郷ひろみ
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来歴
幼少期
- 「裕美」という名前は祖父が付け、「心が"美しく"、いろんな意味で"裕福"になるように」という意味が込められている[5]。
- 父英夫(1929〜2015)は福岡県三潴郡三潴町(現・久留米市)出身、母聖子(1933〜)は福岡県糟屋郡志免町出身。
- 父は海軍飛行予科練習生(予科練)[6]
- 生後まもなくジフテリアにかかり、3歳で赤痢、15歳で腹膜炎の一歩手前の状態で盲腸の手術を受けるなど、何度となく病にかかっていた。
- 子供の頃、福岡の家は牛や馬、鶏などの家畜がいる農家の住まいだった。
- 旧・国鉄職員の父親の転勤で、4歳の時に福岡から上京し、1962年3月、東京都大田区の仲六郷幼稚園卒園[注 1]。1966年、小学5年の1学期のみ、福岡県糟屋郡の須恵町立須恵第二小学校へ転校。 転校した理由は、祖母が病気になり、「寂しくて仕方ないからひろみを貸してくれ」と頼まれた為。
- 京浜東北線の大井町駅に隣接する当時の国鉄大井工場敷地内に建つ社宅へ転居する。その後、父親は山手線の新橋駅・同東京駅・南武線の尻手駅の助役として勤務した後、定年退職した。
- 1968年3月、品川区立山中小学校卒業。 1971年3月、品川区立伊藤中学校卒業。 野球選手になるのが夢で、中学生時代には友人と野球チーム「ハーキュリーズ (Hercules)」を作っていた。
- 1971年4月、世田谷区桜上水の日本大学櫻丘高等学校に入学し、野球部に所属。 しかし、芸能活動の多忙化に備えて、同年8月の内に堀越高等学校の芸能コースに転校。 郷が高校に持っていく弁当はジャニー喜多川が作っていた。
- 1975年7月の終わりに、堀越高校を丸4年かけて1人きりで卒業すると、今度は大学への進学を目指すことを公表。 翌1976年2月20日に青山学院大学法学部を受験したが、不合格。
- 子供の頃は可愛くて評判の美少年だった。
- スパルタ教育の母親に厳しく躾けられて育った。「あなたは赤が似合う」という母の薦めで、赤いシャツを着用することが多かった。[7]
学歴
- 1968年3月、品川区立山中小学校卒業。
- 1971年3月、品川区立伊藤中学校卒業。
- 1971年4月、日本大学櫻丘高等学校に入学するが、芸能活動を優先するため2学期から堀越高等学校芸能コースに転校。高校を約5年かけて卒業。卒業後、猛勉強をし、青山学院大学への受験をするが不合格。翌年日本大学法学部二部[8]を受験し合格したが、通学することはなく退学に至った。
デビュー〜アイドル全盛期
- 高校一年のとき家族で日比谷に映画を観に行った帰り[9]、フォーリーブスのマネージャーにスカウトされ[9]、彼らの合宿所に出入りするうちジャニーズ事務所所属となった[9]。――と、サンケイスポーツ1975年1月27日付けのインタビューで話していたが、実際は、オーディションで落選した「潮騒」の会場で出会ったジャニーズ事務所社長、ジャニー喜多川に惚れ込まれてスカウトを受け、ジャニーズ事務所に所属となったことが、後年本人談で明かされている[10][11]。ジャニーズ事務所の所属タレントが住む寮では、他の寮生たちと違い、一人だけジャニー喜多川と同じ食事メニューを与えられるなど、超VIP待遇を受ける[10][12]。「ジャニー喜多川は郷ひろみの生みの親、だということです。それは絶対に間違いないことです」と述べている[10]。
- 1972年1月2日、NHK大河ドラマ『新・平家物語』に平清盛の弟、経盛役で俳優デビュー(現在までNHK大河ドラマ合計4作品に出演) する[10]。
- 1973年、ブロマイド年間売上実績No.1となり、西城秀樹、野口五郎と共に新御三家と呼ばれ、一躍トップアイドルの仲間入りを果たす。
- 1974年10月28日、初主演テレビドラマ『ちょっとしあわせ』の主題歌「よろしく哀愁」で、自身初のオリコン週間チャートの第1位を獲得する。
- 1975年4月1日、学校の問題が最大の原因でジャニーズ事務所を退所。ジャニー喜多川が末期の十二指腸潰瘍で入院中に乗じてジャニーズ事務所を退所[14][15][16]。大手など選択肢があった中、後のマネージャーとなった小口健二からの熱意に、当時は小さな事務所だった設立4年目のバーニングプロダクションを選択して移籍[10]。渡辺プロダクションの渡辺晋社長と、田辺エージェンシーの田邊昭知社長の仲介により[17]、渡辺の自宅で周防郁雄バーニングプロダクション社長とメリー喜多川副社長の会談が行われ、郷のバーニングプロダクション移籍が決まった[17]。以降、順調にアイドル界のトップ歌手の座に上り詰めていく郷とは対照的に、郷のいなくなったジャニーズ事務所は苦難の道を歩む[14][18]。
