『バビロニア誌』原資料と内容
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「ベロッソス」の記事における「『バビロニア誌』原資料と内容」の解説
エウセビオスの古アルメニア語訳とシュンケロスによる記述(『年代記』、『年代誌選集』)はどちらもベロッソスの使用した「公的な記録」を書き留めており、ベロッソス自身がそうした資料をカタログ化していた可能性はある。だからといって原資料について完全にベロッソスを信頼できるというわけではなく、原資料を取り扱うことができたということと、普通のバビロニア人が手にすることのできなかった神殿に保存されていた祭祀資料や聖なる資料を利用することができたということである。現在知られているメソポタミア神話はベロッソスと有る程度まで比較することはできるが、その時代の文献のほとんどが現存していないため、ベロッソスの伝えているとされる資料との厳密な照合は難しい。確実なのは、ギリシャ語で彼が行なおうとした著述の形式は現実のバビロニア語の文献とは差異があるということだ。 第一書の断片はエウセビオスとシュンケロスに残っていて、ベル(マルドゥク)によるタラット(ティアマト)退治などを含む創造の物語と秩序の確立を記述している。ベロッソスによれば、すべての知識は創造のあと生みの怪物オアンネスによって人類にもたらされたという。もしこれがすべてならば、VerbruggheとWickershamの言うように(2000: 17)、上述した占星術についての断片に一致するものである。 第二書は創造からナボナッサロス(Nabonassaros, 統治:紀元前747年 - 紀元前734年)に至るバビロニア諸王の歴史を記述している。エウセビオスは、アポロドロスが「ベロッソスは、最初の王アロロス(Aloros)からクシストロス(Xisouthros)そして大洪水に至る年代を43万年としている」といっているのを伝えている。ベロッソスの描く系譜からして、彼がここ、特に(伝説的な)大洪水以前の王たち、それとセナケイリモス(Senakheirimos, センナケリブ)からの前7世紀以降を編纂するときに『王名表』を手元においていたのは確実である。シュンケロスに残っているベロッソスによる大洪水についての記述は非常に『ギルガメシュ叙事詩』のある版に類似している。しかしこの叙事詩においては主人公はウトナピシュティムだが、クシストロスの名はどちらかというとシュメール版大洪水神話の主人公であるジウスドラのギリシア語表記のように思われる。 ベロッソスがここで何を書かなかったのかについても考察の余地がある。彼の時代、多くの文書にみられるようなサルゴン(紀元前2300年頃)の誕生伝説についての豊富な情報に触れる機会はいくらでもあったはずなのだが、言及していない。著名なバビロニアの王ハンムラビ(紀元前1750年頃)についても、わずかしか触れられていない。しかしながら女王セミラミス(おそらくシャムシ・アダド5世(統治:紀元前824年 -紀元前811年)の妻であるセンムラマート)がアッシリア人であるということは指摘している。おそらくこれは、セミラミスをバビロンの創始者であるとかシリアの女神デルケトの娘であるとか、ニヌス(ギリシア人によるとニネヴェの創始者)と結婚したなどというように彼女を神話化していたギリシア人著述家たちへの反論なのだろう。 第三書はおそらくナボナッサロス(Nabonassaros)からアンティオコス1世に至るバビロンの歴史である。彼はここでも王名表に従っているようだが、現在いくつか知られているうちのどれを利用したかは判然としない。通常は『王名表A』(紀元前5世紀の写しが一つ)と『年代記1』(一つは確実に紀元前500年のものとされる、3つの写し)というメソポタミアの史料が、彼が利用したものではないかと推定されている(ただし、差異もある)。このうちナブコドノロソス(Naboukhodonosoros, ネブカドネザル2世、統治:紀元前604年 - 紀元前562年)とナボンネドス(Nabonnedos, ナボニドゥス、統治:紀元前556年 - 紀元前539年)の時代の大部分が現存している。ここでようやく現代の我々はベロッソスによる歴史の解釈がどのようなものだったかをはじめて知ることができるのだが、それは、彼らの道徳的行為を基盤とした諸王の成功および失敗の道徳化である。こうした解釈は別のバビロニア史である『ナボニドゥス年代記』に似ているが、トゥキディデスのような合理主義的なギリシアの歴史家とは異なるところである。
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