夕張市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 04:36 UTC 版)
地名の由来
アイヌ語の「ユーパロ(鉱泉の湧き出る所)」から。
原案者は「北海道」の名付け親でもある北方探検家の松浦武四郎であり、初代開拓判官として1869年に提出した郡名建議書「郡名之儀ニ付申上候書付」には夕張郡の由来を「イユウパロ(温泉之口)」、読みを「ユウハリ」と示されている[1]。
歴史
明治初期から炭鉱の町として栄え、空知地方でも特に多くの石炭を産出した。1874年(明治7年)にお雇い外国人で北海道開拓使(当時)のベンジャミン・スミス・ライマン地質学士がこの地を踏査し、夕張川流域に石炭鉱脈の存在が考えられると発表。1888年(明治21年)に北海道庁の技師で元ライマン調査隊隊員の
1960年(昭和35年)には北炭(夕張鉱業所、平和鉱業所)、三菱(大夕張鉱業所)の3大鉱業所を中心に、北炭機械工業(鉱山・産業機械製造)、北炭化成工業所(コークス・化成品製造)などの関連産業も発達し、116,908人の人口を抱える都市となった。
しかし、昭和30年代後半以降は、エネルギー革命による石油へのシフトが進行。海外炭との競争、相次ぐ事故、国の石炭政策の後退に直面。鉱業者側も手をこまねいていたわけではなく、製鉄所向けコークス用などの原料炭(高品位炭)などの価格が高い炭種の供給に活路を見出すべく、大きな期待と成算を持って、三菱南大夕張炭鉱、北炭夕張新炭鉱が開発されたが、その後の鉄鋼不況により需要は伸びず、1973年(昭和48年)に大夕張鉱業所が閉鎖された。それ以降は閉山が相次ぎ、さらに、1981年(昭和56年)には市内屈指の規模を持ち基幹事業所であった北海道炭礦汽船(北炭)夕張新鉱で北炭夕張新炭鉱ガス突出事故が発生。後に夕張新炭鉱を運営してきた北炭夕張炭鉱株式会社が倒産するなど、石炭産業の衰退に拍車がかかった。石油ショックの克服を大義名分とした官民の多岐にわたる国内資源振興策も決定打とはならず、その後の安価で良質な海外資源への雪崩現象、そして政府の合理化政策の前に各炭鉱の経営が悪化の一途を辿り、企業は国内の炭鉱から次々撤退。国内第一の規模と炭質を誇った夕張もその例外ではなかった。1990年(平成2年)に最後まで残っていた三菱石炭鉱業南大夕張炭鉱が閉山した。
夕張は元々炭鉱の開発により山あいに開かれた都市であり、平坦地が少なく大規模な農業には向かない地域であった。石炭産業以外の産業基盤が乏しかったために雇用の受け皿がなく、働き手の若者が都市へ流出し、人口が激減。街には高齢者が残る結果となり、急速に少子高齢化が進んだ。炭鉱の閉山対策、観光シフトの頓挫がもたらした問題については「財政再建問題」を参照。
最盛期からの夕張市の人口減少率は、全国の自治体でもワーストクラスである。2016年9月30日時点の住民基本台帳では、北海道歌志内市に次いで、全国で2番目に人口が少ない市[注釈 1]である。これに加えて1991年(平成3年)より、北海道開発局によって夕張川に夕張シューパロダムの建設計画に伴い、大夕張地区の住民188戸が移転した。2006年(平成18年)よりダムは本体工事を開始し2015年(平成27年)3月に竣工した。ダム完成による莫大な固定資産税収入や水源地域対策特別措置法による周辺地域整備のための国庫補助などで、新たな観光拠点育成としての期待がある一方で、世界的に稀有な橋梁形式である三弦橋の水没や公共事業依存が懸念されている。
現在は気温の寒暖差を生かしたメロン栽培(夕張メロン)、花畑牧場の誘致、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」開催などで、観光の町として地域おこしを進めているが厳しい状況にある。これに加えて、2015年からは市中心部に人口を集約して行政サービスの簡素化を図る「夕張市まちづくりマスタープラン」が進められており、人口減少社会のモデルとして注目が集まっている。
沿革
- 1858年(安政4年)- 松浦武四郎が夕張を調査の為、漁村カマカ(現:千歳市釜加付近)へ。著作に『夕張日誌』がある。
- 1874年(明治7年)- 北海道開拓使雇ベンジャミン・スミス・ライマン探検隊が夕張川の上流に炭層の存在を推定。
- 1888年(明治21年)- 北海道庁の技師、坂市太郎がシホロカベツ(志幌加別川)川上流にて大炭層の露頭(「夕張の石炭大露頭」)を発見。
- 1890年(明治23年)- 登川村を設置。村界告示され、岩見沢村戸長役場の管轄となる。開拓者らの入植を開始。
- 1892年(明治25年)- 夕張炭山の採炭開始。北海道炭礦鉄道 追分 - 夕張間開業(現在の石勝線)。
- 1893年(明治26年)- 角田村(現在の栗山町)、長沼村とともに、由仁村に併合される。
