沖縄テレビ放送
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所在地
- 出典[1]
- 本社
- 沖縄県那覇市久茂地1丁目2番20号
- 東京支社
- 東京都中央区銀座4丁目9番8号 NMF銀座4丁目ビル9階
- 関西支社
- 大阪府大阪市北区梅田2丁目4番9号 ブリーゼタワー10階
- 福岡支社
- 福岡県福岡市中央区大名2丁目4番30号 西鉄赤坂ビル3階
沿革
- 1956年(昭和31年)7月16日 - テレビ放送免許申請[9]。
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 1964年(昭和39年)9月1日 - 本土(鹿児島) - 沖縄間のマイクロ回線(白黒)が開通し、本土との時差なしでテレビ放送が視聴可能となる。[注 11][11]
- 1965年(昭和40年)9月13日 - 早朝放送開始[注 12][12]。
- 1968年(昭和43年)5月5日 - カラー放送開始(琉球放送と同時期)。
- 1969年(昭和44年)
- ※ 3月31日以前はNHKを含めたフリーネット制をとっていたため、民間放送のネットワークに加盟していなかった。しかし、1968年(昭和43年)12月22日に、沖縄放送協会中央放送局 (現在のNHK沖縄放送局)がテレビ放送を開始したことを機に、民放のネットワークに加盟することにした。
- 1971年(昭和46年) - 久米社屋を増築、同時に現行ロゴの原型となるOTVロゴを使用開始、通信タワーの形が首里送信所向けに塔の半分から三角形のユニークなデザインで目を引くようになる。
- 1972年(昭和47年)5月15日
- 1974年(昭和49年)10月1日 - OTV初の中継局である本部中継局が開局[17]。
- 1975年(昭和50年)3月31日 - 腸捻転解消により、これまで放送されていた毎日放送の番組がすべて琉球放送へ移行、かわって朝日放送の番組が一部放送されるようになる( - 1994年3月)。
- 1983年(昭和58年)3月1日 - 久米2丁目(現東京第一ホテル那覇シティリゾート、以前は沖縄ワシントンホテル)から久茂地の現社屋(元沖縄配電 (沖縄電力の前身の1つ) 跡地)に移転。
- 1985年(昭和60年)6月1日 - 送信所を那覇市首里崎山町から豊見城村(現・豊見城市)高安のNHK沖縄放送局敷地内に移転[注 13]。同時に音声多重放送開始。
- 1986年(昭和61年)4月19日 - 春闘などで自社でのニュースや番組配信ができず、丸1日フジテレビからのマイクロ回線をそのまま垂れ流しで放送していた(その日の『スーパータイム』のローカル枠はFNSの九州・沖縄の基幹局であるテレビ西日本のものを放送)。またその日前後にはローカルニュース部分を天気予報に差し替えたり、『スーパータイム』のローカル枠は関東ローカル枠をそのまま放送していた。通常編成とは大幅な変更となったが、視聴者保護の観点からこの対応にしたことで放送が全面休止になることだけは回避された[注 14]。
- 1993年(平成5年)12月16日 - 宮古・八重山地域での放送を開始(琉球放送と同時)。
- 1994年(平成6年)4月1日 - 琉球放送とテレビ朝日との共同出資による琉球朝日放送の設立(1995年(平成7年)10月1日開局)に備え、民教協番組を除くテレビ朝日系の番組が姿を消す(同局系の番組は琉球放送のみとなり、琉球朝日放送開局と同時にすべて同局へ移行)。
- 1998年(平成10年)6月 - マスター設備更新[18]。
- 2006年(平成18年)12月1日 - 地上デジタル放送・ワンセグ放送開始。
- 2011年(平成23年)7月24日 - 開局以来続いた地上アナログ放送が終了。大東諸島の中継局(北大東島・南大東島)がデジタル用新局の扱いで正式開局[注 15]。
- 2012年(平成24年)3月 - フジ・メディア・ホールディングスの持分法適用会社となる[19]。
社史・記念誌
- 沖縄テレビ30年史(沖縄テレビ放送総合企画室・編) 1989年11月発行、201ページ。
- 沖縄テレビ放送50年史(沖縄テレビ放送50年史編纂委員会・編) 2010年3月発行、327ページ。
注釈
- ^ 従来はOkinawa Television Broadcasting Co., Inc.。かつてはトップページ左上のロゴマーク下の表記もそのままだった。
- ^ 沖縄県では、南西放送を日本テレビ系列局(NNN/NNS)としての開局を目指す予定だったが、日本テレビの沖縄進出計画の凍結に伴って計画が頓挫し、放送免許の申請も取り下げられ、南西放送は破産した。なお、沖縄県の日本テレビ系列(NNN)による報道取材は日本テレビ那覇支局が担当している。
- ^ 沖縄県での日本テレビ系列(NNS)の番組は本局で放送している他、一部はTBSテレビ系列局(JNN)の琉球放送でも放送している(本局が枠の関係で放送できない番組を協定に反しない形で一部ネット)。
