対局譜とは? わかりやすく解説

対局譜

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第3期本因坊戦」の記事における「対局譜」の解説

第3期本因坊戦挑戦手合決戦三番勝負第1局 1946年7月26-817日 本因坊昭宇(先番)-岩本薫七段 コミ無し白番の岩本は、手厚くじっくり打ち中盤から右辺黒に攻撃をかける。黒1(145手目)で大石生き計ったところ、白2、4が手筋で隅の黒にコウ残し、黒13眼形確かめた時に、さらに白14複雑なコウ持ち込む結局コウ続かない黒が13の2路下に眼を持ち、白は左下から中央からの黒を小さく生かして形勢接近右上ヨセで黒の失着咎めて逆転する305手完、白5目勝。第2局の黒番も勝って本因坊位を獲得した

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対局譜

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柯潔」の記事における「対局譜」の解説

世界三冠達成第2回Mlily夢百合杯世界囲碁オープン戦決勝戦第5局 李世乭-柯潔(先番) 2015年百霊杯、三星火災杯優勝続いて、Mlily夢百合杯でも決勝戦進出李世乭との決勝五番勝負は、第1局、第2、3局柯、第4局勝って2勝2敗となり、第5局2016年1月5日江蘇省如皋市行われた序盤はじっくりした布石で、左上でも先番柯潔は黒1(図1、53手目)から二子捨てて左辺黒の安定を図る。右下10から利かし、白14は黒17まで一子犠牲にするが、白2024切断から30までで16の石と連動して攻勢立ったその後は白優勢に進んだが、柯は図2黒1(113手目)から下辺白の分断狙い、それに対して中央の利かし狙った白4が黒5替わって損な手で、白6の時に黒7妙手で、黒17までつながって18連絡強要して先手得て、黒19回って僅かに逆転したその後黒はヨセで損をするが、最後半コウ勝って281手まで半目勝ち、3勝2敗で優勝飾った

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第5期本因坊戦」の記事における「対局譜」の解説

第5期本因坊戦リーグ 1949年12月22-23日 藤沢庫之助-橋本宇太郎(先番) 布石で黒は5の点に飛びたいが、そうすれば白に右辺開かれる。そこで黒1(19手目)に様子見たのが橋本らしい才気溢れる手で、さらに黒3まで打って5に打ち、白は6に手を戻さざるを得ず、黒は右辺7のツメ回った続いて黒は右下1719稼ぎ、白が厚くなる左下21守った。しかしこの21不急の手で、右辺aなどと打っていれば黒が相当であった。白40から激し戦いになるが、左辺の白のシノギの手順でミス出て黒が優勢となる。最後中央の白の大石死に209手まで黒中押勝ちして橋本面目保った七番勝負貝塚茂樹高坂正顕熱心に観戦し高坂岩本苦吟する姿を見て棋譜になってしまえば対局中深刻な趣きは殆ど失われる対局中一手一手危機突破であり創造であり、問題的な未来であるのに、棋譜ではそれが解決され過去になり、確定され境位変ずるからである。ベルグソン言う通り時間は生の飛躍であり、過去になった時間はもはや時間ではない。実際切羽詰った観は棋譜ではうかがい難い。」と観戦記書いて読者感銘与えたまた、毎日新聞囲碁棋譜は、従来盤面の上と横に「いろは」「和数字」が記されていたが、この1950年から洋数字変わった