- 1897年(明治30年)- 由仁村戸長役場より分離、登川村戸長役場として独立。
- 1906年(明治39年)4月1日 - 二級町村制が施行されて夕張郡登川村(のぼりかわむら)となる。
- 1907年(明治40年)- 大夕張炭鉱会社が設立。
- 1912年(大正元年)- 大夕張炭鉱会社を三菱合資会社が買収。12月23日、登川村の夕張炭鉱で爆発。死者213名[2][出典無効]。
- 1913年(大正2年)1月13日 - 夕張炭鉱で爆発事故が起き、最終的に53人が犠牲[3][出典無効]。
- 1918年(大正7年)2月11日 - 登川村が町制施行・改称し、夕張町となる。
- 1919年(大正8年)4月1日 - 一級町村制施行。
- 1920年(大正9年)- 第1回国勢調査、夕張町人口51,064人(全国45位、北海道6位)。
- 1937年(昭和12年)8月 - 現在の市章となる町章を制定する[4][5]。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 市制施行、夕張市となる。
- 1953年(昭和28年)- 地区によって集まっていた炭鉱が、夕張川本流の流域(南部地域・鹿島地域など)が三菱系、その支流の志幌加別川流域(本庁地域・若菜地域)が北炭系にあったという事情もあって、南部・鹿島両地域(大夕張)の自治体分割案が出る。住民投票では、賛成6448、反対1338、白票120の賛成多数を以て市議会へ。しかし、市議会議員による投票は、賛成12、反対13、白票6と、1票差で反対多数となり分割は否決された[6]。
- 1958年(昭和33年)- 三弦橋が敷設される。
- 1959年(昭和34年)- 市長に橘内末吉が就任。
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)- 夕張メロン誕生。
- 1962年(昭和37年)- 大夕張ダム(シューパロ湖)完成。
- 1965年(昭和40年)- 北炭夕張炭鉱第一砿内にてガス爆発が発生、死者62人。後日、夕張鉱業所所長らが逮捕[8]。
- 1971年(昭和46年)- 市長に吉田久が就任。
- 1975年(昭和50年)- 北海道炭礦汽船夕張鉄道線廃止。
- 1978年(昭和53年)- 旧夕張本町駅(夕張市民会館)隣に現在の夕張市役所庁舎新築落成。「石炭の歴史村」工事着工。丁未風致公園完成。
- 1979年(昭和54年)- 市長に中田鉄治が就任。以降6期務める。
- 1981年(昭和56年)- 北炭夕張新炭鉱ガス突出事故発生。最終的な犠牲者は93名。
- 1983年(昭和58年)- 「石炭の歴史村」全村オープン。
- 1985年(昭和60年)- 三菱南大夕張炭鉱ガス爆発事故(死者62名)。
- 1987年(昭和62年)- 三菱石炭鉱業大夕張鉄道線廃止。
- 1988年(昭和63年)- 開基100年、市制施行45周年記念式典挙行。
- 1990年(平成2年)- 三菱南大夕張炭鉱が閉山、これにより市内の全ての炭鉱が閉山。夕張キネマ街道を開設。
- 1991年(平成3年)- 第1回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭を開催。夕張シューパロダム建設計画が発表される。
- 1994年(平成6年)- 夕張鹿鳴館を一般開放する。
- 2003年(平成15年)- 市長に後藤健二が就任。
- 2007年(平成19年)
- 2009年(平成21年)4月20日 - 花畑牧場 夕張直営ショップ開業。
- 2011年(平成23年)4月24日 - 市長に鈴木直道が就任。
- 2012年(平成24年)7月 - 第51回日本SF大会(Varicon2012)を開催。
- 2014年(平成26年)3月 - 夕張シューパロダムの試験湛水開始。鹿島(大夕張)地区の山岳地帯を除く大部分が水没。
- 2015年(平成27年)3月 - 夕張シューパロダム竣工。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)
- 2019年(平成31年)
- 2020年(令和2年)3月1日 - 拠点複合施設「りすた」オープン[14]
地理
空知地方南東部の山あいに位置する。夕張山地と空知山地に跨る石狩炭田の南部に位置し、かつて市域に多くの炭鉱があった。市域東側には山林が広がり、その山林や集落部から流れる川は南部で合流し、夕張川として南部を渓谷を作りながら流れている。
地形
山地
河川
- 主な川
湖沼
気候
夕張(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 6.6 (43.9) |
12.2 (54) |
15.5 (59.9) |
26.2 (79.2) |
31.3 (88.3) |
31.6 (88.9) |
35.0 (95) |
