鳥栖市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/27 22:01 UTC 版)
概要
九州の陸上交通網において、福岡県・熊本県・宮崎県・鹿児島県を結ぶ南北軸(九州縦貫自動車道・国道3号・鹿児島本線・九州新幹線)と、長崎県・大分県を結ぶ東西軸(九州横断自動車道長崎大分線・国道34号・国道500号・長崎本線)の交点に位置し、国道や鉄道の結節点にあるため、物流施設の集積地でもある。佐賀県における人口規模は佐賀市・唐津市に次ぐ3位だが、人口密度は両市を上回り佐賀県内の自治体で第1位である。
鳥栖ジャンクションがあり、2011年(平成23年)には九州新幹線の全線開業に合わせて新鳥栖駅が完成した。交通の利便性から企業進出が相次いでおり、人口増加が顕著である。
日本四大売薬の一つとして知られる田代売薬が栄えた土地である。鳥栖市に本社を置く久光製薬は田代売薬を祖とする企業である。
九州で唯一の地方競馬場である佐賀競馬場がある。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するサガン鳥栖のホームタウンであり、JR鳥栖駅東側に駅前不動産スタジアムがある。
東洋経済オンラインの「住みよさランキング」では上位にランクインすることが多く、2010年(平成22年)は九州ブロックで1位、全国総合ランキングで4位となった[1][2]。
地理
筑紫平野(佐賀平野)に位置し、南の境を筑後川が流れる。低地は水田に利用され、その中に市街地がある。北西部は脊振山地の東部にあたる。市外局番は0942(福岡県久留米MA:全域)。
- 山:九千部山(848メートル)、石谷山(754メートル)、城山(501メートル)、群石山(201.1メートル)、朝日山(132.9メートル)、雲野尾峠(400.1メートル)
- 川:筑後川、宝満川、安良川、大木川、山下川、秋光川、浦田川、本川川、前川、轟川、薬師川、宿川、重川
- ダム:河内ダム
- 溜池:蔵土溜池・蔵上溜池・宿溜池・池田上溜池・池田下溜池・古野溜池・原古賀上溜池・原古賀下溜池・古賀第1溜池・古賀第2溜池・第1国泰寺溜池・第2国泰寺溜池
- 滝: 御手洗の滝
隣接している自治体
人口
鳥栖市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 鳥栖市の年齢・男女別人口分布(2005年) | ||
■紫色 ― 鳥栖市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | ||
鳥栖市(に相当する地域)の人口の推移 | |||
総務省統計局 国勢調査より |
歴史
古代から江戸時代まで
「魏志倭人伝」の「對蘇(ツサ)」は鳥栖を指す可能性が高い。[3][4]
鳥栖の歴史は古く、ヤマト政権には既に「鳥巣(とりのす)」と読まれていた。
古文書「肥前国風土記」によると「応神天皇の御代、この地に鳥屋が置かれた」とあり、この地で様々な鳥を飼育して献上していたことから「鳥巣」と称していたが、これが後に「鳥栖」に転化したという。
鳥屋が多かったことから、古くから養鶏の盛んな土地であった。
江戸時代
藩政において、現在の市域東部は対馬府中藩の飛び地で「田代領」と呼ばれ、長崎街道田代宿の宿場町であった。又、鳥栖市街地には、同じく長崎街道轟木宿の宿場が置かれていた。
田代宿には、対馬府中藩の米倉や代官所が設置されていた。また、朝鮮通信使の立ち寄る場所であり、応接の為の施設も備えられた。藩主の宗氏が、朝鮮との貿易で朝鮮から輸入した漢方薬の実物と知識が豊富に供給された事と、収入源を確保する目的から、領民には薬の製造を副業とする者が増え、次第に他領でも行商するようになった。江戸時代後期には日本四大売薬の一つと数えられ、九州の薬商の大半を田代産の薬が占める程であった。
明治期から第二次世界大戦まで
佐賀の乱や西南戦争時に薬が不足したことをきっかけに製薬業の拡大がみられた。日清戦争期には、現在の久光製薬などが「佐世保や広島といった軍都に近い」地の利を活かして販路を拡大させている。また、江戸時代から続いた綿織物生産は生糸生産に代わり、養蚕が盛んになった。
