スズキ・カルタス スズキ・カルタスの概要

スズキ・カルタス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/05 08:51 UTC 版)

スズキ・カルタス
2代目カルタス5ドア
警視庁パトカー
(2007年4月30日撮影)
概要
別名 スズキ・カルタスクレセント(3代目)
スズキ・スイフト(国外向け)
ジオ・メトロ(北米)
製造国 日本
販売期間 1983年-2002年(日本)
2001年-(パキスタン)
ボディ
駆動方式 前輪駆動/四輪駆動
系譜
先代 なし
後継 スズキ・スイフト
スズキ・エリオ
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初代AA41V/AA41S/AB41S/AB51S型(1983年 - 1988年)

スズキ・カルタス(初代)
AA41V/AA41S/AB41S/AB51S型
前期型 GL
概要
販売期間 1983年10月 - 1988年9月[1]
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 3ドア/5ドア ハッチバック
駆動方式 前輪駆動/四輪駆動
パワートレイン
エンジン G10 直3SOHC 1.0L 60PS/5,500rpm 8.5kgf·m/3,500rpm
G13直4SOHC 1.3L 75PS/5,500rpm 11.0kgf·m/3,500rpm
変速機 5速MT/4速MT/3速AT
サスペンション
ストラット式
リーフリジッド(前期型)
アイソレーテッド・トレーリング・リンク(コイルスプリング+車軸懸架)(後期型)
車両寸法
ホイールベース 2,245mm(3ドアハッチバック)
全長 3,585mm
(前期型3ドアハッチバック)
全幅 1,530mm
(前期型3ドアハッチバック)
全高 1,350mm
(前期型3ドアハッチバック)
車両重量 620kg
その他
販売終了前月までの新車登録台数の累計 9万9021台[2]
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1983年昭和58年)10月、提携先であるゼネラルモーターズ(GM)との共同開発によって登場した。スズキの小型乗用車としては、1969年(昭和44年)に販売を終了したフロンテ800以来、14年ぶりの復活となる。

3ドアハッチバックのボディに1.0 Lの直列3気筒エンジンを搭載し、駆動方式は前輪駆動(FF)を採用している。製造コスト削減のため、アルト等の軽自動車用のコンポーネンツ(特にサスペンション関係)を一部に用いている。また、本車の生産開始のために湖西第二工場が新設された。

1984年(昭和59年)5月、ホットモデルである1000ターボと3速ATを追加[3]。CMには舘ひろし[注釈 1]が起用され、「オレ・タチ、カルタス。」のキャッチコピーが用いられた。

同年8月、1.3 L 直列4気筒エンジン搭載車と、スズキ自身が元々企画していた5ドア仕様を追加[4]

1986年(昭和61年)6月[5]、大規模なマイナーチェンジを実施。フロントマスクが変更を受け、ヘッドライトが異型ハロゲンになったほか、リアサスペンションはそれまでのリーフ・リジッドに代わり、アイソレーテッド・トレーリング・リンク(略称I.T.L。車軸懸架ながらコイルスプリング化)に変更。他外装、内装等も多少変更された。また、同時に追加された1.3 L DOHCのGT-iは、クラストップの出力(初期型97PS・後期型110PS)を生かし、当時の国内モータースポーツレースダートトライアル)では小排気量クラスの主力であった。

商用モデルであるカルタスバンいすゞ自動車へもOEM供給され「ジェミネット」として販売されていた。

世界各国へも輸出され、日本国外市場では主にスズキ・スイフトとして販売された一方、その他にもシボレー・スプリントポンティアック・ファイアフライ(カナダ)、ホールデン・バリーナ(オーストラリア)などの名称でも販売された。セールス上、軽自動車と競合する日本国内ではやや地味な存在となったが、海外では好調な売れ行きを見せ、とりわけ北米市場では販売価格の安さと燃費の良さからバジェットカーとして人気を集めた[1]

日本での生産中止後、製造ライン中国の長春自動車やGMのコロンビアボゴタに存在する工場に移設し、コロンビアでは2004年(平成16年)まで現地生産されていた。

2代目 AA44S型(日本 : 1988年 - 2000年、パキスタン : 2001年 - 2016年)

