『三国志演義』における曹真
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 14:48 UTC 版)
『三国志演義』では、第一次北伐から全て司馬懿が諸葛亮を撃退したことになっており、曹真の功績は失われている。史実では諸葛亮に勝利した曹真であるが、演義では諸葛亮の圧倒的に優れたその知略の前に連戦連敗を喫し、腹心の王双を魏延に斬られ、同僚の司馬懿との賭けに負け、自分の能力の差に愕然とする。諸葛亮の離間工作によって群臣の多くが司馬懿を疑った時、「蜀か呉の計略ではないか」と一人彼を弁護したり、病気療養中に呉蜀が連合して魏に侵攻してきたという知らせを聞くや、自ら進んで都督の印綬を司馬懿に譲って全権を委ねるなど、曹真の活躍は司馬懿の引立て役としてのものとなっている。諸葛亮や司馬懿と自らの力量の差に心中苦しみ続け、そのことが原因で病にかかってしまう。最後は諸葛亮の罵言を記した書状を読み、憤死している。 これは曹真の子の曹爽が、後にクーデターを起こした司馬懿に翻弄された挙句処刑された事と関連付けられていると思われる。
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