伊勢国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/06 04:34 UTC 版)
人物
国司
この節の加筆が望まれています。 |
伊勢守
- 石川名足(従五位下):天平宝字7年(763年)任官
- 百済王理伯(従四位下):宝亀2年(771年)任官
- 大伴家持(従四位下):宝亀7年(776年)任官
- 石川名足(従四位下):宝亀11年(780年)任官
- 菅野真道(従四位下):延暦16年(797年)任官
- 和入鹿麻呂(従四位下):延暦25年(806年)任官
- 藤原大継(従四位下):延暦25年(806年)任官
- 吉備泉(正四位下):大同5年(810年)任官
- 藤原真夏(正四位下):大同5年(810年)任官
- 藤原仲成(従四位下):大同5年(810年)任官
- 御長広岳(従四位下):弘仁元年(810年)任官
- 藤原貞嗣(従四位上):弘仁10年(819年)任官
- 藤原藤成(従四位下):弘仁13年(822年)任官
- 藤原吉野(従五位上):天長3年(826年)任官
- 藤原家雄(従四位下):天長8年(831年)任官
- 長田王(従五位下):天長10年(833年)任官
- 丹墀清貞(従五位上):天長11年(834年)任官
- 和気仲世(従四位下):承和6年(839年)任官
- 三原春上(従四位上):承和6年(839年)任官
- 長岑高名(正四位下):承和10年(843年)任官
- 藤原仲統(従五位上):嘉祥2年(849年)任官
- 藤原長良(従四位上):嘉祥3年(850年)任官
- 源融(従三位):仁寿元年(851年)任官
- 藤原長良(従四位上):嘉祥3年(850年)任官
- 菅原是善(従四位下):天安2年(851年)任官
- 源多(従四位上):天安2年(851年)任官
- 源冷(従四位上):貞観3年(861年)任官
- 源興(従四位上):貞観6年(864年)任官
- 多治貞岑(従四位下):貞観10年(868年)任官
- 基棟王(従四位上):貞観16年(874年)任官
- 興基王(従四位上):元慶4年(880年)任官
- 藤原興世(従五位下):元慶7年(883年)任官
- 安倍興行(従五位上):元慶7年(883年)任官(権守)
- 藤原継蔭(従五位下):仁和元年(885年)任官
- 平維衡:寛弘3年(1006年)任官。伊勢平氏の基礎を築く
- 中原致時(従四位上):寛弘5年(1008年)任官
- 藤原長能(従五位上):寛弘6年(1009年)任官
- 源俊重:長和2年(1013年)任官
- 藤原考忠:長和5年(1016年)任官
- 源兼資:寛仁2年(1018年)任官
- 源頼親:万寿元年(1024年)任官
- 源頼信:長元元年(1028年)離任
- 源頼兼:長元8年(1035年)任官
- 橘兼懐:長暦2年(1038年)任官
- 平盛国
伊勢介
室町時代伊勢国司
室町幕府成立後も、南朝の重臣北畠親房の子孫が伊勢国司となって南伊勢に勢力を誇り、北伊勢を治める幕府守護と対立した。5代国司(伊勢北畠家としては4代)北畠教具の代に幕府と和睦し、伊勢守護も兼ねるようになった。
- 北畠顕信:初代。延元元年/建武3年(1336年)任官
- 北畠顕能:2代。延元3年/建武5年(1338年)任官。伊勢北畠家初代
- 北畠顕泰:3代。永徳3年/弘和3年(1383年)任官
- 北畠満雅:4代。応永19年(1412年)?任官
- 北畠教具:5代。嘉吉元年(1441年)任官。伊勢国守護も兼ねる
- 北畠政郷:6代。文明3年(1471年)任官。伊勢国守護も兼ねる
- 北畠材親:7代。文明18年(1486年)任官。伊勢国守護も兼ねる
- 北畠晴具:8代。永正8年(1511年)任官
- 北畠具教:9代。天文22年(1553年)任官
- 北畠具房:10代。永禄6年(1563年)任官
- 北畠具豊(織田信雄):11代。天正3年(1575年)任官
武家官位としての伊勢守
江戸時代以前
- 岡田時常
- 室町幕府政所執事伊勢氏
- 尾張国上四郡守護代岩倉織田氏(伊勢守家)
- 織田敏定:尾張国下四郡守護代清洲織田氏(大和守家)第3代当主
- 石川晴光:戦国時代の大名。陸奥石川氏第24代当主
- 木村定重:安土桃山時代の武将、豊臣政権の大名
- 水谷正村:結城氏家臣の戦国武将。御料所回復の功績によって特に授けられる
- 上泉信綱:上泉伊勢守、戦国時代の兵法家。新陰流の祖
- 籠谷政高:籠谷伊勢守、宇都宮氏の家臣で戦国武将
江戸時代
- 備後福山藩阿部家
- 丹波園部藩小出家
- 信濃高島藩諏訪家
- 豊後佐伯藩毛利家
- 越後黒川藩柳沢家
- 武蔵久喜藩・出羽長瀞藩米津家
- その他
- 安藤重長:上野高崎藩第2代藩主
- 安藤信正:陸奥磐城平藩第5代藩主・老中
- 板倉勝暁:上野安中藩第2代藩主
- 稲葉恒通:豊後臼杵藩第7代藩主
- 植村家教:大和高取藩第10代藩主