34.9 (94.8) |
31.5 (88.7) |
24.7 (76.5) |
19.0 (66.2) |
12.6 (54.7) |
35.0 (95) |
平均最高気温 °C (°F) | −2.7 (27.1) |
−1.7 (28.9) |
2.4 (36.3) |
9.9 (49.8) |
17.0 (62.6) |
20.6 (69.1) |
23.7 (74.7) |
24.4 (75.9) |
20.7 (69.3) |
14.1 (57.4) |
6.3 (43.3) |
−0.6 (30.9) |
11.1 (52) |
日平均気温 °C (°F) | −6.6 (20.1) |
−6.0 (21.2) |
−1.8 (28.8) |
4.5 (40.1) |
10.9 (51.6) |
15.0 (59) |
18.8 (65.8) |
19.6 (67.3) |
15.6 (60.1) |
8.9 (48) |
2.1 (35.8) |
−4.2 (24.4) |
6.4 (43.5) |
平均最低気温 °C (°F) | −11.1 (12) |
−10.8 (12.6) |
−6.4 (20.5) |
−0.3 (31.5) |
5.5 (41.9) |
10.5 (50.9) |
15.2 (59.4) |
16.0 (60.8) |
11.3 (52.3) |
4.2 (39.6) |
−1.8 (28.8) |
−8.1 (17.4) |
2.0 (35.6) |
最低気温記録 °C (°F) | −22.7 (−8.9) |
−23.6 (−10.5) |
−19.5 (−3.1) |
−13.8 (7.2) |
−2.8 (27) |
1.2 (34.2) |
5.1 (41.2) |
7.1 (44.8) |
0.2 (32.4) |
−3.8 (25.2) |
−13.3 (8.1) |
−19.0 (−2.2) |
−23.6 (−10.5) |
降水量 mm (inch) | 115.3 (4.539) |
82.0 (3.228) |
78.5 (3.091) |
78.4 (3.087) |
107.1 (4.217) |
86.4 (3.402) |
129.8 (5.11) |
185.6 (7.307) |
156.0 (6.142) |
119.7 (4.713) |
129.5 (5.098) |
131.5 (5.177) |
1,400.1 (55.122) |
降雪量 cm (inch) | 225 (88.6) |
172 (67.7) |
132 (52) |
34 (13.4) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
3 (1.2) |
84 (33.1) |
230 (90.6) |
872 (343.3) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 19.0 | 16.3 | 14.9 | 12.5 | 12.0 | 10.1 | 10.8 | 12.3 | 12.2 | 14.5 | 17.0 | 20.2 | 171.5 |
平均月間日照時間 | 94.7 | 103.7 | 142.5 | 160.4 | 186.1 | 160.8 | 132.8 | 142.0 | 153.7 | 134.9 | 90.9 | 80.1 | 1,582.6 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[15] |
隣接する自治体
- ^ 郡名之儀ニ付申上候書付 / 松浦武四郎北海道大学 北方資料データベース
- ^ 誰か昭和を思わざる 大正ラプソディー (大正元年) Archived 2011年1月25日, at the Wayback Machine.[出典無効]
- ^ 誰か昭和を思わざる 大正ラプソディー (大正2年1〜6月) Archived 2011年1月25日, at the Wayback Machine.[出典無効]
- ^ 『図典 日本の市町村章』 p22
- ^ 夕張市の概要
- ^ 鉄道ジャーナル 2022年4月号「ダムと鉄道(第2話)夕張シューパロダムと夕張の鉄道(2)」106頁。
- ^ a b 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、143頁。ISBN 9784816922749。
- ^ 所長に懲役求刑 北炭夕張事故の論告公判「生産を優先、保安軽視」『朝日新聞』1970年(昭和45年)6月16日夕刊 3版 9面
- ^ ふるさとチョイス
- ^ “黄色いハンカチ想い出ひろば”. 黄色いハンカチ想い出ひろば. 2019年11月12日閲覧。
