雷薄とは? わかりやすく解説

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雷薄Lei Bao

ライハク

(?~?)

袁術部曲袁術伝》。廬江郡灊県豪族か。

はじめ部曲として袁術仕えていたが、建安四年(一九九)夏、彼が曹操敗北して宮殿自焼すると《後漢書袁術伝》、陳蘭とともに灊山に籠り袁術入山拒絶した。そのため袁術袁紹頼って青州逃れようとして道中飢え死にしてしまう《袁術伝》。

参照袁術 / 袁紹 / 曹操 / 陳蘭 / 青州 / 灊県 / 灊山 / 廬江郡 / 部曲


雷薄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/26 06:48 UTC 版)

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雷 薄(らい はく、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。揚州廬江郡の人か。

正史の事跡

姓名 雷薄
時代 後漢時代
生没年 〔不詳〕
字・別号 〔不詳〕
本貫・出身地等 揚州廬江郡?
職官 〔不詳〕
爵位・号等 -
陣営・所属等 袁術→〔独立勢力〕
家族・一族 〔不詳〕

袁術配下。しかし建安4年(199年)までには、僚友の陳蘭と共に出奔し、灊山(せんざん)に立て篭もった。後に没落した袁術が頼ってきたが、受け入れを拒絶している。『三国志』魏書袁術伝の注に引く『呉書』によると、この後まもなく、袁術一行は食料が絶えて餓死した。

以後、雷薄の名は史書に現れない。しかし、同姓の雷緒という人物がおり、陳蘭と行動を共にしているため、潘眉『三国志考証』巻三は「雷薄、劉馥伝ハ雷緒ニ作ル」とし、雷薄と雷緒が同一人物と主張する。

物語中の雷薄

小説『三国志演義』では、まず徐州呂布討伐で第4軍副将として出陣するが、呂布軍の張遼臧覇に迎撃されて敗退している。後に袁術の贅沢振りに愛想をつかして、陳蘭と共に嵩山に引き篭もってしまう。さらに、劉備の討伐で壊滅させられた袁術から財宝と糧食を奪い取る。その後は『演義』では登場しない。

参考文献



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