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対局譜

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半田道玄」の記事における「対局譜」の解説

第2期十段戦挑戦手合七番勝負第4局 橋本宇太郎十段(先番)-半田道玄九段 1963年12月16-17第1期十段戦では、1回戦から鯛中新杉内雅男木谷實坂田栄男破って決勝進出し橋本宇太郎との五番勝負では第1局勝ったものの、その後3連敗準優勝終わった第2期も、1回戦藤沢秀行不戦勝2回戦から岩田達明高川格大窪一玄挑戦者決定戦またしても坂田栄男終盤逆転破って橋本十段へのと挑戦者となった第1局握って半田先番12目半勝。第2局白番2目半勝。第3局橋本が白番中押勝で1勝を返した第4局は、前年第17期本因坊戦坂田挑戦した時の第5局で前実に宿泊した静岡市喜久屋」で行われた先番橋本の黒1719に対して、白は左辺ヒラキ、または15の下にツケる手も考えられた。黒21対し白aオサえると黒23引かれて、cを狙われるため、隅にこだわらずに白22から26圧迫し、黒もdから出切って隅を取る分かれになったが、手順前後があって白がやや面白い形になった。 (2譜)下辺コウ打ち抜いて黒1(111手目)の後、白4では2の方面中央に打つのが妥当だった。黒5以下応じられ左辺固めたが、そもそも白Aから隅の黒3子を取れるところなので、その手価値小さくした。黒13,15時に、白18ツグ手も有力だったが、白は左辺稼いだので、中央重視16打ち、黒17以下の稼ぎ許した形勢は細かいながら黒やや有利だったが、黒165手目疑問で、白が少し良くなり、橋本247手目から秒読み265手で終局、白半目勝で半田十段位を手にした。 第13王座戦決勝三番勝負第1局 半田道玄九段-大窪一玄八段(先番) 1965年9月15-16日 王座戦では、第5期第6期決勝進出するが、いずれも島村利博藤沢朋斎0-2敗れた第8期決勝宮下秀洋2-0破って優勝。第13期はタイトル初挑戦となる大窪一玄2-0破った第1局先番大窪が黒1(51手目)、黒9と右辺白に圧力をかける間に、白8まで中央勢力たくわえ右上10からのサバキ左上黒との振り替わりとなった。180手完白中押勝。

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対局譜

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第9期棋聖戦 (囲碁)」の記事における「対局譜」の解説

第9期棋聖戦挑戦手合七番勝負第7局 1984年3月7-8趙治勲棋聖-武宮正樹九段(先番) 3勝3敗のタイスコア迎えた第7局、握り直して先番となった武宮の三連星で始まる。白14のピンツギは、白も辛抱する分、黒にも厚みを作らせない手という。黒19はここの石を上辺模様関連付けようという手で、黒21一時間半の長考。黒23好形ノビきりを得た。白22では20の上ノビるのも考えられた。白34、黒35に、白が逃げ出すのは黒からの攻めがきついと見て、白3640と、34の石は見捨てる方針となったが、こうなると3435交換味消しであり、また黒4345厚くて気持ちのいい手になった。しかし白46が好点で、これに対する黒47楽観による緩い手で、中央を守るより右辺打ち込みなどの方が大きかったこの後、黒が46の石を取り込み行きその間に白は下辺を地にする展開となり、細かいながら白に残る形勢となった二日目1936分に終局159手まで白1目半勝となり、通算4勝3敗で趙治勲規制位を防衛した第9期棋聖戦挑戦手合七番勝負第2局 1985年1月30-31日 趙治勲棋聖-武宮正樹九段(先番) この七番勝負で武宮の先番全て三連星で、大模様実利大綱という碁形になっている第2局も、黒▲に広げて、白△に消しに来た場面で、黒が囲う手を打つなら白も打てると見ている。そこで黒1(35手目)ともたれて打ち中央白を睨んでいるため、白も強く反発できない。白8では20周辺左辺黒に圧力をかけながら、中央連絡を図るのが有力だった。黒11から隅に味付けをして、黒17からを効かす手順巧妙で、黒29まで抱えることになって優勢となった。白3032中央居直るが、黒35上辺との連絡断たれシノギ有無勝負になった黒地減らしながら大きく生きようとする白4850に対して、黒51切って、この黒石取れず周辺の黒が厚いために二眼作れ見込みもなく白は全滅109手まで黒中押勝となった第9期棋聖戦挑戦手合七番勝負第3局 1985年2月6-7趙治勲棋聖(先番)-武宮正樹九段 第3局は、序盤右上隅の折衝で黒が主導権取ったが、黒41手目が白の筋に入った手で、黒は上辺白4子を取り、白は中央突き抜く分かれとなり、白の大模様まとまり具合焦点となった。黒は下辺右辺稼いだため、白は左辺△に大きく広げ、図の黒1(79手目)の荒らしに対しては、白12と目を奪って丸ごと取り行き、盤全体詰碁となった。黒3942打ち。白30の左、白が中央連絡行けば、黒は左下白を切り離して、細かい碁になりそう。黒4757、白59、黒50シノグことができた。また黒5557の右、白56、黒58でもシノギがあった。持ち時間少ない趙は黒55したために、白56以下で大石仕留め204手まで白中押勝、武宮が2勝1敗と先行することとなった第9期棋聖戦挑戦手合七番勝負第5局 1985年2月6-7趙治勲棋聖(先番)-武宮正樹九段 第4局を趙が1目半勝ちして、第5局は、白番武宮が左上隅で大ナダレ勢力を取る定石になり、左下でも黒3557実利を稼ぐ間に、白606264中央厚く構え左辺黒は低く渡る形となり、白優勢となったその後黒は下辺白を切り離して圧力をかけて差を詰め右辺で白130悪く右辺の地を破られ、黒が逆転して優勢となったその後中央の黒地削減行った時に黒が最強応じたために手が生じ、再逆転174手まで白の中押勝となったこの後は武宮得意の大模様の碁ではなかったが、手厚く打ち進める白番の名局と言われた。 第9期棋聖戦全段争覇決勝 1984年8月30日 武宮正樹九段-小林覚七段(先番) 全段争覇戦は、七段戦優勝小林覚と、九段戦5位の武宮正樹決勝となった序盤右上で黒が中央厚く打ち、白がコウで隅を取る間に黒は右下攻め回り、その効果下辺大きく地にした。その後白が有望な局面だったが、黒が左辺荒らし行き、黒▲とサバキ求めた時に、白が左上隅のハネツギ(△)を利かそうとしたが、この隅は白18以下コウになるところなために手を抜かれ、黒1(109手目)の痛撃を受け、左上コウ争いながら左下隅をいじめられ、黒394749中央白4子をもぎり取られて、黒優勢となった195手まで黒中押勝で、小林全段争覇初優勝最高棋士決定戦初出場するが、初戦大竹英雄敗れた

