くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンの概要

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くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 16:37 UTC 版)

オールナイトニッポン > くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン
くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン
ジャンル バラエティ番組
放送方式 生放送
放送期間 2005年7月5日 - 2008年12月30日
放送時間 火曜25:00 - 27:00(120分)
放送回数 全159回(復活特番7回)
放送局 ニッポン放送
ネットワーク NRN
パーソナリティ くりぃむしちゅー
上田晋也有田哲平
出演 石川昭人構成作家、笑い役)
公式サイト 公式サイト
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概要

くりぃむしちゅーの両者は、この番組の開始まで『知ってる?24時。』『進研ゼミ高校講座Presents 目からウロコ!24』を担当しており、一部コーナー・スタッフの引継ぎ、リスナーの声を番組内に取り入れる構成、学校名を明記した投稿が見られたことなどから分かるように、『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』はこれらの後継番組としての要素を多く持っていた。またこの番組は、2人の役割分担が明確で(身勝手且つやりたい放題に振舞う有田、必ず損な役割を押し付けられそれに対してツッコんだり「カリカリ」する上田)、時には漫才のようなトークが繰り広げられた(本人たち曰くこの番組は「クソぶっかけ番組」)。iTunesポッドキャストの"トップPODCASTS"でも1位になるなどの人気番組であった。2016年からは復活特番が行われている。

1時の時報直後

時報直後は、主に以下のようなパターンから始まる。

  1. 2人の会話の途中で番組が始まる演出 - 番組開始当初は、時報直後に有田が「ていうのもね、上田さん」や「問題はそこなんですよ」、「ていういきさつで馬糞を食べた」など、2人が会話をしているうちに番組が始まっていたと思わせるような演出から始まる。
  2. 『スターダストNIGHT』 - 2005年冬頃からは、有田が演じる「スターダスト有田」がDJを務める、FM番組を意識したコーナーから始まる(詳細は後述)。
  3. 『いや、まいったね…。』 - 2006年夏頃からは、時報直後に有田が『いや、まいったね…。』と言い、上田がツッコミを入れて始まる。このお決まりのフレーズは、2007年4月にコーナー化されるに至った(詳細は後述)。さらに、一時期、有田が『うーん…。』と数秒悩んでから『いや、まいったね…。』という出だしで始まることもあった。この、『うーん…。』はテレビ朝日系列番組銭形金太郎のときにビビる大木が良く使っていたギャグで(コメントを言う前に必ず『うーん…。』と発する)、有田が本人から正式に使用許可をもらったらしい。2007年7月31日の放送では、記念すべき100回目の放送と言うことで、有田が第一声で『祝!オールナイトニッポン・・・くりぃむしちゅー、100回記念!(番組名の順番を言い間違えた)』と言ったため、この日ばかりは100回記念の放送中心になると思いきや、有田はその後『…それはさておき、まいったね』と言い、結局いつものようにまいった話になった。ちなみに2010年に有田が『木曜JUNK アンタッチャブルのシカゴマンゴ』(TBSラジオ)に複数回ゲスト出演した際にも『いや、まいったね…。』を自身の第一声にしていた。

その他、モノマネや時事ネタ、特別企画などで入るパターンもある。

オープニングトーク

オープニングは基本的に有田が主導していた。基本的には「フリートーク」であるが、全体の構成や展開を意識したものも多い。この部分がポッドキャストで配信(「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン"電話が鳴るまで"」1回につき約30分)されるので、非常に長いものとなっている。

オープニングトークの定番となっていたパターンは以下の通り。

  1. 仕事の裏話 - 『銭形金太郎』やアフレコ、海外ロケなど、テレビでは放送されない部分に関する話題。
  2. 無茶振り - 有田の無茶苦茶な振りに上田がのっかり、どんどん架空のストーリーが展開されるもの。約30分続き、最後に有田が「まあ○○だったというか、時間の無駄だったというか…」で完結する。有田は「月に1度のお楽しみ」、上田は「この番組の生理」と評している(新人マネージャーの斉藤や芸人 ペナルティのヒデは無茶振りの嘘を信じていたこともあった)。
  3. 近況報告 - 有田がよくはまっているパワプロなどの趣味の話題や、有田単独の仕事やプライベートで一緒になった同業者(主に岡田圭右堀内健)などの話題。
  4. 身内ネタ - 大橋マネージャー、新人マネージャーの斉藤(あだ名はメイドが大好きだから「めいとう」)、売れない後輩芸人寿司』や、ゴミメガネなどをネタにしている。
  5. 上田いじり - テレビでのツッコミやプライベートにおける上田のおかしな行動をいじる。上田いじりは他のコーナー内でも行われていた。

