすく解説

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『三国志演義』における劉備

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 01:14 UTC 版)

劉備」の記事における「『三国志演義』における劉備」の解説

詳細は「三国志演義の成立史#劉備」を参照 小説『三国志演義』は、黄巾の乱によって世が乱れる中、劉備関羽、張飛桃園の誓いを結び、義勇兵起こす場面から始まる。 史書伝え劉備が、その武勇人気によって諸勢力重んじられ同時に警戒されたのに比べて、『演義』の中の劉備は、武勇関羽、張飛はじめとする武臣たち、知略諸葛亮などの謀臣預け多様な個性周囲惹き付ける中心として位置している。しかも、若い時は母子草鞋作り行商し、吉川英治小説『三国志』では当時庶民では高級品であったと言われるを母に飲ませるために金を貯めていたという苦労人として描かれている。ここから儒教理想とする君子高潔さ描かれ、これによって奸雄曹操対立軸構成している。 『演義』の中の劉備は「双股剣」と「的盧」を愛用している。「双股剣」は、桃園の誓い義兄弟契り果たしたあと、張世平双から贈られ軍用金一部で鋳させた二本合わせの剣。吉川小説では、「大小の二剣」と表記され呂布との戦いで使用された。また同小説では先祖から伝わる剣を所持しており、旅先黄巾族に襲われているところを救ってくれた張飛対し礼としてこの剣を渡したが、旅先から戻りこれを知った劉備の母がひどく悲しんだとされている。この剣は張飛再会し義兄弟契り交わした際に劉備の手戻った。 『演義』では、呂布追われている時に逃げ込んだ家の主人劉安は、劉備をもてなす食料がなかったので妻を殺害して、オオカミの肉と偽って、その肉を差し出しそうとは知らず感激していた劉備だったが、顛末を知るやひどく悲嘆したという逸話存在する和訳本では削除されるか、価値観違いについて注釈の上紹介されている。また吉川小説ではこの描写前に中国日本の文化違いについて明記している)。『演義』では、蜀を奪ったあと、義兄弟である関羽を魏呉連合軍殺されその後後漢滅ぶ諸葛亮始めとする群臣劉備帝位に就くよう勧めるが、「そなた達は私を不義不忠の輩に仕立てる気か」と激昂する即位後には部下張飛殺して呉に逃亡したことにより怒り狂い義兄弟敵討ち大義名分として呉に向かう。その際黄忠老人扱いしたり、自軍75万という大軍勢な上に呉軍士気が低いのを見て傲慢になっていた。そこを突いた陸遜により大敗し白帝城落ち延び、まもなく後悔の念にさいなまれ病気になる。病の床で見た夢に現れ関羽張飛から「遠くなく兄弟三人がまた集うことになるでしょうと言われ、自らの死期を悟る。そして諸葛亮呼び寄せ後のこと託して世を去る。

※この「『三国志演義』における劉備」の解説は、「劉備」の解説の一部です。
「『三国志演義』における劉備」を含む「劉備」の記事については、「劉備」の概要を参照ください。

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