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対局譜

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第10期棋聖戦 (囲碁)」の記事における「対局譜」の解説

第10期棋聖戦挑戦手合七番勝負第6局 1986年3月12-13趙治勲棋聖-小林光一名人(先番) 小林が3勝2敗で棋聖位まであと1勝と迫った第6局左上隅の大ナダレ定石で黒19の堅ツギ小林趣向で、24カケ継ぐ定石違って後手になるが、左辺中央の利き少なく、黒の厚さ違いがある。黒31に白32ハサミでは一間受けて普通だ左辺の黒を狙おうとしている白の注文外した。黒4547上下の白を分断するのが当初からの狙い。白48カケ従来の趙なら49両ガカリ打ちそうで、趙の棋風変化現れている。 (2譜)黒7(57手目)、9に対して15切断するのは単調な戦いになり白に成果見込めいために、白10変化求めたが、白20まではお互い模様荒らしていい加減な分かれで、白10の手段は成功している。左辺25から27打ち込み白地荒らした後、白84問題で、この手では25の左にハネて黒二子取り切っておくのが大きく中央を打つのであれば34一路下の方がよかった。黒49中央マグサ場にすることになって好手だった。この後、黒は中央の折衝で損があって微差形勢となったが、241手までで黒が投了作れば黒が1目半か2目半の差だった。 第10期棋聖戦挑戦手合七番勝負第3局 1986年2月5-6趙治勲棋聖(先番)-小林光一名人 黒5(25手目)に対する白6が、右下隅の黒からの出切りを防ぐための苦心の手黒7から二子にして捨てて、黒1719左辺に厚みを築いたのが好判断で、黒がやや打ちやすい。白30では31飛んでおくのが手堅いが、黒から30の上ツメられるのがつらい。黒31急所攻め。白40一日目封じ手で、42までは実戦的好手。白44から50までは必然の進行で、黒59では61カケツギでも十分だが、黒59先行して、白60からお互いに亀の甲抜き合う進行は、先手抜いた黒の厚みが大きくわかりやすくなった。その後黒は下辺で損をしたが、左上隅で巧妙な捨て石から上辺を地にして逃げ切り251手まで1目半勝。趙が2勝1敗と先行した第10期棋聖戦挑戦手合七番勝負第5局 1986年2月25-26趙治勲棋聖(先番)-小林光一名人 白が左下隅黒への攻めを狙う序盤で、黒は2手で2時間をかける長考で白にポン抜き許して頭を出す苦心の手順で、左辺模様への打ち込みから双方眼のない石が競り合う展開となり、藤沢秀行は「白は碁の形をなしてない。黒よし」、石田芳夫は「しかしそうでもない」と評価分かれる局面となるが、両者気合による乱戦ゴミゴミした碁」は小林ペースとも石田見ていた。黒1(109手目)では、中央の黒の大石補強するか、味の悪い右下黒地囲うかの選択があったが、白からの利き無くして中央間接的に応援する手を打った。しかし結果的にシノギにはあまり役に立たず白2、4が好手で、黒は最大右下黒5囲ったが、右上隅白12様子見から白36までのフリカワリで白が優勢となった中央黒も不安定だが、黒が中央補強すれば地で勝てないため39頑張ったが、白40以下この大石トン死して投了となった。黒1では5と打っていれば黒も有望だった小林はこれで3勝2敗として、棋聖位まであと1勝と迫った

