ブラームスとの出会いとは? わかりやすく解説

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ブラームスとの出会い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:55 UTC 版)

アントニン・ドヴォルザーク」の記事における「ブラームスとの出会い」の解説

1874年7月ドヴォルザーク交響曲第3番第4番他数曲を、新たに設けられオーストリア政府国家奨学金審査提出した。そして、1875年2月この奨学金与えられることになったが、その金額400グルデン)は当時彼の年収126グルデン)の2倍以上にあたる高額なものであった。この奨学金年ごと審査を受けるのであるが、ドヴォルザーク結局5年間これを受け取っている。1876年ドヴォルザークは、弦楽五重奏曲ト長調 (Op.77, B.49) で芸術家協会芸術家賞を獲得する1875年から1877年にかけて、プラハ豪商ヤン・ネフの依頼作曲されたのが全22曲の『モラヴィア二重唱曲集英語版)』で、「ベルリン国民新聞」はこれを「美し乙女たちが露のきらめく良い香りの花を投げ交わしている」と激賞したドヴォルザーク1877年奨学金審査のためにこの作品提出した審査員務めていたブラームスはこの曲に目をとめ、懇意にしていた出版社ジムロック紹介したブラームス紹介状に「この二重唱曲がすばらし作品であることはあなたの目にも明らかでしょう。しかもそれらは優れた作品なのですと書き送っている。個人的にも、1878年ドヴォルザークウィーンブラームス訪ね、翌1879年にはブラームスプラハドヴォルザークの許を訪ねるという具合親し交際始まったこのように音楽家として栄光踏み出したドヴォルザークだが、その家庭不幸に襲われた。1877年8月次女ルジェナが、翌9月長男オタカル相次いでこの世去ったのである。彼らの冥福祈り作曲されたのが、ドヴォルザーク宗教作品傑作スターバト・マーテルであった。 『モラヴィア二重唱曲集』の出版成功得たジムロックは、1878年ドヴォルザークに対してブラームスピアノ連弾のための『ハンガリー舞曲集』に匹敵するような『スラヴ舞曲集』の作曲依頼した。この依頼応えて作曲された作品集は、「神々しいこの世ならぬ自然らしさ」(ベルリン国民新聞)との絶賛を受け、ドヴォルザークの名はヨーロッパ中に広く知れわたったこのころドヴォルザークリストの『ハンガリー狂詩曲』をモデルにそのチェコ版を目指しており、チェコ舞曲民族色を前面押し出した作品多く作曲するまた、この傾向は、そうした作品期待する出版者作曲依頼者の意向沿ったものでもあった。たとえば、フィレンツェ弦楽四重奏団の第1ヴァイオリニスト、ジャン・ベッカーは「新しスラヴ的な四重奏曲」を依頼しドヴォルザークはこれに応えてチェコ民族舞曲や、ウクライナ民謡ドゥムカ」の形式を採り入れた弦楽四重奏曲第10番1879年)を作曲している。また、チェコ組曲』も同年作品である。 一方ジムロックドヴォルザークに、管弦楽曲ピアノ編曲版要求するこうした細々とした委嘱作品編曲追われながらも、ドヴォルザーク1879年ヴァイオリン協奏曲第1稿書き上げてヨーゼフ・ヨアヒム元に送り1880年にこれを改訂、さらに1882年に再び筆を加えてこれを完成させている。有名な我が母の教えたまいし歌』を含む歌曲集ジプシーの歌』(1880年)が書き上げられたのもこの時期である。そして、1880年作曲された最も重要な作品は、ドヴォルザークスラヴ時代精華とも言うべき交響曲第6番ニ長調である。ハンス・リヒター献呈された。1883年、古いフス派聖歌主題とする劇的序曲フス教徒』が書かれた。これに対して音楽評論家ホノルカは「敬虔なカトリック教徒ドヴォルザーク異端フス派を描くとは」とこの作品注目している。

※この「ブラームスとの出会い」の解説は、「アントニン・ドヴォルザーク」の解説の一部です。
「ブラームスとの出会い」を含む「アントニン・ドヴォルザーク」の記事については、「アントニン・ドヴォルザーク」の概要を参照ください。

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