『三国志演義』での龐統とは? わかりやすく解説

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『三国志演義』での龐統

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 07:20 UTC 版)

龐統」の記事における「『三国志演義』での龐統」の解説

小説『三国志演義』においては、龐統兄弟諸葛亮の妹を娶り、義兄弟となっている。赤壁の戦いでは周瑜に対して曹操を破るための献策行なう周瑜曹操軍軍船火攻めにしようと考えていたが、一隻に火をつけても他の船は逃げてしまい、燃え広がらないということ問題となる。そこで龐統連環の計呼ばれる策を周瑜勧める龐統自身周瑜陣営偵察にやって来た蔣幹をうまく欺き曹操軍営潜り込み曹操面会し北方人の弱点である船酔い対策として、船同士を鎖で繋げることを進言するのである。このことにより、火がついても曹操軍軍船逃げられないようになり、劉備孫権連合軍による火攻め曹操軍大敗したということになっているまた、曹操臣下となっていた親友徐庶火計巻き込まれないように、別方面派遣されるようにし向ける策を授けている。 その後周瑜葬儀参列した諸葛亮対面し劉備に仕えるよう誘われる彼の才を惜しんだ魯粛によって孫権引見されるが、醜い風貌と、孫権問いかけにきちんと答えなかったことから疎まれてしまう。次に龐統劉備面会するが、劉備がその風貌見て諸葛亮推挙する龐統かどうかが判らず、閑職地方県令を宛がってしまう。すると龐統1か月の間酒ばかり飲んで職務怠け村人から訴えられることになる。しかし、劉備派遣した張飛詰問されたところ、溜まっていた1か月分の仕事半日全て片付けてしまう。これによって、龐統がその才能劉備認められることになり、さらに劉備自身行為戒めることになっている。 またその死については、気遣った劉備貸し与えた白馬乗って劉備代わりに危険な間道進んだため、「落坡」という場所で劉備間違えられて、張任配下伏兵射殺されたという描写になっている。 なお落坡という地名実在し現在の四川省徳陽市)、落坡の石碑付近に龐統墓がある。

※この「『三国志演義』での龐統」の解説は、「龐統」の解説の一部です。
「『三国志演義』での龐統」を含む「龐統」の記事については、「龐統」の概要を参照ください。

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