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第8期名人戦 (囲碁)」の記事における「対局譜」の解説

必勝の碁を落とす 第8期名人戦挑戦手合七番勝負第4局 1983年10月12-13趙治勲名人(先番)-大竹英雄 趙2勝の後の大竹1勝で迎えた第4局は、趙が勝てば防衛近づき大竹勝てば追い上げムードが強まる。先番趙はシリーズはじめて、1手目三々から向かい小目、白は黒のカカりに三間高バサミのゆっくりした布石から中央に力を蓄えた下辺消しに来た白を攻めようとする黒1(45手目)に、白8と意表突き、さらに白18から仕掛けた。黒23では、黒24、白20の上、黒11の下、がよかった。黒27も黒29、白がその右に押さえなら27、白が30なら26の左に切れる。白34切断回り、さらに白44攻めて優勢となった。この黒が脱出を図るが、強引に切断され、白の攻め合い勝ちで必勝の形となるが、失着により無条件勝ちのところがコウになり逆転し215手まで黒1目半勝ちとなった挑戦者1勝 第8期名人戦挑戦手合七番勝負第3局 1983年9月28-29趙治勲名人-大竹英雄(先番) 白8の一間ビラキ新手。白1214の下のスベリ右下済みとの関連優った右上で白24から30まで消して右下32回ったのは大胆な手で、黒は33から右上の白を包囲していくが、黒49甘く、白50下辺広げながら中央の連絡を見る好手となった。黒は中央の攻めを見ながら左辺分断したが、白は左辺生きて中央巧妙に連絡して優勢。しかし上辺の大ヨセの手120手目)が敗着となり、黒が右辺を地にする手が大きく逆転し177手まで黒中押勝で大竹が1勝を返した名人連勝 第8期名人戦挑戦手合七番勝負第2局 1983年9月20-21趙治勲名人(先番)-大竹英雄 黒1(19手目)のツケは、白の応手見て左下はさまれた石の動き方決め作戦。白8では23打って左辺の黒を取り切る手もあった。白22では36がっちり取りきるほうがよい。黒を攻めたつもりの白24失着で、黒25打つ手がなく、黒2子を取ったものの、黒41まで黒が鉄壁の厚みとなり、24の石は無駄手となってしまった。24では右上カカって右辺構えて入れば白が有望だったその後黒は、上辺入ってきた白を攻めてさらに厚くし、中央自然と大きなになって大差の碁、185手まで黒中押勝となった新参残留 第8期名人戦リーグ 1983年2月20-24日 石田章-加藤正夫(先番) 石田章これまで1978-79年に新人王戦2連覇などの実績があるが、初のリーグ入り加藤正夫王座戦では、白1034手目)以下左辺黒地になったが、中央が厚壮。上辺で白34攻めるのに、黒35が勝手読みで、白36厳しく、白44先手でさらに厚みを増した35では43一間トビ相場のところ。その後白は右上隅を荒らす手に回ることができて細かい形勢となり、白が1目半勝ちとなった石田リーグ4勝4敗で残留果たした

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第1期名人戦(旧) (囲碁)」の記事における「対局譜」の解説

劇的なジゴ第1期名人戦リーグ最終1962年8月5-6呉清源-坂田栄男(先番) 序盤互角戦いだったが、下辺戦いからコウとなり、黒は右辺連打して優勢となる。白は上辺の黒の大石狙って左辺△(152手目)で二子動き出し、以下白18までと打ってから白20で目を取りにいく。黒から22の点が利きなくなっているため黒23までのコウとなり、白a、黒b、白cのコウ材から、白は上辺、黒は左下隅の白を取る振り替りとなった。この時点でも黒が盤面10目は優勢だったが、坂田ヨセ後退して盤面5目、白のジゴ勝ちとなり、劇的な藤沢名人誕生となった。この時はジゴ確認するために、念のため記録係中山典之別室並べ直し2度行った

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第10期名人戦 (囲碁)」の記事における「対局譜」の解説

