熊本市動植物園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/26 04:30 UTC 版)
動植物園へ移動時のエピソード
竹田 斎(ひとし)元熊本動物園園長の著書から[24]
- 1961年(昭和36年) - 1962年(昭和37年)のころは「広い敷地に移転して若返りを」の声が市役所や議会で大きくなりました。移転候補地としては熊本城と山なら西山地区に立田山、そして水辺の江津湖が有力になります。江津湖を選んだのは1965年(昭和40年)2月12日と13日に上野動物園の初代園長の古賀忠道さんを呼んで候補地を調査した時に、古賀さんに「ここがいい」と推薦してもらったから。1965年(昭和40年)の12月に用地買収がまとまった。最初はぶかぶかの湿田で閉口した。水路と道路で池を作り、島と島をつなぐ橋を架け、予定した外形ができあがって色々な施設を作っていった。動物の移動で一番大変だったのは猛獣です。
- 神経質なライオンやトラは腹をすかせたときにオリに入れた。インド象もたいへんだった。輸送時はライフル銃と麻酔銃を用意した。ニシキヘビは水道水をかけた。ワニは動物園長がしっぽを捕まえてオリに移した。カバは何日も食事で慣れさせてからオリに入れた。クマは麻酔がさめ、園長の中指と薬指を噛んだので、中指は縫合したが薬指は第一関節から先はアルコール漬けになった。
脚注
参考文献
- 「熊本動物園60周年記念 動物園ものがたり」熊本動物園 1989年
- 「動物大移動ものがたり」竹田 斎(ひとし)著 熊本日日新聞社 2008年
外部リンク
- 熊本市動植物園ホームページ
- 熊本市動植物園 (KumamotoCityZoo) - Facebook
- ^ a b c d e “熊本市動植物園遊具等更新事業(遊具、カフェ・レストラン等)について”. 熊本市資産マネジメント課動植物園. 2024年5月26日閲覧。
- ^ 熊本市のあゆみ 歴史年表(大化~昭和55年) - 子ども部屋(くまもと市キッズページ)
- ^ 1971年の憲法記念日に生まれたため、名付けられた。
- ^ [1] 熊本日日新聞・くまにちコム・2011年8月17日閲覧[リンク切れ]
- ^ 2000年に多摩動物公園で生まれ、2003年12月に来園。
- ^ 日本平動物園のアムールトラで2020年に死亡した「ナナ」の娘。[2]
- ^ アムールトラがやってきた!!
- ^ クロジャガーのチャペの献花台
- ^ “液状化、被害深刻 再開少なくとも1年以上 熊本市動植物園”. 西日本新聞. (2016年5月9日) 2016年5月9日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “熊本市動植物園が部分開園 地震後10カ月ぶり”. 熊本日日新聞. (2017年2月25日) 2017年3月6日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “ライオン赤ちゃん3頭の名前決まる 熊本市動植物園”. 西日本新聞. (2020年7月21日)
- ^ “ウンピョウのイーナ死ぬ 熊本市動植物園”. 西日本新聞. (2019年5月23日)
- ^ コジロウ死亡のお知らせ
- ^ 【報道資料】長い間、ありがとう オタリアのマイが死亡しました
- ^ 【報道資料】今までありがとう ウンピョウのジュールが死亡しました
- ^ レオ、ココ元気でね 熊本市動植物園の子ライオン、大分へ
- ^ 「ワンピースのチョッパー像、地震で獣舎が被災した市動植物園にお目見え…手に聴診器」2020年11月09日 読売新聞(2020年11月09日閲覧)
- ^ “国内で2頭だけ、マサイキリンの雌を無償譲渡…繁殖のために「嫁入り」 : 社会 : ニュース”. 読売新聞オンライン (2021年12月10日). 2021年12月10日閲覧。
- ^ シセンレッサーパンダが来園しました。
- ^ レッサーパンダの出産と今後の展示について
- ^ 赤ちゃんレッサーパンダ、名前は「杏香」です! 熊本市動植物園 性別「雌」と判明
- ^ 熊本大学から提供したデバネズミ、熊本市動植物園で一般公開
- ^ ユキヒョウのスピカが亡くなりました
- ^ 竹田 斎(ひとし)『動物大移動ものがたり』熊本日日新聞社、2008年11月。ISBN 978-4-877553265。
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