「身延鏡」に残された伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:21 UTC 版)
「七面天女」の記事における「「身延鏡」に残された伝承」の解説
「 此の御神と申すは本地は弁才天功徳天女なり。鬼子母天の御子なり。右には施無畏の鍵を持ち、左に如意珠の玉を持ち給ふ。北方畏沙門天王の城、阿毘曼陀城妙華福光吉祥園(あびまんだじょう みょうけふっこうきっしょうえん)にいますゆえ吉祥天女とも申したてまつる。 山を七面といふは、此の山に八方に門あり、鬼門を閉じて聞信戒定進捨懺(もんじんかいじょうしんしゃざん)に表示し、七面を開き、七難を払ひ、七福を授け給ふ七不思議の神の住ませ給ふゆへに七面と名付け侍るとなり。此の神、末法護法の神となり給ふ由来は、建治年中の頃なりとかや、聖人読経の庵室に廿(20)ばかりの化高き女の、柳色の衣に紅梅のはかま着し、御前近く居り、渇仰の体を大旦那波木井実長郎党共見及び、心に不審をなしければ、聖人はかねてそのいろを知り給ひ、かの女にたづね給ふは、御身はその山中にては見なれぬ人なり。何方(いづかた)より日々詣で給うとありければ、女性申しけるは我は七面山の池にすみ侍るものなり。聖人のお経ありがたく三つの苦しみをのがれ侍り、結縁したまへと申しければ、輪円具足(りんねんぐそく)の大曼荼羅を授け給ふ。 名をば何と問い給へば厳島女(いつくしまにょ)と申しける。聖人聞し召し、さては安芸国厳島の神女にてましますと仰せあれば、女の云く、我は厳島弁才天なり。霊山にて約束なり、末法護法の神なるべきとあれば、聖人のたまはく、垂迹の姿現はし給へと、阿伽の花瓶を出し給へば、水に影を移せば、壱丈あまりの 赤竜となり、花瓶をまといひしかば、実長も郎党も疑ひの念をはらしぬ。 本の姿となり、我は霊山会上にて仏の摩頂の授記を得、末法法華受持の者には七難を払ひ、七福を与へ給ふ。誹謗の輩には七厄九難を受け、九万八千の夜叉神は我が眷属なり。身延山に於て水火兵革等の七難を払ひ、七堂を守るべしと固く誓約ありてまたこの池に帰り棲み給ふ。 」 ―以上「身延鏡」より。 金光明経によれば、吉祥天の実父は八大竜王の一柱徳叉迦竜王、実母は上記にある通り鬼子母神、実兄(もしくは夫)は毘沙門天である。 上記「身延鏡」より、七面天女の本地は、吉祥天と弁才天(安芸の宮島の厳島弁財天)と言われてきたことがわかる。 厳島大明神(厳島弁財天)の本地についての伝説に 「 お伽草子、天竺トウシヨウ国のセンサイ(善財)王は、父大王より賜った伝家の宝の扇に画いてある毘沙門天の妹吉祥天を見て恋の病に臥す。西方サイシヨウ国の第三王女あしびきの宮は、その画のような美人であると教える者があった。しかし、その国へは往復十二年もかかるが、家宝である五からすという烏が王のために使して、往復百七十日ばかりで返事をもらってきた。王はますます恋の病が重くなってきたが、氏神の夢想の告げによって、弘誓の船、慈悲の車を造り、五からす、公卿臣下を乗せて、サイシヨウ国に行き、あしびきの宮を欺むいて本国に連れて来た。ところが后達が嫉んでみち腹の病にかかった様をして、仲間の相人に合わせて、「ギマン国の、チヨウザンという山の薬草を王が採ってくれば治る」と言上させ、王を往復十二年も掛かるギマン国へゆかせた。その留守中后たちは武士たちに、あしびきの宮を、カラビク山コントロカ峰ジヤクマクの岩へ連れて行き殺させた。宮は妊娠七ヵ月であったが、其の時王子を産んで梵天帝釈に加護を祈った。 その子は、帝釈をはじめ虎狼野の守護によって山中に成長した。十二になった時、王が帰国してこの事情を知り、山に尋ね行き王子を助ける。宮の遺骨を携えてカビラ(石垣島川平という説有)国スイシヨウ室のフロウ上人に頼んで、再生させることが出来た。ところが王は宮の妹に心が移ったので、宮は日本へ来て、伊予の石槌の峰、さらに安芸国佐伯郡カワイ村に落ちつき、佐伯のクラアトの奉仕によって、クロマス島に仮殿を造って住んだ。宮は、いつくしき島なりとこの島をめでたので、厳島の名が起った。この宮を大ゴンゼンといい、本地は大日如来で、あとから尋ねて来たセンサイ(善財)王は、マロウドの御前(客人御前)と呼び、本地は毘沙門天。滝の御前はカラビクセンの御王子の御事なり。御本地は千手観音にておはします。ひじりのごぜん(聖御前)と申すは、カビラ国の上人にておはします。本地は不動明王にておはします。 」 というものがある。貞和2年(1346年)の断簡絵巻物が現在のところ最古の記録である。源平盛衰記巻13にも大同小異の記事が出ている。 よって「身延鏡」などの文献資料から言うと、七面天女は、かつて天竺、大陸西方にあったサイシヨウ国の第三王女 あしびきの宮だった可能性がある。
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