ブラーフミー文字とカローシュティー文字の解読
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 17:55 UTC 版)
「ジェームズ・プリンセプ」の記事における「ブラーフミー文字とカローシュティー文字の解読」の解説
プリンセプは表にギリシア文字、裏にカローシュティー文字(当初プリンセプはバクトロ・ペフレヴィー文字、のちにバクトリア・アルファベットと呼んだ)で書かれた古い貨幣の刻文を手掛りに、カローシュティー文字の解読を行い、1835年に解読結果を公表した。はじめは誤りが多かったが、1838年には大きく改良された版を公表している。なお、カローシュティー文字で書かれたアショーカ王碑文はプリンセプの生前には知られていなかった。 ブラーフミー文字については、1837年にサーンチーのストゥーパの刻文を検討し、最後にしばしばあらわれる語を「寄進(dānam)」と考え、そのひとつ前にしばしばあらわれる字を属格の「sa」であると考えた。残りはインドの他の古文字との類似によってただちに解読できたという。解読結果を貨幣の刻文やアショーカ王碑文に応用して、問題なく読めることを確認した。また1838年にはギルナールと現オリッサ州のドウリのアショーカ王磨崖碑文を比較して、両者の内容は同じだが言語が異なること、ギリシア人の王アンティオコスやエジプトのプトレマイオスの名が見えることを明らかにした(ただしアショーカ王の時代を実際より新しいものと考えており、これらをアンティオコス3世とプトレマイオス3世のことと考えた)。
※この「ブラーフミー文字とカローシュティー文字の解読」の解説は、「ジェームズ・プリンセプ」の解説の一部です。
「ブラーフミー文字とカローシュティー文字の解読」を含む「ジェームズ・プリンセプ」の記事については、「ジェームズ・プリンセプ」の概要を参照ください。
- ブラーフミー文字とカローシュティー文字の解読のページへのリンク