- ^ 理由は当時、沖縄はアメリカの統治下だったため、番組の購入は認めるものの資本はしないという条件だったためである。
- ^ ノイタミナの放送実績がないフジテレビ系フルネット局では他に富山テレビのみ。クロスネット局も含めてもテレビ大分とテレビ宮崎のみ。
- ^ ただし、その地域の系列局がある局のキー局のみとなる。
- ^ フジテレビの完全親会社、2012年4月時点で30.2%。
- ^ 資本関係はそれ程深くはないものの、最近では社長や会長が非常勤取締役に就任しているため関係を強化している。
- ^ イベント共催などFNS九州を通した関係のみ。現在これに該当するものは九州一周駅伝、金鷲旗高校柔道大会及び玉竜旗高校剣道大会。
- ^ ナレーションは、田口トモロヲが務めた。
- ^ これは当時の琉球政府主席の太田政作が「本土復帰がかなわないなら、せめて本土と同時にテレビ放送が見たい」と日本政府に要望したことによるものである。
- ^ 7時の『NHKニュース』及び連続テレビ小説『たまゆら』は本土と同時ネット、7時25分-『スタジオ102』。
- ^ 元の送信所はラジオ沖縄の送信所として1998年7月まで使用していた。
- ^ 現在では万が一のストライキがあっても放送業務は管理職や外部からのスタッフを派遣することによって対応するため、このような影響はまったくない。その一方で、過去には停波ストライキに至ったケースもあり、1955年(昭和30年)に高知放送でストライキが決行された際は、3日間にわたって停波するという事態に発展した。
- ^ 1998年(平成10年)4月から地上アナログ閉局までの間は、沖縄本島からの距離が離れており中継回線の設置が困難であったため、フジテレビジョンの小笠原諸島中継局から分波する形で、フジテレビジョンの中継局を設置していた。
- ^ 日本テレビの番組は当局が優先で編成の都合で放送不可能となる場合、琉球放送にまわされる。1995年(平成7年)10月に琉球朝日放送開局後はテレビ東京の番組を同局も共有。
- ^ a b 沖縄テレビ放送 代表取締役社長
- ^ 沖縄テレビ放送 代表取締役副社長
- ^ 沖縄テレビ放送 代表取締役会長(非常勤)
- ^ 沖縄テレビ放送 代表取締役会長
- ^ アナログVHFのテレビ単営局には通常JO*X(一部テレビ局ではJO*Y)が割り当てられている。
- ^ 日本テレビ系列の遅れネット番組は稀に民教協の番組に表示される字幕放送のテロップが使用される場合がある。(フジテレビ制作番組の遅れネットや再放送にも同様)
- ^ 開始当初は日本テレビ系列の『いつみても波瀾万丈』をネットしていた関係で11:25から放送されていたが、のちに『笑っていいとも!増刊号』を同時ネットに切り替えたため現在の時間に変更。
- ^ 同番組が休止になった時もその時間帯に放送されたスペシャル番組も一部放送。
- ^ タイトルからNNNの冠を外し、オープニングとエンディングの映像を一部差し替えて放送。CM終了後の映像でNNNの冠が見えないように独自で隠している。NNN系列外唯一のネット局。
- ^ この番組で沖縄県の内容を取り上げる場合は日本テレビが取材を担当し、沖縄テレビは制作には一切関与しない[26]。
- ^ 過去に数例あり
- ^ のちにインターローカルTVに改称し2010年9月に放送終了となった。現在、インターローカルTVを運営したインターローカルメディアが運営するホームドラマチャンネル(松竹ブロードキャスティングから受託)と歌謡ポップスチャンネル(WOWOWプラスから受託)の「インターローカルアワー」として沖縄テレビが制作した「郷土劇場」などを放送している。
- ^ 開始から2015年3月までは月曜 19:00 - 19:30に放送されていたが、「ネプリーグ」を同時ネットへ切り替えたため、2015年4月より金曜へ移動。
- ^ 「FEC沖縄○○バラエティー」休止期間のつなぎ番組として放送。
- ^ 2011年9月までは土曜 1:05 - 1:20(金曜深夜)に放送。
- ^ 2016年12月18日(日)放送分(※CXの放送日)で『そんなバカなマン』とのコラボSP回はカット(『そんなバカなマン』はOTVでは未放送)
出典
- ^ a b c d e f g h i j 会社概要 - OTV 沖縄テレビ放送
- ^ a b c d e f 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2023』コーケン出版、2023年11月30日、494頁。
- ^ a b 沖縄テレビ放送・デジタル放送局 - OTV 沖縄テレビ放送
- ^ 『沖縄テレビ30年の歩み』(1990年刊行)より
- ^ “有価証券報告書-第75期(平成27年4月1日-平成28年3月31日)” (PDF). フジ・メディア・ホールディングス (2016年6月28日). 2021年8月6日閲覧。
- ^ “2022年日本民間放送連盟賞 | 一般社団法人 日本民間放送連盟”. www.j-ba.or.jp. 2023年10月1日閲覧。