新名誕生 第10期名人戦挑戦手合七番勝負第7局 1985年11月20-21趙治勲名人-小林光一(先番) 小林の3勝1敗から趙2連勝タイスコアとなって、第7局が名人位決め決戦となった先番小林右下隅で二間高バサミではハサミ返しされるの嫌って一間ハサみ、白は黒が下辺展開するのを避けて下ツケ変化にでたが、この部分分かれ右辺の黒の幅がよいと見られる。白は下辺左下で地を持って。黒は中央白への攻め味を見る展開となったが、いったん黒1(61手目)と右上隅を固めて様子見た。そこで白もすぐに白2、4と荒らし行ったが、黒5カラミ攻めを狙う。白は6、8と応じて厚くし、右上の白は捨てる手も見る。白6で10打てば生きることはできるが、黒6のハネからどんどん押され上辺黒地にされてしまう。黒9がすごい手と言われ、これで普通に10打てば白2子は取れるが、白から右辺ハネツギヨセが残るため、白も2子を捨てやすくなるのを防いだ結局12から2子は捨てたが、この時点では難し勝負で、上辺いっぱいに囲おうとした32敗着で、黒33以下で楽に荒らされてしまった。この手では28からケイマぐらいに囲え難しかった。黒37では39二間でも生き容易だった。黒46では39の左にカカエるのが最善だが、白46、または49の2路下の二間飛びでも黒勝ち。白50投げ場求めた手で、黒51に白が51の右に打てば、黒は39の左にノビて白3子が取られるため、ここで白投了となった小林先勝 第10期名人戦挑戦手合七番勝負第1局 1985年9月11-12趙治勲名人-小林光一(先番) 双方じっくりした布石始まった。黒1(31)は衆目一致する好点だが、白2では1下にグズむ方がこの碁では優った実戦進行は黒が地にカラく、黒からの攻めもあまり期待できない。白22好手。黒23左辺白への攻め狙っている。そこで白3032ハネるのが有力。白30と黒31交換は黒を固めてしまったため、今度は白32相手をせず黒33と好点ヒラいて、黒が地合い優位に立った。白32では、33の右にヒラくか、何も打たず34の右に打ち込んで荒らす手が考えられた。この後白は右下右辺勝負手繰り出すが、秒読み追われた白は最善逃し、黒が逃げ切って先勝した。 大斜作戦名人完勝 第10期名人戦挑戦手合七番勝負第2局 1985年9月25-26趙治勲名人(先番)-小林光一 黒1(7手目)の大斜ガケは、ここの対応によって右下隅の白に対す打ち方変える意図好手だった。左下の白が根拠のない形になれば、右下ハサミ肩ツキなどで高圧して戦い主導権を取ることができる。また白12では白14、黒15、白45に這う定石の方が有力だった。黒23新手評価高く、白32までの分かれは黒がやや打ちやすい。白36に隅を受けず37カカったのも柔軟な着想。黒41ツケ好手で、白は4850気合い反発したが、黒47まで隅の白と振り替わって黒が優位に立ったその後黒は下辺も地にして、中央の白地消し行った石も巧妙にシノいで、盤面10目以上の差となった最後ヨセで白の見損じがあって投了、趙が完勝1章返した新鋭奮闘 第10期名人戦リーグ 1985年8月15日 依田紀基-小林光一(先番) 依田18歳での名人・本因坊リーグ入り当時最年少記録、五段でのリーグ入り加藤正夫四段に次ぐ記録注目集めたが、リーグ戦7局までで山城勝ったのみの1勝6敗とリーグ陥落決まっていた。一方小林は6勝1敗でこのリーグ最終局に勝てば挑戦決定敗れると2敗者同士プレーオフとなっており、過去両者対戦成績小林の4戦全勝だったが、依田闘志燃やして対局臨んだ序盤右上隅で白番依田ハザマ飛びから梶原定石となり、白は28手目で1への押しではなく右下△のケイマガケを選択して広い碁形を目指す。黒1(29手目)には白2と外すのが常形。黒15では黒27、白30、黒32、白43までを利かす手もあったが、打たなかったので白24ノゾキ大きな利かしになり、白26封鎖に黒は低位生きることが必要となった。白は先手で厚みを築き左下46カカリ回り下辺大きな模様築いて優勢となった。黒4531の下にサガって生きると、白から7左の切りが先手になる。その後ヨセ徐々に細かい形勢になり、白180手目最後敗着で、216手完で黒の逆転半目勝ち、小林挑戦者決定した