後述する鉄道網の整備により、大正から昭和初期にかけて製糸工場(養蚕業)や製粉工場(当時裏作として小麦を生産していた)が開業したものの、第二次世界大戦時には戦況悪化による衰退がみられた。
交通都市としての発展もみられ、鉄道網としては九州鉄道の最初の区間として博多から筑後川北岸まで開通した(現在の鹿児島本線、1889年(明治22年))のを始め、1891年(明治24年)には佐賀、1898年(明治31年)には長崎・佐世保方面(現在の長崎本線・佐世保線・大村線)までが開業し、1934年(昭和9年)の久大本線全通をもって東西南北へと整備された。最盛期の1948年(昭和23年)頃には「鉄道の町」「煤煙の町」と称されるほどであった。
- 1874年(明治7年) - 佐賀の乱が勃発。市内朝日山において、政府軍と反乱軍の戦闘が行われた。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制により、以下の各村が発足。
- 1896年(明治29年)3月26日 - 郡制施行により、上記各村は全て三養基郡に属する。
- 1907年(明治40年)3月19日 - 轟木村が町制を施行し、鳥栖町となる。
- 1936年(昭和11年)2月11日 - 田代村が町制施行し、田代町となる。
第二次世界大戦後
1954年(昭和29年)4月には鳥栖町・田代町・麓村・基里村・旭村の2町3村が合併し鳥栖市が成立。「鉄道の町」としての機能を失いつつあったのに対し、道路網の整備が進められ(1960年(昭和35年)の国道34号改良、1972年(昭和47年)の鳥栖筑紫野道路開通、1973年(昭和48年)の鳥栖ジャンクション開通)、交通都市としての性質も変化した。
文字通り「交通都市」となった鳥栖市は、地の利を活かした企業誘致を進めたことにより、工業都市としても発展を続けた。現在は物流拠点としての整備も進められている。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 鳥栖町、田代町、基里村、麓村、旭村が対等合併して市制を施行し、鳥栖市が発足。
- 1961年(昭和36年) - 鳥栖駅を含む鹿児島本線門司港-久留米間が電化開通。昭和30年代、鳥栖機関区は従業員約700人・在籍機関車50両以上と全盛期を迎える。
- 1962年(昭和37年) - 「轟木工業団地」造成開始。企業誘致が活発化し1967年には製造出荷額で佐賀市を抜いて県内で1位になる。
- 1965年(昭和40年) - 国立九州工業技術試験所(現在の産総研九州センター)開所
- 1972年(昭和47年) - 鳥栖筑紫野有料道路が完成
- 1973年(昭和48年) - 鳥栖インターチェンジ - 鳥栖ジャンクション - 南関インターチェンジが開通
- 1976年(昭和51年) - 佐賀県で第31回国民体育大会(若楠国体)開催。鳥栖市ではバレーボールと馬術を実施。女子バレーボール(成年女子)で久光製薬バレー部が優勝。
- 1978年(昭和53年) - 流通・製造の拠点「鳥栖商工団地」の分譲開始(1980年流通部門用地完売、1987年全区画完売)
- 1984年(昭和59年) - 鳥栖駅操車場(ヤード)廃止
- 1985年(昭和60年) - 佐賀大和IC-鳥栖JCTが開通
- 1987年(昭和62年) - 九州横断自動車道・鳥栖-朝倉間開通、ジャンクション全面供用開始
- 1990年(平成2年) - 「鳥栖西部工業団地」完成
- 1993年(平成5年) - 鳥栖北部丘陵新都市「弥生が丘」の開発開始(1998年住宅分譲開始)
- 1994年(平成6年) - PJMフューチャーズ(後の鳥栖フューチャーズ)が鳥栖市に移転。鳥栖市のプロサッカーチームの歴史が始まる。
- 1996年(平成8年) - 鳥栖スタジアム完成
- 1997年(平成13年) - 鳥栖フューチャーズが解散。同年中にサガン鳥栖が新たに創設される。
- 2001年(平成13年) - JR鹿児島本線に弥生が丘駅が開設
- 2004年(平成16年) - 鳥栖プレミアム・アウトレット開業
- 2006年(平成18年) - 物流団地 「グリーン・ロジスティクス・パーク鳥栖」分譲開始(2013年完売)、佐賀県立九州シンクロトロン光研究センター開所
- 2011年(平成23年) - 九州新幹線鹿児島ルート・新鳥栖駅が開業