- ^ あしたのコミュニティーラボ[リンク切れ]
- ^ “拠点複合施設建設工事着工/北海道夕張市ホームページ”. www.city.yubari.lg.jp. 2019年11月12日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “夕張の石炭博物館で火災 消火作業、坑道水没へ”. 朝日新聞DIGITAL (2019年4月20日). 2022年8月19日閲覧。
- ^ 拠点複合施設「りすた」 - 夕張市公式サイト(2020年6月4日)
- ^ “夕張 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2024年3月28日閲覧。
- ^ “ふるさと納税制度”. 2014年1月4日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “市議会の仕組み”. 夕張市. 2024年4月2日閲覧。
- ^ 夕張市議会 議員定数1減へ 全国最少の8に - 北海道新聞 2017.1.31[リンク切れ]
- ^ 自治体崩壊と財政危機要因
- ^ “盛衰の軌跡〈3〉“2億円”寄贈話 たが外れ錬金術の沼へ”. 北海道新聞. (2006年8月30日)[リンク切れ]
- ^ “盛衰の軌跡〈4〉レースイ買収 壮大な夢 後始末で深手”. 北海道新聞. (2006年9月2日)[リンク切れ]
- ^ 第3セクターの倒産動向調査 (Report). 帝国データバンク. 11 July 2007.[リンク切れ]
- ^ 野口 (2009). “北海道夕張市における子どもの読書環境の現状と課題”. 国立青少年教育振興機構研究紀要 (国立青少年教育振興機構) 9号 .
- ^ 『みんなの図書館』(2009年3月号)、図書館問題研究会 pp. 47
- ^ 『みんなの図書館』(2020年9月号)、図書館問題研究会 pp. 30-31
- ^ りすた図書館 - 夕張市(2021年6月18日)、2023年3月14日閲覧
- ^ 夕張学(2018年12月1日閲覧)。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典・北海道』
- ^ “夕張市 市営住宅・道営住宅一覧”. 夕張市. 2021年7月31日閲覧。
- ^ JR北海道の資料(p.10)
- ^ “JR石勝線の夕張支線が最終運行 廃線し、バス転換へ”. 2019年4月6日閲覧。
- ^ 新夕張~夕張間の廃止日を自治体と合意、JR北(2018年3月26日)
- ^ 。人口速報集計(要計表による人口集計)結果平成28年2月26日公表
- ^ 北海道の空き家率ランキング
- ^ 。北海道夕張市、高齢化率50%超 全国の市で最高[リンク切れ]
- ^ “地域別・住民登録人口 令和4年3月末現在” (PDF). 夕張市. 2022年9月2日閲覧。
- ^ “地域別・住民登録人口 平成29年3月末時点” (PDF). 夕張市. 2022年9月2日閲覧。
- ^ “地域別・住民登録人口 平成24年3月末現在” (PDF). 夕張市. 2022年9月2日閲覧。
- ^ 総務省統計局統計調査部国勢統計課 (27 January 2017). 平成27年国勢調査小地域集計01北海道《年齢(5歳階級),男女別人口,総年齢及び平均年齢(外国人-特掲)-町丁・字等》 (CSV) (Report). 総務省. 2017年5月20日閲覧。※条町区分地の一部に0人の地域がある場合でも他の同一区分地で人口がある場合は除いた。
- ^ 夕張警察庁舎. 栗山警察署
- ^ a b “第2次答申書 参考資料”. 江別市立病院. pp. 24-26. 2023年8月12日閲覧。
- ^ “夕張市立診療所”. 医療法人社団 豊生会. 2023年8月12日閲覧。
- ^ 『石勝線(新夕張・夕張駅間)の鉄道事業廃止について』(PDF)(プレスリリース)夕張市、北海道旅客鉄道、2018年3月23日。 オリジナルの2018年3月24日時点におけるアーカイブ 。2021年1月6日閲覧。
- ^ 『石勝線(新夕張・夕張駅間)の鉄道事業廃止届の提出について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2018年3月26日。 オリジナルの2018年3月27日時点におけるアーカイブ 。2021年1月6日閲覧。
- ^ 「夕張方式」路線見直しモデルに JR・道 対象沿線自治体は警戒『北海道新聞』2018年3月28日(2018年12月1日閲覧)[リンク切れ]。
- ^ 北海道文化財保護協会 1996, p. 3.
固有名詞の分類
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