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対局譜

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苑田勇一」の記事における「対局譜」の解説

趙治勲先勝14期天元戦挑戦手合五番勝負第1局 趙治勲天元 - 苑田勇一九段(先番) 1988年11月17日14期天元戦で苑田は、1回戦マイケル・レドモンド2回戦工藤紀夫に勝ち、準々決勝対戦相手依田紀基病気不戦勝準決勝武宮正樹決勝小林覚破り3度目五番勝負出場となった第1局は黒1(15手目)が苑田独特の広げ方で、白10手を抜いて1115上辺拡大したこの後白はaから右上侵入したが、黒は巧打下辺から上辺につながる大模様築いて優勢とし、中央から下辺侵入した白石捕獲して、半目勝ちで先勝した。 第2局以降も、苑田の大模様に趙が踏み込む展開となり、4局目も苑田の半目勝ちで2-2としたが、第5局敗れて天元獲得はならなかった。

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対局譜

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第17期本因坊戦」の記事における「対局譜」の解説

大見損じ投了第17期本因坊戦挑戦手合七番勝負第1局 1962年4月18-19日 本因坊栄寿-半田道玄九段(先番) 先番半田左上での新手の後、下辺上辺で黒が地で先行し、白の坂田左上の黒をいじめる展開となってやや優勢。白△(100手目)のノゾキに、黒1、3と変化し、白は得た厚みを背景右上10以下と稼ぐ。白22余計な手順で、白30まで後手を引き、黒31回られてかなり細かい。しかし黒51見損じで、白5254打たれ投了。黒aと切っても以下白b、黒c、白dの両コウになる。5152ツイでいれば半目勝負だった。 「壮大な捨て石第17期本因坊戦挑戦手合七番勝負第2局 1962年4月26-27日 本因坊栄寿(先番)-半田道玄九段 坂田が初めて黒番第1着を三々打った。黒は右下、白は左辺方面広げようとするが、黒1(31手目)、白2時に、黒3、5と切って行ったのが、絶妙な捨て石作戦で、囲碁界驚かせた。3で黒17、白4となるのは平凡策。白22まで黒5子は取られているが、黒2123中央大きく構えて優勢となった。白1213利かしてシメツケ防いだが、左上ダメ詰まったために、白22備えが必要。白24消しにも、黒15の石を活用して白の連絡断ち、この白石サバキ与えず下辺黒地大きくまとめて大差優勢とした。219手黒中押勝。 「勝機をとらえる」第17期本因坊戦挑戦手合七番勝負第4局 1962年5月18-19日 本因坊栄寿(先番)-半田道玄九段 白が黒の上辺の大模様消しに来た機を捉えて、黒は下辺一手備えるぐらいでも十分な形勢だったが、黒1(75手目)から9と一気勝負決め出た。7の犠打11アテ確保し、黒17までで中央の白石大きく飲み込んでしまった。この後白は下辺の黒を確保したが、黒は手堅く打って大差

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対局譜

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曺承亞」の記事における「対局譜」の解説

妙手TOP5」農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦韓国予選 曺承亞 - 鐘勳(先番) 2019年7月10日 曺の白1から3、5が妙手で、地中に手が生じている。この後右下黒と白攻め合いコウとなって、白が右下取り、黒はコウ材で下辺中央の白を取り切る分かれとなり、白が優勢となった。白中押勝。

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対局譜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 10:38 UTC 版)