以上のように厳密に区別できない場合もある。

有田が韓国旅行により放送をサボった際は、上田と後輩芸人の寿司(現・コトブキツカサ)が務めた。そのお詫びで、有田が上田に「1回だけサボっても良いよ」ということになったが、結局上田が好きなボクシングの試合DVDを見ながら行った。

タイトルコール

タイトルコール方法の変遷〜有田からリスナーへ、そしてまた有田へ〜

  • タイトルコールは有田やリスナーなどが行うため、タイトルコールをすることができなかった上田が有田やリスナーに文句やツッコミを浴びせるという流れがあった。しかし、その流れが常態化すると、上田は自分がタイトルコールをすることができないことについて何も言わなくなった。
    • 局アナや歌手、マネージャーなどがタイトルコールを行うこともあった。
    • 2007年5月8日の放送で有田が欠勤した際、初めて上田はタイトルコールをすることができた。しかし、その際、上田は「くりぃむしちゅー上田晋也のオールナイトニッポン」と叫んでおり、結局一度も「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」とタイトルコールをすることはなかった。 
  • 電話をかけてきた(事前打ち合わせあり)リスナーによりタイトルコールが行われていた時期があった。
    • タイトルコール前後のリスナーとのトークの中で、有田がリスナーに何かしらのケチをつけて説教をする展開が多かった。パターンとしては、ボケたリスナーに対してそのボケを否定し、別のボケを持ってきて「違うでしょ、今のは『○○(別のボケ)』でしょ、それで『こらぁー』で大爆笑よ。」といったダメ出しをしたり、「決め撃ちはだめだ」と即興のボケ以外は認めないといったような説教や、上田の普通の質問に普通に答えたリスナーに「お前の事なんか聞いてない」などとを罵倒し、上田がリスナーのフォローにまわる、などがあった。有田からのフリにはボケて答えて、上田からのフリには真面目に答えるというルールがあった。
    • リスナーがオープニングトークの中の主要人物に最初だけなりきるスタイルが2006年下半期頃から定着してきていた。流れとしては、まず上田と有田が「あいつじゃない?、○○(フリートークに出てきた人物)じゃない?」とふり、その直後、電話に出たリスナーが時には声マネまでしてその人物になりきる。そして上田と有田がその人物と話している体でいろいろな質問をしたりする。しばらくその会話が続いた後、リスナーがタイミングを見計らって「それはそうと、俺(私)は○○県○○市のラジオネーム○○だ(よ)」、と正体をばらす。上田と有田は「その人物」でなかったことに対して文句を言うが、その間にリスナーによる自己紹介がなされ、続けてタイトルコールがなされる、その後はリスナーとの会話に移る。

エンディング

  • 3時の時報前にはナインティナインのオールナイトニッポンと同様に「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」と入る。
  • エンディングのテーマ曲は第一回目の放送から一貫して銀杏BOYZの「夢で逢えたら」を使用している。
  • 最後は上田、有田、上田、有田の順で「このあとは、斉藤安弘さんのオールナイトニッポンエバーグリーンです[注 1]。ということで、今週はこの辺でお別れ。くりぃむしちゅー上田晋也と」「有田哲平が実はしゃべっておりました」「あったかくしてねろよ〜」「僕から以上!!(2人の恩師:黒瀬先生のマネ)」と締めくくる。オープニングでは自己紹介を行わないため、唯一番組内でちゃんと自己紹介する場面であった。
  • なお、番組開始当初〜2007年上半期ごろまでは上田が「あったかくしてねろよ〜」ではなく「また来週バイバイ」と言っていた。『上田晋也のおしゃれだからねぇ』のコーナーが始まった頃から「あったかくしてねろよ〜」と言うようになった。有田も、初期は「僕から以上!」ではなく「おーでーべーす」(「お疲れ様です」の意)と言っていた。
  • 2007年11月20日放送から、オールナイトニッポンエバーグリーンがほとんど録音放送であることを知りつつも「アンコーさんは○○についてどう思いますか?」などと質問して、斉藤安弘さん(アンコーさんは愛称)をいじるようになった。当然ながらアンコーさんは録音で質問の存在を知らないため「風邪に気をつけてください。」などの普通の切り返しをしている。しかし、同年12月11日放送のエバーグリーンではリスナーから「くりぃむしちゅーが先週の番組の終わりに『アンコーさんが思う今年の流行語は何か?』という質問をした」というメールが届いたことを紹介し、それに対する答えを返した。