- 1976年、『さらば夏の光よ』で映画初主演する。
- 11月、「あなたがいたから僕がいた」で第18回日本レコード大賞・大衆賞を受賞する。
- 1977年、TBSテレビドラマ『ムー』出演でコミカルな一面が注目され、再びブロマイド年間売上実績が男性部門でNo.1となる。
- 1978年8月10日、TBSテレビドラマ『ムー一族』の挿入歌「林檎殺人事件」が『ザ・ベストテン』で自身初の第1位を獲得する。
- 1979年4月 - 1980年4月、日本テレビ系のバラエティー番組『カックラキン大放送!!』に野口五郎と(以降は1年)交替でレギュラー出演する。
- 1980年7月21日、新御三家で初のCMソングとなる「How many いい顔」が発売される。
- 1981年12月6日、「お嫁サンバ」で第14回日本有線大賞・有線音楽賞を受賞する。
- 1982年7月17日、外国曲のカバーで、自身初のスロー・バラード「哀愁のカサブランカ」が発売され、「よろしく哀愁」以来2度目の売り上げ50万枚超(オリコン週間チャート第2位)のヒット。ベストテン番組、賞レースへの出演を辞退する。
- 1984年2月25日、日本国有鉄道キャンペーン・ソング「2億4千万の瞳」が発売され、20万枚超のヒット。サブタイトルは「エキゾチック・ジャパン」歌詞にある「ジャパ〜ン」という表現が郷を形容するのに使われるようになった。
- 1985年1月、交際していた松田聖子が破局会見を行う。9月には二谷友里恵と出会う。
渡米〜再興期
- 1985年11月、翌年3月以降芸能活動を休止して渡米を告知する。
- 12月、バラエティー番組の企画でホノルルマラソンを完走する。
- 1986年3月、芸能活動を休止し単身ニューヨークへ、1年弱滞在する。
- 1987年6月12日、二谷友里恵と結婚。披露宴をフジテレビが『おめでとう郷ひろみ・二谷友里恵結婚披露宴』と題して大々的に中継し、霊南坂教会とシドニーのセントメリーズ教会で挙式して新居をニューヨークに構える。
- 1989年、ニューヨークの住居を引き払い日本に帰国。
- 1993年1月21日、バラード3部作(3年続けて発売)の1作品目として、カバー曲「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」を発売。
- ハリウッド映画『Samurai Cowboy』に主演する[19]。
- 1994年12月2日、「言えないよ」で第27回日本有線大賞・有線音楽優秀賞 (ポップス)を受賞。
- 1995年12月1日、「逢いたくてしかたない」で第28回日本有線大賞・有線音楽優秀賞 (ポップス)を2年連続受賞。
- 1997年2月、イタリアンレストランSOGNI di SOGNI、大阪ドーム店が開店する。
- 1998年4月9日、二谷友里恵との離婚発表と同時に、その経緯を告白本『ダディ』として出版し、ミリオンセラーになる。
- 1999年8月30日、リッキー・マーティンの「Livin' La Vida Loca」をカバーした「GOLDFINGER '99」のプロモーションとして、渋谷スクランブル交差点にトラックを停車させて無許可でゲリラライブを敢行し、交通渋滞を引き起こして刑事事件になる。
- 11月7日、ニューヨークシティマラソンを完走する。
- 同曲が「逢いたくてしかたない」以来4年ぶりのヒットとなり、12月3日、第32回日本有線大賞・有線音楽優秀賞(ポップス)を受賞、さらに12月31日には第41回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞する。
- 2000年、道路運送車両法違反のため、警察署に出頭する。
- 9月27日、松田聖子とのデュエット曲「True Love Story/さよならのKISSを忘れない」をリリースする。同時に再婚も発表。
- 11月9日、ニューヨーク在住の投資家大根田勝美の娘でアルマーニショップ店員の大根田名美と再婚する。フォーシーズンズホテル・ニューヨークにて近親者だけで挙式する。
ニューヨーク充電以降