第18期本因坊戦」の記事における「対局譜」の解説

大逆転第18期本因坊戦挑戦手合七番勝負第1局 1963年4月22-23日 本因坊栄寿-高川格九段(先番) 先番高川二連星布石始まり中盤まで黒が打ちやすい形勢だったが、左上隅での戦いで白が優勢となった107手目一日目封じ手となったところで高川長考し、疲労激し坂田が「部屋引き揚げてもいいですか」とたずね、高川は「どうぞ」と答えてから44分の長考ののちに107手目盤上打ち記録係に「書き入れてくださいと言うという、珍しい封じ手となった二日目になって黒は下辺黒石犠牲にして上辺の白の大石切り離して攻撃をかけ、白がシノぐ展開となったが、黒1(237手目)が妙手で、白の大石の右半分取られることになり、黒の逆転勝ちとなった。 「坂田サバキ第17期本因坊戦挑戦手合七番勝負第2局 1962年4月26-27日 本因坊栄寿(先番)-高川格九段 このシリーズでは坂田は黒番でも白番でも三々布石打った。白24の後、黒はaにツケ、白はその左にハネ、黒切りというサバキになったが、黒51が隅の攻め合いの手数を伸ばす意表をついた手で、これへの応手を白が誤り、もともと白のシマリだったところが黒有利な1手ヨセコウとなって、黒が大優勢になった。黒は白に損コウ打たせたことで、コウは白に譲り右下左上中央の大どころ打ってその後手堅い着手終始し、差は縮まったが、237手まで黒中押し勝ち。最後まで作れば盤面8目差だった。 「天王山一局第18期本因坊戦挑戦手合七番勝負第5局 1963年6月5-6日 本因坊栄寿-高川格九段(先番) 2勝2敗で迎えた第5局となり、高川としてはこの局に勝つとこれまでの勝利パターンになると考えていた。13手目まではリーグ戦での木谷-高川戦と同じ手順中央の模様消しで白は急所逃し、黒優勢となった坂田形成楽観していたが、打掛の夜の2時頃に目を覚まして盤面思い浮かべているうちに白の劣勢に気づいて愕然とし、朝まで一睡もできなかったという。高川優勢意識していたが、疲労激しく二日目の昼休憩でも食欲が全くなく、部屋布団敷いてもらってになっていた。休憩中に師匠光原伊太郎将棋藤内金吾訪ねてきたが高川挨拶をするのも億劫なほどだった。白は下辺の黒にコウ仕掛け勝負手から寄り付いていき、122手目で△にコウツギ、黒1(137手目)と打ってシノギはありそうであったが、白4から稼いで形勢はかなり接近した。黒優勢ヨセ入ったところで、黒2729アテたのが敗着で、アテ手を抜いて30大きな逆ヨセ打たれ逆転し、白半目勝ちとなった。黒27では30コスむのが大きく、黒30白a、黒bと打っていればば優勢維持できていて、黒1目半勝ちであったろうという。高川は「こんな簡単なコスミをなぜ見のがしたのか、自分でもわからない」「くやしさむなしさで、その夜一睡もできなかった」と語っている。

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対局譜

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第2期名人戦(旧) (囲碁)」の記事における「対局譜」の解説

第2期名人戦挑戦手合い七番勝負第7局 1963年9月29-30日 藤沢秀行名人-坂田栄男(先番) 坂田が2連勝3連敗から1勝を返した後の第7局は紀尾井町福田屋行われ握り直して先番藤沢は、3手目初め打ったと言う三々坂田の得意を逆用する。左辺11一路下のカケツギ13一路下にヒラクのが普通と言われたが、好点の白14誘って右辺15に回る作戦だった。 黒は右辺の白を攻めて、やや厚い形勢見ていた。中央のマグサ場が焦点となった局面で、白2120手目)が誰も予想しなかった妙手で、以後中央を白が地模様にして僅かに逆転したその後藤沢動揺して悪手重ね最後右下を白に手にされて、178手までで投了坂田は4勝3敗で第2期名人となった第2期名人戦挑戦手合い七番勝負第5局 1963年9月12-13日 藤沢秀行名人-坂田栄男(先番) 黒番坂田は序盤右上三々肩ツキズラズラ這って地にしたが、やや利かされだったという。その後下辺の白模様巧妙に荒らして、細かい局面となった中央の戦いで黒9(129手目)が敗着で、白10となって優勢となった212手完白2目勝、藤沢辛抱重ねて3連勝した

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対局譜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/22 13:40 UTC 版)

第1期名人戦 (囲碁)」の記事における「対局譜」の解説

第1期名人戦挑戦手合七番勝負第5局 1976年10月27-28日 大英雄名人(先番)-石田芳夫九段 挑戦者石田が3連敗後1勝の後の第5局は、序盤ゆっくりした碁で、白番の石田ペースかと思えた右上隅で白46手目に△と全体の黒の薄味うかがったが、黒1(47手目)から、黒3のコスミツケ一本で隅を間に合わせて黒5打ったのが絶妙の1手と言われ、黒15までさばき形に進んだこの後、隅の手順で白が間違えて、黒が勝勢となった129手まで黒中押勝となり、大竹名人位防衛2連覇となった。白△の手では7の点に飛んでおけば、黒の薄味を守るのが難しかったったろうというのが、解説林海峰意見だった。 石田1勝 第4局 1976年10月20-21日 大英雄名人-石田芳夫九段(先番) 先番石田の黒1(29手目)の利かそうとする手に大竹白2反発した一日目封じ手誰も予想できない右辺黒7ツケで、石田この手1時間20分を使っている。二日目になって黒9と突き出して黒のペースだが、白16敗着に近い悪手で、黒19中央厚くする絶好点となり、さらに右辺25まで模様大きくなって、黒の優勢となった。白16では一路右に打つべきだったその後黒が右上失着があり、中央大きな白地ができたが、黒がリード守り切って229手まで黒2目勝。ようやく1勝を挙げた

