カローシュティー文字 カローシュティー文字の概要

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カローシュティー文字

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/11 06:59 UTC 版)

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カローシュティー文字
類型: アブギダ
言語: パーリ語
プラークリット
時期: 紀元前4世紀-紀元後3世紀
親の文字体系:
姉妹の文字体系: ブラーフミー文字
Unicode範囲: U+10A00-U+10A5F
ISO 15924 コード: Khar
注意: このページはUnicodeで書かれた国際音声記号 (IPA) を含む場合があります。

概要

ブラーフミー文字が南アジア全体に影響したのに対し、カローシュティー文字の使われる地域は南アジアの西北部、現在のパキスタン北部とアフガニスタン東部に限られ、プラークリットの一種であるガンダーラ語を記すのに使われた。ブラーフミー文字と異なって右から左に書かれ、文字は筆記体風にくずして書かれる。アラム文字に由来することがはっきりしているが、アラム文字とは異なってブラーフミー文字と同様のアブギダであり、子音字は原形では母音aのついた音を表す。a以外の母音(i u e o r˳)が続くときは文字に記号を付加する。母音の長短は(ブラーフミー文字の影響を受けた末期のものを除いて)区別しない。また、ブラーフミー文字と異なり、母音のみの音節を表す専用の文字は存在しない。

カローシュティー文字でサンスクリットを記した文献もあるが、必要な文字のいくつかを欠いているため、サンスクリットを記すのには適していない[1]

仏教で「四十二字門」として知られる特殊な文字配列は、おそらくはカローシュティー文字に起源があるという[2]

漢訳仏典では音訳して「佉留書・佉楼書・佉盧瑟吒書」などと呼ばれている。「佉留書」は竺法護訳の『普曜経』に見える。「佉楼書」は5世紀に翻訳された『阿毘曇毘婆沙論』に見え、その箇所につけた『玄応音義』では「正しくは佉路瑟吒といい、北方の辺境の文字である」とする[3]玄奘訳の『阿毘達磨大毘婆沙論』では「佉盧瑟吒書」に作る。また、6世紀の僧祐『出三蔵記集』には「梵字は左から右に書き、佉楼の書は右から左に書き、蒼頡の書(=漢字)は上から下に書く」と記している[4]

歴史

この文字は紀元前6世紀紀元前5世紀ころ、ダレイオス1世によってインダス川以西のアケメネス朝の属州となった地域の言語を表現するために、ブラーフミー文字を知っているものが、アラム文字を借用して、便宜的に表記するために考案したものと考えられている。[5]いっぽうリチャード・サロモンはカローシュティー文字はブラーフミー文字に先だって作られたと考えている[6]

パキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州にあるマーンセヘラーとシャーバーズ・ガリーのアショーカ王磨崖碑文がこの文字で表記されており、紀元前3世紀ころにはこの文字が普及していたと判明している。アショーカ王以後も、サカクシャーナ朝の諸王によって採用されたが、紀元後3世紀ごろから衰退しはじめ[7]、5 世紀以降はブラーフミー系文字に取ってかわられた。

一方、カローシュティー文字は中央アジアに伝播し、タリム盆地のオアシス都市や現在のウズベキスタンで、おそらく7世紀ごろまで使われた[8]

仏教ジャイナ教の文献および『法苑珠林』から、カローッティー、カローシュティーの名称が確認された[9]

アルファベットと数字

カローシュティー数字
I II III X IX IIX IIIX XX IXX
1 2 3 4 5 6 7 8 9
Ȝ ੭Ȝ ȜȜ ੭ȜȜ ȜȜȜ ੭ȜȜȜ
10 20 30 40 50 60 70
ʎI ʎII
100 200
1 2 3 4
10 20 100 1000
a i u e o
k kh g gh
c ch j ñ
ṭh ḍh
t th d dh n
p ph b bh m
y r l v
ś s h
ṭ́h



  1. ^ Salomon (1996) p.377
  2. ^ Salomon (1996) p.377
  3. ^ 玄応『一切経音義』巻17「佉楼書、応言佉路瑟吒。謂北方辺処人書也。」
  4. ^ 僧祐『出三蔵記集』「昔造書之主凡有三人。長名曰梵、其書右行。次曰佉楼、其書左行。少者蒼頡、其書下行。」
  5. ^ 岩村忍『文明の十字路=中央アジアの歴史』p68
  6. ^ Salomon (1996) p.373
  7. ^ Salomon (1996) p.375
  8. ^ Salomon (1996) pp.375-376
  9. ^ Terrien de Lacouperie (1887). Did Cyrus Introduce Writing into India?. Babylonian and Oriental Record 1 (4): 58-64. https://archive.org/stream/babylonianorient01londuoft#page/58/mode/2up. 
  10. ^ 林梅村. “西域文明の展開”. 国立情報学研究所 ディジタル・シルクロード. 2014年9月27日閲覧。
  11. ^ 松田和信「公開講演 アフガニスタンの仏教写本」『駒澤大学仏教学部論集』第37号、駒澤大学仏教学部研究室、2006年、 27-42頁。
  12. ^ 前田耕作「バーミヤン遺跡の現場からの報告」『東西南北』、和光大学総合文化研究所、2005年、 239-249頁。
  13. ^ Falk, Harry (2011). The ‘Split’ Collection of Kharoṣṭhī texts. Annual Report of the International Research Institute for Advanced Buddhology at Soka University. http://www.academia.edu/3561702/split_collection. 
  14. ^ 『梵天东土 並蒂莲华——故宫造像特展中国篇漫谈』 孔画廊、2016年http://yx.guwanch.com/article/8330.html 
  15. ^ Salomon (1998) p.160
  16. ^ Brough, John. “A Kharoṣṭhī Inscription from China”. Bulletin of the School of Oriental and African Studies 24 (3): 517-530. JSTOR 609762. 


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