東方問題
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「東方問題」関係年表
- 1389年 - コソボの戦い
- 1396年 - ニコポリスの戦い
- 1448年 - コソボの戦い
- 1453年 - コンスタンティノープルの陥落、ビザンツ帝国滅亡
- 1526年 - モハーチの戦い(Ottoman–Habsburg warsの始まり)
- 1529年 - 第一次ウィーン包囲
- 1536年 - ベオグラード条約(Franco-Turkish treaty)、フランスにカピチュレーションを付与(Franco-Ottoman alliance)
- 1538年 - プレヴェザの海戦
- 1571年 - レパントの海戦
- 1663年 - 墺土戦争(〜1664年)
- 1664年 - Peace of Vasvár(1663年の墺土戦争の講和条約)
- 1683年 - オーストリア・トルコ戦争(〜1699年)開始、第二次ウィーン包囲
- 1699年 - カルロヴィッツ条約(Ottoman–Habsburg warsの講和条約)、コンスタンティノープル条約(1700年)はロシアが南下政策を開始する契機となった
- 1700年 - 大北方戦争(〜1721年)
- 1710年 - 露土戦争(〜1711年)
- 1711年 - ピョートル1世、モルダヴィア侵攻(プルート川の戦い)。プルート条約(1710年の露土戦争の講和条約)
- 1714年 - Ottoman–Venetian War (1714–1718)
- 1716年 - 墺土戦争(〜1718年)
- 1718年 - パッサロヴィッツ条約(Ottoman–Venetian Warと墺土戦争の講和条約)
- 1723年 - ピョートル1世のロシア帝国の攻撃に遭いバクーが陥落。オスマン・イラン戦争 (1723年-1727年)
- 1730年 - アフシャール・オスマン戦争 (1723年-1727年)
- 1735年 - オーストリア・ロシア・トルコ戦争(露土戦争とも、1735年 - 1739年)
- 1739年 - ベオグラード条約(1735年の露土戦争の講和条約)、ロシアによるアゾフの領有が確定
- 1768年 - 露土戦争(〜1774年)
- 1774年 - キュチュク・カイナルジ条約(1768年の露土戦争の講和条約)、トルコ領内の正教徒保護権をロシアが獲得
- 1783年 - ロシアのクリミア・ハン国征服
- 1787年 - 露土戦争(〜1792年)、墺土戦争(〜1791年)
- 1789年 - フランス革命、革命の影響が徐々にバルカン半島にも及び、19世紀前半にはバルカン諸民族の独立運動が激化
- 1791年 - シストヴァ条約(1787年の墺土戦争(〜1791年)の講和条約、1526年以来のOttoman–Habsburg warsがようやく終わった)
- 1792年 - ヤシ条約(1787年の露土戦争の講和条約)
- 1796年 - エカチェリーナ2世がZubov将軍にTranscaucasiaへの戦争を指示。バクーが陥落
- 1798年 - ナポレオンによるエジプト占領
- 1804年 - ロシア・ペルシャ戦争(〜1813年)
- 1813年 - ゴレスターン条約(1804年のロシア・ペルシャ戦争の講和条約)、カージャール朝イランがグルジアとアゼルバイジャンの主権を放棄。
- 1817年 - コーカサス戦争(〜1864年)
- 1821年 - ギリシャ独立戦争(〜1829年)
- 1826年 - Ottoman–Egyptian Invasion of Mani。ロシア・ペルシャ戦争(〜1828年)
- 1828年 - トルコマーンチャーイ条約(1826年のロシア・ペルシャ戦争の講和条約)、カージャール朝イランがロシアにアルメニアを割譲。露土戦争 (〜1829年)。コーカサス・イマーム国(1828年-1859年)が独立。
- 1829年 - アドリアノープル条約(1828年の露土戦争の講和条約)、ギリシャは自治国として独立
- 1831年 - ムハンマド・アリーのシリア・アナトリア侵入(第一次エジプト・トルコ戦争(〜1833年))。ボスニア人蜂起。
- 1833年 - クタヤ条約(第一次エジプト・トルコ戦争の講和条約)。ウンキャル・スケレッシ条約