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対局譜

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安井知哲」の記事における「対局譜」の解説

道策とは御城碁初出時の対局含め48局の棋譜を遺しており、道策対戦相手としてはもっとも多い。当初1歳年下道策定先だったが、6番手直り5度30局で知哲二子となり、二子26局で知哲1番勝ち越し最終的には先二の手となった寛文10年(1670年)の知哲先番中押勝の碁は、知哲の傑作とされる。 他に本因坊道悦井上道砂因碩井上道節因碩星合八碩本因坊策元本因坊道知林玄悦門入との棋譜が遺されている。御城碁では、道策に先で1勝1敗、道的と互戦で2敗など。 漫画ヒカルの碁」において佐為-菅原顕忠戦の棋譜は、寛文9年10月14日の知哲(先)-道策戦が使われた。 御城碁成績 寛文7年1667年先番5目負 本因坊道策 寛文9年1669年) 白番4目負 林門入 寛文10年1670年) 白番2目負 林門入 延宝4年1676年) 白番2目勝 井上道砂因碩 延宝5年1677年先番5目負 本因坊道策 天和元年1681年先番19目負 本因坊道策 貞享4年1687年) 白番13目負 本因坊道的 元禄元年1688年) 白番12目負 本因坊道的 元禄2年1689年先番17目負 本因坊道的 元禄3年1690年) 白番6目負 井上道節因碩 元禄4年1691年) 白番中押負 井上道節因碩 元禄5年1692年) 白番13目負 本因坊策元 元禄6年1693年先番1目勝 井上道節因碩 元禄7年1694年) 白番5目負 井上道節因碩 元禄8年1695年先番9目勝 井上道砂因碩 元禄9年1696年) 向三子6目負 林玄悦門入 元禄10年1697年先番中押負 井上道節因碩 元禄11年1698年) 白番8目負 本因坊策元 元禄12年1699年) 白番中押負 井上道節因碩

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対局譜

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第16期本因坊戦」の記事における「対局譜」の解説

10年目恋人 第16期本因坊戦挑戦手合七番勝負第1局 1961年5月3-4日 本因坊秀格-坂田栄男九段(先番) 黒5、7に続いて9にカカって17までとする打ち方趣向呼ばれたが、その後一般化している。黒33に白34反発して戦いになったが、白54高川見損じで、黒73時に77ワタるのが先手になると錯覚していた。これで白の大損となったが、黒7581決め手逃しており、白88二子取って生きては、形勢接近したその後白は上辺黒の切断睨みながら左辺荒らしにいく勝負手放つが、続いて自らのダメ詰め悪手があり、黒の坂田第1局制したシノギの力 第16期本因坊戦リーグ同率決勝戦 1961年4月21-22日 坂田栄九段-木谷實九段(先番) 坂田リーグ戦では木谷敗れていたが、この局では木谷の逆をとって地に辛い碁を打とうとした。黒25対す26から34ワタリにそれが現れている。白40苦心の手で、黒が上ハネや下ハネならさばく手を狙っている。白60から持って行ったのが巧手で、右下の白が直接逃げ出すのでは右上の白ともカラミ攻めになって苦しい。白62から64の大がけが成立して、白は5157二子切り取って生きること成功した。黒は右上の白に猛攻をかけるが、白はこれをシノいで、左上の黒を攻め態勢となって優勢確立し、白番3目半勝となった。この二日目夜に坂田老眼鏡取り出し、これが坂田眼鏡をかけて対局する最初だった。 坂田は、過去本因坊戦リーグでは毎年挑戦者候補候補筆頭挙げられていたなら、2回プレーオフ敗れるなど壁を突破できず、「私の性格勝負師には向いていない」とこの頃はよくぼやいていたが、この碁ではシノギの力を発揮して激し読み合い制した

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