東方問題 「東方問題」における歴史学

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東方問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/17 01:32 UTC 版)

「東方問題」における歴史学

第二次ウィーン包囲
1683年オスマン帝国軍による大規模なヨーロッパ遠征。この後争いが16年間続き、1699年にカルロヴィッツ条約が締結される。オスマン帝国は遠征に失敗して縮小・解体に向かい、それに伴って「東方問題」が発生するようになる。

「東方問題」成立の契機

「東方問題」の成立時期をいつと定義するかは、文献によって異なる。「東方問題」の形成過程には3つの主要な契機があり、このいずれかを起点とする文献が多い:

  1. 1699年 カルロヴィッツ条約により、オスマン帝国がヨーロッパ諸国と条約を結ぶ。これ以降オスマン帝国は縮小・解体の時期を迎える。
  2. 1736年 露土戦争により、ヨーロッパの勢力均衡を維持するために、紛争の当事者以外が「東方」の問題に介入するという「東方問題」特有の形式が出現する。
  3. 1774年 キュチュク・カイナルジ条約により、ロシアがオスマン帝国内の正教徒の保護権を得る。ロシアがオスマン帝国に内政干渉して両国の紛争につながり、列強がそれに介入するという「東方問題」固有の構造が明確となる(同様に、条約締結の要因となった1768年露土戦争の開戦も「東方問題」も契機と捉えられる)。

「東方問題」のバイオリズム

ビスマルク
卓越した外交センスでヨーロッパに複雑で、それゆえに安定した外交秩序を構築した。彼はオーストリアとロシアの間で「東方問題」に関する紛争が起こるのを嫌い、「公正な仲裁人」と称してベルリン会議を開いた。彼はこの会議で列強の利害を巧みに調整した。

「東方問題」の中でも、ギリシャ独立戦争(1821~29年)が全ヨーロッパ規模での世論の喚起を促したこと、および、クリミア戦争(1853~56年)がヨーロッパ各国の政治に大きな影響を与えたことは、事実である。ただし「東方問題」がこの時期のヨーロッパ外交においてどこまで中心的な役割を果たしていたかについては一概に決めることができる問題ではない。特に、「東方問題」が比較的安定していた時期には、「東方問題」以外の問題がヨーロッパ外交の中心に語られることが多い。ここでは参考として、「東方問題」が比較的安定し、重要性が相対的に低下していたと思われる時期を挙げる:

  • 「東方問題」の重要性が相対的に低下する時期
  1. 1807年~1815年 ナポレオンの時代
  2. 1840年~1853年 1848年の諸革命前後のヨーロッパ政治の動揺期
  3. 1856年~1871年 クリミア戦争後の安定期
  4. 1878年~1890年 ベルリン会議後、ビスマルク体制の終焉までの安定期

「東方問題」史観

オスマン帝国の歴史を記述するとき、15・16世紀の軍事的成功を伴う拡大期と19世紀の解体期に焦点を当てて記述し、とくに解体期を「東方問題」としてヨーロッパ外交秩序、列強の世界分割や勢力均衡の観点からのみ捉える見方は、いまなお支配的である。一種のオリエンタリズムに基づくこのような歴史観に対し、オスマン帝国を専門とする歴史家の多くが、600年にわたるオスマン帝国の歴史においてオスマン帝国をより主体的に描き、アジアとヨーロッパの接点に位置するオスマン帝国を、両世界の交流の中に輝いた「世界帝国」として記述すべきと主張している。


  1. ^ Gilman, D. C.; Peck, H. T.; Colby, F. M., eds. (1905). "Eastern Question" . New International Encyclopedia (英語). Vol. VI (1st ed.). New York: Dodd, Mead. p. 599.





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