- 1838年 - 英土通商条約締結
- 1839年 - ギョルハネ勅令、タンジマート開始、第二次エジプト・トルコ戦争(〜1841年)
- 1840年 - ロンドン条約(第二次エジプト・トルコ戦争の講和条約)
- 1841年 - ロンドン海峡条約、ウンキャル・スケレッシ条約が破棄され、ロシア艦隊のボスポラス海峡・ダーダネルス海峡の通行が禁止された。
- 1846年 - バクーで油井の機械掘削が行なわれた。それ以前から手掘り油井はあった。
- 1853年 - クリミア戦争(〜1856年)
- 1856年 - パリ条約(クリミア戦争の講和条約)[1]
- 1865年 - アルフレッド・ノーベルがハンブルクでニトログリセリンの製造業を開始
- 1872年 - ロシアがバクーでの油井掘削権を海外の投資家に販売。
- 1875年 - ヘルツェゴヴィナ蜂起
- 1876年 - ミドハト憲法制定。ブルガリア人の四月蜂起。バクーでノーベル兄弟が開発を開始
- 1877年 - 露土戦争(〜1878年)。アルメニア人問題
- 1878年 - サン・ステファノ条約(1877年の露土戦争の講和条約)、ロシアの影響下にブルガリアが独立。6月、ベルリン会議でブルガリア国境が縮小され、ロシアのエーゲ海進出は阻まれた。ロシアがオスマン領内の六県のアルメニア人を支援してアルメニア人民族運動が大きくなると、アルメニア人とムスリムの対立が表面化した。バクーでノーベル兄弟石油会社を設立
- 1894年 - ハミディイェ虐殺、最初の大規模なアルメニア人虐殺
- 1896年 - オスマン銀行占拠事件。アルフレッド・ノーベル死去
- 1897年 - ギリシア・トルコ戦争(第一次)。コンスタンチノープル条約(1897年)(ギリシア・トルコ戦争(第一次)の講和条約)
- 1899年 - ドイツがバグダード鉄道敷設権を獲得。競合していた英国は第二次ボーア戦争の勃発に伴う戦費増大で撤退した。
- 1904年 - 日露戦争(〜1905年)での敗戦によってロシアの南下政策が頓挫。日本海軍は戦争相手国ロシアからバクーの石油を輸入して使用していた
- 1905年 - ユルドゥズ暗殺未遂事件、アルメニア革命連盟によるアブデュルハミト2世暗殺未遂事件
- 1908年 - 青年トルコ人革命、ボスニア・ヘルツェゴビナ併合
- 1909年 - アダナの虐殺、大規模なアルメニア人虐殺
- 1912年 - アルバニア独立宣言、バルカン4カ国がトルコに対するバルカン同盟結成、第一次バルカン戦争開始
- 1913年 - ロンドン条約、トルコはイスタンブールを除くヨーロッパ領土およびクレタ島を喪失
- 1914年 - 第一次世界大戦勃発(〜1918年)、アルメニア人虐殺。土独同盟
- 1918年 - レーニン暗殺未遂(「ロックハートの陰謀(Lockhart Plot)」)、イギリスのMansfield Smith-Cumming指揮下のMI1が計画した。連合国がシベリア出兵でロシア内戦に介入した結果、トルコへのロシアによる圧力が無くなった。
- 1919年 - セーヴル条約(第一次世界大戦の講和条約)。ギリシア・トルコ戦争(第二次、〜1922年)
- 1920年 - トルコ共和国成立。中央アジアで1916年から始まっていたバスマチ蜂起が、ブハラ・ハン国を打倒しブハラ人民ソビエト共和国を樹立。ボルシェビキがバクーを制圧。ノーベル兄弟石油会社を含む民間の全ての油井がボルシェビキに接収された
- 1921年 - ネメシス作戦、タラート・パシャら旧オスマン政府高官が多数暗殺された。バスマチの切り崩しを狙ったソビエト連邦によってトルキスタンに送りこまれたエンヴェル・パシャが寝返り、反ソ活動を開始した。
- 1922年 - ローザンヌ条約(1919年のギリシア・トルコ戦争の講和条約)。エンヴェル・パシャが赤軍の掃討作戦によって死亡。
- ^ Gilman, D. C.; Peck, H. T.; Colby, F. M., eds. (1905). New International Encyclopedia (英語). Vol. VI (1st ed.). New York: Dodd, Mead. p. 599. .
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