- ^ “2021年日本民間放送連盟賞 | 一般社団法人 日本民間放送連盟”. www.j-ba.or.jp. 2023年10月29日閲覧。
- ^ “表彰番組・事績 | 一般社団法人 日本民間放送連盟”. www.j-ba.or.jp. 2023年10月1日閲覧。
- ^ a b c d 『民間放送十年史』(日本民間放送連盟・1961年発行)第2部各社史644頁「沖縄テレビ放送 年表」。
- ^ 『民間放送十年史』(日本民間放送連盟・1961年発行)、「全国民間放送一覧」。
- ^ a b 軍用無線のブログ JA2GZU Suzuki Shinichi 2020年1月22日付「沖縄ではカラーテレビを持っていても、カラーは映らず、全て白黒であった歴史がある」(2023年11月1日閲覧)
- ^ 1965年9月12日付琉球新報12面及び1965年9月13日付同紙4面(開始告知広告)より。
- ^ 関東電友会東京無線支部「本土-沖縄間マイクロ回線工事の思い出 関東電友会東京無線支部会報誌むせん37号抜粋」山根 信義(PDF)(2023年11月1日閲覧)
- ^ アメブロ「ウオッチング ウェ~イブ」2022年9月19日付「沖縄へテレビ番組と電話を届けてい"た"マイクロ波回線電波塔の現役時代と沖永良部島の航空自衛隊基地」(2023年11月1日閲覧)
- ^ NHK年鑑'73 P.321
- ^ 沖縄テレビ放送 沿革・受賞歴(沖縄テレビ放送公式サイト)(2023年11月1日閲覧)
- ^ 日本民間放送連盟(編) 『日本放送年鑑'75』 千秋社、1975年、25頁。
- ^ “OTV - 沖縄テレビ放送”. Facebook. 2022年3月16日閲覧。
- ^ フジ・メディア・ホールディングス 第71回定時株主総会招集通知 (PDF) 2012年6月1日
- ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2021』コーケン出版、2021年12月10日、486頁。
- ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、342頁。
- ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、465頁。
- ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、500頁。
- ^ 沖縄テレビ放送デジタル放送所・無線局免許状 - 総務省
- ^ 番組表・タイムテーブル - OTV 沖縄テレビ放送
- ^ 丹羽美之 編『NNNドキュメント・クロニクル1970-2019』東京大学出版会、2020年、74-82頁。
- ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1984年12月号、学研、94頁。
- ^ a b c 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1986年9月号、学研、83頁。
- ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1987年3月号、学研、81頁。
- ^ a b 「全国放映リスト」『アニメージュ』1978年10月号、徳間書店、49頁。
- ^ a b c 「全国放映リスト」『アニメージュ』1980年4月号、徳間書店、65頁。
- ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ』1979年3月号、徳間書店、48頁。
- ^ a b 「全国放映リスト」『アニメージュ』1979年10月号、徳間書店、71頁。
- ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ』1980年8月号、徳間書店、94頁。
- ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ』1981年12月号、徳間書店、113頁。
- ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1990年4月号、学研、101頁。
- ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1986年6月号、学研、60頁。
- ^ 「全国縦断放映リスト」『アニメージュ』1988年7月号、徳間書店、118頁。
- ^ アナウンサー - OTV 沖縄テレビ放送
- ^ “日本初親子3代アナ2代目 テレビ大阪・植草結樹アナが13日DT戦でラスト実況!江夏氏とコンビに「縁」”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. (2019年8月12日) 2019年8月12日閲覧。
- ^ NHKウィークリーステラ全国アナウンサー名鑑
固有名詞の分類
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