- 2013年(平成25年) - 九州国際重粒子線がん治療センター(愛称・サガハイマット)開設
- 2023年(令和5年)5月7日 - 市役所新庁舎落成式[5](5月8日から業務開始[6])。
行政区域変遷
- 変遷の年表
鳥栖市市域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 旧鳥栖市市域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の村がそれぞれ発足。[7][8] |
1896年(明治29年) | 3月26日 | 養父郡・三根郡と基肄郡とともに合併し三養基郡が発足。 |
1907年(明治40年) | 3月19日 | 轟木村は町制施行・改称し、鳥栖町になる。 |
1936年(昭和11年) | 4月1日 | 田代村は町制施行し、田代町になる。 |
1954年(昭和29年) | 4月1日 | 鳥栖町・田代町・基里村・麓村・旭村とともに合併し鳥栖市が発足。 |
- 変遷表
鳥栖市市域の変遷表 | |||||||
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1868年 以前 |
明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
養父郡 | 轟木村 | 轟木村 | 明治29年3月26日 三養基郡発足 |
明治40年3月19日 鳥栖町に 町制改称 |
昭和29年4月1日 鳥栖市 |
鳥栖市 | 鳥栖市 |
藤木村 | |||||||
真木村 | |||||||
鳥栖村 | |||||||
宿村 | 麓村 | 麓村 | |||||
山浦村 | |||||||
立石村 | |||||||
牛原村 | |||||||
江島村 | 旭村 | 旭村 | |||||
儀徳村 | |||||||
下野村 | |||||||
基肄郡 | 田代村 | 田代村 | 昭和11年2月11日 町制 | ||||
永吉村 | |||||||
柚比村 | |||||||
神辺村 | |||||||
萱方村 | |||||||
酒井東村 | 基里村 | 基里村 | |||||
酒井西村 | |||||||
姫方村 | |||||||
飯田村 | |||||||
酒井東村の一部 | 基山村 の編入 |
昭和14年1月1日 町制 |
昭和34年 鳥栖市の編入 |
注釈
出典
- ^ 住みよさランキング2010年版(住みよさランキング総合評価)
- ^ 住みよさランキング2010年版(地方別ランキング(3))
- ^ 安本美典「倭人語の解読」勉誠出版 2003年 271頁
- ^ John R. Bentley. "The Search for the Language of Yamatai". Japanese Language and Literature Vol. 42, No. 1 (Apr., 2008), p. 28
- ^ 市民の安全守る拠点に 鳥栖市庁舎、落成式 5月8日業務開始 災害対策充実 2023年5月7日 佐賀新聞
- ^ 新庁舎が完成しました 2023年5月9日 鳥栖市
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 41 佐賀県』、角川書店、1982年 ISBN 4040014103より
- ^ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180より
- ^ 60年のあゆみ 1954~1963年 - 鳥栖市
- ^ a b 60年のあゆみ 1964~1973年 - 鳥栖市
- ^ “市報とす 第660号 平成2年4月15日” (PDF). 鳥栖市. p. 3. 2017年10月30日閲覧。
- ^ 60年のあゆみ 1984~1993年 - 鳥栖市
- ^ “議員名簿”. 2018年12月22日閲覧。
- ^ “会派名簿”. 2018年12月22日閲覧。
- ^ “市報とす 昭和59年4月1日号”. 鳥栖市. p. 4. 2021年8月15日閲覧。
固有名詞の分類
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