スズキ・カルタス(2代目)
AA44S型
後期型 3ドア(1991年-2000年)
後期型 3ドア リア
概要
別名 欧州 : スバル・ジャスティ(2代目)
欧州 : スズキ・スイフト
販売期間 1988年9月 - [6]2000年1月カルタス(1988年1月~2000年1月)”. 2022年9月24日閲覧。
(ハッチバック日本仕様)
1989年6月 - 1995年1月
(セダン)
1992年1月 - 1997年5月[7](コンバーチブル)
2001年 - 2016年
(ハッチバックパキスタン仕様)
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 3ドア/5ドア ハッチバック
4ドア セダン(エスティーム)
2ドアコンバーチブル
駆動方式 前輪駆動/四輪駆動
パワートレイン
エンジン G10 直3SOHC 1.0L 58PS/6,000rpm 8.0kgf·m/3,500rpm
G13 直4SOHC 1.3L 82PS/6,500rpm 10.6kgf·m/4,000rpm
G13B 直4DOHC 1.3L 115PS/7,500rpm 11.2kgf·m/6,500rpm
変速機 5速MT/3速AT/CVT
サスペンション
ストラット式
ストラット式
車両寸法
ホイールベース 2,265mm
全長 3,745mm
全幅 1,590mm
全高 1,350mm
車両重量 760kg
その他
1999年末までの新車登録台数の累計。 27万2071台
(一部3代目の登録台数含む)[8]
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  • 1988年(昭和63年)9月、フルモデルチェンジ実施ならびに製造開始。廉価な世界戦略車というコンセプトは先代から引き継がれたが、ゲタ代わりの初代に高級感が加わり価格帯も上昇したことから、しばらくの間、初代も並行して販売されている。日本国外市場では引き続き主に「スイフト」の名で販売されたが、北米ではGMの「キャプティバ・インポートモデル」として、意匠を変更したジオ・メトロポンティアック・ファイアーフライが販売された。
  • 日本国内向けは1.0Lがメトロ・コンバーチブルと同じフロントデザインでフロントグリルなし、1.3Lはフロントグリル付きでヘッドランプなどフロント回りが別意匠であった。両方に、3ドアと5ドアのハッチバックモデルがあり、1.3LDOHC 搭載モデルのホットモデル「GTi」は3ドアのみの設定で、純正エアロが標準で付いていた。キャッチコピーは「HIPコンシャス」で、前期のCM出演者はロブ・ロウ
  • 1989年平成元年)6月 スズキとしては、1965年から1969年まで販売されていたフロンテ800以来、20年ぶりのノッチバックセダン(3ボックススタイル)となる「エスティーム」を1.3Lと1.6Lの設定で販売開始[注釈 2]。フロントグリル付きで、特別仕様車では、「コシノヒロコリミテッド」(1.3L)があり、彼女がデザインしたシート表皮であった。マイナーチェンジで、1.6Lは自動車税の区分に合わせた1.5Lへ変更になった。
  • 1990年(平成2年)の後半からはインドマルチ・スズキでも「マルチ・1000」として製造・販売が開始された。
  • 1991年(平成3年)、マイナーチェンジで内外装の変更があり、リアコンビネーションランプが当時のアメリカ車によく見られたグリッドモールド(格子柄)から日本車風の上下2分割レンズの水平基調になり、リアナンバー位置もリア・ガーニッシュからバンパー下部に変更された。内装は一新され、アメリカ車風の独特のダッシュボードが、この当時の一般的な日本車風になった。後に限定車の『エレッセ』仕様が販売された。CM出演者は大江千里に変更。
  • コンバーチブルが設定され、北米市場ではコンバーチブルだけでも1万台を超える販売台数となる大ヒットとなった。日本国内向けは1992年(平成4年)2月に登場した。オートマチックはスズキ初のCVT(SCVT、湿式多板クラッチ+サイレントチェーン式CVT、ボルグワーナー製)が採用され、純正車体色は青メタリックと赤の2色のみの設定となる。
  • 1994年(平成6年)コンバーチブル生産中止。
  • 同年ホールデンは、OEMのバリーナをオペル・コルサ(B)に切り替えたため、スズキからの供給は中止した。
  • 1995年(平成7年)から欧州市場向けに2代目スバルジャスティとしてOEM供給が開始され、2003年(平成15年)まで続いた。CVTが設定されたが、コンバーチブルのSCVTとは異なり、富士重工製のECVTであった。
  • 1995年(平成7年)1月[9]、カルタス・クレセントの登場によりラインナップを縮小、セダンのエスティームが日本市場から廃止されるが、前年の12月[10]にはエスティームの生産は終了していた。
  • この当時、世界で一番安い小型車として「カルタス1000F」が、パワーステアリングエアコン付き68万円で登場し、3代目にモデルチェンジ後も国内で1999年まで継続して、製造販売されていた。
  • 1997年(平成9年)4月[11]、コンバーチブルの生産終了。5月に販売終了。
  • 国外仕様車は、主にスイフトの名称で販売されていた。北米市場向けの最上級グレード、スイフトGTにはエンジン出力を100psに高めた4気筒エンジンが搭載されていた[12]。北米向けは1995年にジオ・メトロをベースとした新型に変更されたが、欧州市場向けは2003年までモデルチェンジされずに製造が続けられた。
  • 中華人民共和国では長安スズキがセダンを羚羊(リンヤン)の車名で2000年7月から2015年頃まで、パキスタンではパック・スズキ・モーターが5ドアハッチバックをカルタスの車名で2001年から2016年まで製造した。
  • 警視庁ではクレセント登場後に5ドアハッチバックをパトロールカーとして導入したため、2002年(平成14年)以降、他県でクレセントのパトカーの廃車が進む中(一部駐在所には2013年(平成25年)現在でも存在)、2007年(平成19年)時点でも旧型が残るという逆転現象が生じた。