- 内田正純:下総小見川藩第4代藩主
- 内田正容:小見川藩第6代藩主
- 遠藤慶利:美濃八幡藩第2代藩主
- 大村純庸:肥前大村藩第6代藩主
- 織田信学:出羽天童藩第2代藩主
- 加藤明経:近江水口藩第2代藩主
- 加藤明堯:水口藩第4代藩主
- 京極高盛:丹後田辺藩第3代藩主、但馬豊岡藩初代藩主
- 九鬼隆由:摂津三田藩第7代藩主
- 黒田直侯:上総久留里藩第6代藩主
- 黒田直和:久留里藩第8代藩主
- 関長克:備中新見藩第9代藩主
- 戸田氏長:美濃大垣藩第5代藩主
- 南部信房:陸奥八戸藩第7代藩主
- 北条氏治:河内狭山藩第4代藩主
- 北条氏燕:狭山藩第11代藩主
- 本庄道利:美濃高富藩第7代藩主
- 本庄道貫:高富藩第9代藩主
- 本多康重:三河岡崎藩初代藩主
- 本多康紀:岡崎藩第2代藩主
- 牧野忠泰:越後三根山藩主
- 松平光和:信濃松本藩第4代藩主
- 松平康員:石見浜田藩第3代藩主
- 水谷勝隆:常陸下館藩第2代藩主
- 森政房:播磨赤穂藩第4代藩主
- 柳沢吉里:甲斐甲府藩第2代藩主、大和郡山藩初代藩主
- 脇坂安清:播磨龍野藩第3代藩主
- 脇坂安実:龍野藩第6代藩主
守護
鎌倉幕府
- 山内首藤経俊(1185年 - 1204年)
- 平賀朝雅(1204年 - 1205年)
- 大内惟信(1205年 - 1221年)
- 北条時房(1221年 - 1238年)
- 北条顕時(1278年 - 1301年)
- 北条貞顕(1301年 - 1330年)
- 北条貞冬(1331年 - 1333年)
室町幕府
志摩国守護も兼任。
- 畠山高国(1336年 - 1338年)
- 高師秋(1338年 - 1342年)
- 仁木義長(1342年 - 1349年)
- 石塔頼房(1349年 - 1351年)
- 細川清氏(1352年)
- 仁木義長(1352年 - 1360年)
- 土岐頼康(1360年 - 1366年)
- 仁木義長(1366年 - 1367年)
- 細川頼之(1367年 - 1371年)
- 細川満之(1372年 - 1376年)
- 山名五郎(1377年 - 1379年)
- 土岐頼康(1379年 - 1387年)
- 土岐康行(1387年 - 1389年)
- 仁木満長(1389年 - 1391年)
- 土岐康行(1391年 - 1392年)
- 仁木満長(不明 - 1396年)
- 仁木義員(1396年 - 1399年)
- 土岐康行(1400年 - 1404年)
- 土岐康政(1404年 - 1424年)
- 畠山満家(1424年 - 1428年)
- 土岐持頼(1428年 - 1440年)
- 一色教親(1440年 - 1451年)
- 一色義直(1451年 - 1467年)
- 土岐政康(1467年 - 不明)
- 北畠教具(不明 - 1471年)
- 北畠政郷(1471年 - 不明)
- 一色義春(1477年 - 1484年)
- 一色義直(1484年 - 1491年)
- 一色義秀(不明 - 1498年)
- 北畠材親(1508年 - 1511年)
戦国時代
- 戦国大名
- 織豊政権の大名
- 織田信雄(北畠具豊):松ヶ島城→清洲城→長島城、1575年-1590年。南伊勢の他尾張・伊賀・約100万石を領有するが、豊臣秀吉により改易
- 織田信孝(神戸信孝):神戸城、1572年-1582年。美濃国岐阜城に移封
- 織田信包(長野信包):伊勢上野城→津城、1576年-1594年。秀吉により改易
- 滝川一益:長島城、1574年-1582年。上野厩橋城に移封
- 蒲生氏郷:松ヶ島城→松坂城12万石、1582年-1590年。陸奥会津城42万石に移封
- 豊臣秀次:1590年-1595年。信雄改易後にその旧領を受け継ぐが、切腹。
- 富田一白・信高:津城5万石、1595年-1600年。関ヶ原の戦い後も津藩7万石として領土安堵
- 氏家行広:桑名城2万2000石、1590年-1600年。関ヶ原の戦い後に改易
- 牧村利貞・稲葉道通:岩出2万石、1590年-1600年。関ヶ原の戦い後に伊勢田丸藩4万5700石に移封
- 滝川雄利:神戸城2万石、1590年-1600年。関ヶ原の戦い後に改易、後に常陸片野藩2万石
- 土方雄氏:菰野1万石、1596年-1599年。関ヶ原の戦い後に菰野藩1万2千として復活
- 福島高晴:長島城1万石、1598年-1600年。関ヶ原の戦い後に大和宇陀松山藩に移封
- 織田信重:伊勢林城1万石、1594年-1600年。関ヶ原の戦い後にも林藩1万石として領土安堵
- 分部光嘉:伊勢上野城1万石、1598年-1600年。関ヶ原の戦い後にも伊勢上野藩2万石として領土安堵
- 蒔田広光・蒔田広定:4万石、-1600年。関ヶ原の戦い後に一旦改易、後に雲出藩1万石として復活
注釈
出典
- 伊勢国のページへのリンク