藤沢朋斎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/08 14:49 UTC 版)
藤沢 朋斎(ふじさわ ほうさい、1919年(大正8年)3月5日[1] - 1992年(平成4年)8月2日[1])は、囲碁棋士。本名は藤沢庫之助(ふじさわ くらのすけ)。神奈川県出身。日本棋院の大手合による昇段制度初の九段。呉清源と3度の十番碁を戦った。棋風は深い読みに裏付けられた力戦派で、「ダンプカー級の突進力」などと形容された。また白番のマネ碁を多く試みたが、シチョウを利用したマネ碁対策が現われてからは成績は芳しくなかった。藤沢秀行名誉棋聖は年下の叔父(母の弟[2])、小島高穂九段は甥(姉の子[3])、藤澤一就八段は従弟、藤沢里菜四段は従姪にあたる。
固有名詞の分類
- 藤沢朋斎のページへのリンク