  1. ^ a b デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第21号21ページより。
  2. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第21号21ページより。
  3. ^ 自動車ガイドブック vol.31 1984~'85 112ページ
  4. ^ 自動車ガイドブック vol.31 1984~'85 113ページ
  5. ^ 自動車ガイドブック vol.33 1986-'87 119ページ
  6. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第26号19ページより。
  7. ^ スズキ カルタスコンバーチブル 1992年式モデルの価格・カタログ情報”. 2022年9月24日閲覧。
  8. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車26号19ページより。
  9. ^ カルタスエスティーム”. 2022年9月24日閲覧。
  10. ^ カルタスエスティーム(スズキ)のカタログ”. 2022年9月24日閲覧。
  11. ^ カルタスコンバーチブル(スズキ)のカタログ”. 2022年9月24日閲覧。
  12. ^ 低価格でDOHCエンジンを搭載していた1993年型スズキ「スイフト GT」(カルタス)を廃車置場で発見”. Autoblog Japan Staff (2017年10月1日). 2017年10月2日閲覧。
  13. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第30号19ページより。
  14. ^ カルタスワゴン”. 2022年9月24日閲覧。
  15. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車 第30号19ページより。
  16. ^ スズキ関係者取材
  17. ^ カルタス(スズキ)1988年9月~1999年8月のカタログ”. カーセンサーnet. リクルート (2019年12月24日). 2019年12月24日閲覧。
  18. ^ スズキ カルタス 1988年式モデルの価格・カタログ情報”. 2022年9月24日閲覧。
  19. ^ カルタスセダン(スズキ)のカタログ”. 2022年9月24日閲覧。
  20. ^ スズキ カルタスセダン 1999年式モデルの価格・カタログ情報”. 2022年9月24日閲覧。
  21. ^ スズキ カルタスワゴン 価格・カタログ情報”. 2022年9月24日閲覧。
  22. ^ 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p92
  23. ^ スズキ四輪車 車名の由来 - スズキ公式サイト
  1. ^ 後に同社のスペーシアカスタムZのCMに出演。
  2. ^ 厳密にいえばフロンテ800は2ドアのノッチバックセダンである。また、同社の4ドアセダンとしてはこのエスティームが初となる。


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