- 2001年12月31日、『第52回NHK紅白歌合戦』への出演を最後として音楽活動を一時休止し、再びニューヨークに移住する。
- 2004年12月6日、二谷友里恵に対し、離婚に際して交わした娘2人の養育費1億5000万円を信託銀行に預託するとの取り決めを実行していないことや、郷が娘に会う面会権を妨害され精神的損害を受けたとして訴訟を起こす。しかし、娘2人が「父親に会いたくない」と語ったため、取り下げた。
- 2005年4月、「愛より速く」を発表し日本での芸能活動を再開。
- 2006年9月、デビュー35周年記念ライブとして、東京日比谷野外音楽堂などで公演する。
- 2007年5月27日、渋谷で8年ぶりに「Boom Boom Boom」の発売イベントを行う。
- 2008年11月、『ベストヒット歌謡祭』において自身のメドレー冒頭で、松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌唱。
- 2009年9月2日、刑事事件に発展した渋谷の不祥事から10年、大阪・道頓堀のグリコ看板前に船で現れ、ゲリラ風に「Get Real Love 〜GOLDFINGER'009」の発売イベントを開いた。
- 2010年10月18日、55歳誕生日に2度目の日本武道館公演「55!伝説」を開催する。これは1955年生まれ、55歳、全国ツアー55公演目のファイナルステージである。
- 12月4日、フジテレビ系『FNS歌謡祭』に出演しAKB48と競演したシーンが高視聴率をマークした。
- 12月31日、9年ぶりに第61回NHK紅白歌合戦に出場。「GO!GO!イヤー紅白スペシャルメドレー」と題して「愛してる」「僕らのヒーロー」「男願 Groove!」の3曲を披露した。
- 2012年3月31日、徳武定祐の次女で元タレントの女性と入籍したことを自身のオフィシャルサイト内に直筆のメッセージを掲載し、明らかにした[20][21]。
- 2014年12月31日、第65回NHK紅白歌合戦に5年連続27回目の出場を果たした。
- 2015年4月26日 - 7月12日、NHK連続ドラマ『企業病棟』以来、21年ぶりの連続ドラマとして、TBS日曜劇場『天皇の料理番』に粟野慎一郎役で出演[22]。
- 2015年 還暦を迎え 積極的にロックフェスに参戦 SUMMER SONIC 氣志團万博
- 2017年 45周年記念CD BOX『The 70's Albums』リリース
- 2018 ディスコイベント「Dynasty Tokyo Surfer's Night」にサプライズ出演。103枚目のシングルに収録されている「恋はシュミシュミ」「MIRROR BALL FANTASY」を歌唱した。
- 2019年 「JAN JAN JAPANESE」の発売を記念して、デビュー47年目で“アイドルイベントの聖地”で初のイベント 池袋サンシャインで約3500人のファンと交流した
- 2019年ロックフェス音髭に出演。大とりで登場。観客を魅了する圧巻のパフォーマンスをみせる。
- 2020年105枚目のシングル『ウォンチュー!!!』がオリコン7位に。これにより昭和、平成、令和でのオリコンTOP10入りを果たした
- 2021年7月30日、音楽サブスクリプションサービス上で、楽曲のストリーミング配信を開始した。
- 2023年6月21日、公式サイトで「不調が長引いていた喉の治療に専念する」と発表。複数のコンサートを中止すると伝えた。[23]
注釈
- ^ 既に閉園[いつ?]。1965年開園の「六郷幼稚園」、1968年開園の「仲六郷保育園」とは別。
- ^ 楽曲が起用された年ではなく、音源化された年で明記。
- ^ 「お嫁サンバ(2回目)」、「マイレディー(2回目)」「よろしく哀愁」の順に歌唱した。
- ^ 「愛してる」、「僕らのヒーロー」、「男願 Groove!」の順に歌唱した。
- ^ 「笑顔にカンパイ!」、「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-(3回目)」の順に歌唱した。
- ^ 「男の子女の子(2回目)」、「よろしく哀愁(2回目)」の順に歌唱した。
- ^ 「男の子女の子(3回目)」「林檎殺人事件」(橋本環奈とのデュエット)「GOLDFINGER'99(3回目)」「ジャンケンポンGO!!」の順に歌唱した。
出典
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