特筆すべき過去の出来事

  • 2005年7月5日第1回放送の記念すべき1曲目はnobodyknows+の「エル・ミラドール〜展望台の唄〜」だったが、他のラジオ番組と違い最終回で第1回の1曲目が流されることはなかった。
  • 過去一度(2006年2月28日)だけ、北海道知床から放送が行われた(銭形金太郎のロケのため)。その際、他の銭金メンバー(ネプチューン東貴博ら)もゲストに呼ぼうと考えていたが、オールナイトの前に行われた銭金の打ち上げがいまいち盛り上がらず、くりぃむしちゅー以外は各自の部屋に戻り寝てしまったため、銭金メンバーは誰一人としてスタジオに姿を見せなかった。東だけは出演に乗り気だったようだが、同じ時間にロケが入り出られなかった(当時の東は、22時からラジベガスをやっていたのだが、同日は事前に録音して放送)。
  • 2007年1月23日の回では、仕事(このラジオ)を休んで新婚旅行に行っていたミキサーの豚女こと大城がタイトルコールに登場した。「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」とコールするまでは他のリスナーの流れと一緒だったが、「ビタースウィート」が鳴り始めてからは結婚式、披露宴、新婚旅行、大城の夫の話、上田による大城のかつての歌手志望と目立ちたがりの性格の暴露などラジオならではの内輪話に終始し、その際の有田と上田のテンションも相当高く、2人のフリに大城が嫌がらずのっかったので下ネタトークにも花が咲いた。
  • 2007年5月8日の放送で、有田が欠勤した。事の発端は上田が上田ちゃんネルボクシング観戦ロケで、ゴールデンウィーク後半にラスベガスに長期滞在することになったこと。そのため休暇を韓国で過ごすことにした有田は、アンタッチャブル山崎韓国カジノに行ったものの、(有田の主張では)数年に一度の大渋滞に巻き込まれ東京への最終便に乗り遅れてしまい、帰国できなくなった。そのため、上田と事務所の後輩芸人である寿司(現・コトブキツカサ)スタジオ入りし、有田が韓国から電話出演という形になった。また急遽、有田への罰ゲームがとり行われることになった。罰ゲームの内容は、有田が韓国でナンパをして、10分以内に成功しなかった場合は、その度に実況パワフルプロ野球13の選手を1人ずつ消すというものだった。結果は、日本のゴールデンウィークが終わっていたため、日本人が全く見当たらず、最終的に2時45分頃に、日本語が達者な女性従業員に声をかけたが、上田が示した条件である『自分の部屋で一緒に話すことに同意させる』はクリアできず、失敗に終わり、計6人の選手データを失うことになった。それに加えて、番組終了間際に上田のミス(明らかに故意)でチームデータごと消去された。
    • また、この日の放送では前述の理由により非常にナンパが困難だった。そのため時間を埋めるためにこれまた急遽、寿司によって有田が昔よく使っていたナンパテクの暴露が行われた。
    1. 「さては君甘えん坊だろ? だってさ、おっぱいが大きいからさ、悲しみとか色んなものを背負ってんじゃん。」
    2. 「髪パサついてるね…。髪がパサついてる娘って愛情に飢えてんだよね。」
    3. 「君、足首細いね。足首細い娘って、基本的に鍵っ子なんだよね。」 など意味不明のものばかりである。
    • なお、パワプロ13の選手を消した後に上田が『この曲を有田さんに捧げます』と言い、ビートルズの曲を流した。これは有田がパワプロ13で作った選手の名前がビートルズの曲のタイトルだったためである。
    • この放送の終盤では当時、他局のラジオ番組を担当していたアンタッチャブル・山崎がちょこっと音声出演した。
    • また、この日初めて上田はタイトルコールをすることができた(タイトルコールを参照)。
  • 2008年4月29日の放送で、有田が女性への不満や不信感から、『全国総ゴミメガネ宣言』を行った。宣言の内容は、「女性と付き合いたいという気持ちを捨てた方がいいのではないかと思うようになった。これからすべての女性を番組のサブ作家であるゴミメガネ(本間俊彦のことであり、なぜか女装をしている)だと思うように決めた。そうすることで女性を意識しないようになる。」といったものであった。また、「携帯電話を見るたびにこの宣言を思い出すように、ゴミメガネの写真を待ち受けにする。」とも宣言し、この日から有田は携帯の待ち受け画面をゴミメガネの写真にした。この宣言へのリスナーの反響が大きかったため、5月6日の放送で番組にメールを送ってきた希望者全員に、ゴミメガネの待ち受け画像を添付して返信(ゴミメガネ本人が手作業で返信)することを発表。すると希望者が殺到し、5月13日の放送までの1週間に8千通ものメールが寄せられた。この反響の大きさから、この日の放送ではニッポン放送の公式ケータイサイトから、「ゴミちゃん待ち受け画像」と「ゴミちゃん着ボイス」がダウンロードできるようになったと発表した。5月20日の放送では、ゴミちゃん人気を確認するために、週末どこかにゴミちゃんを解き放つ(ただの散歩をする)ことが決まり、実際に渋谷の町に女装をしたゴミちゃんが降臨したが、話しかけてくる人は誰もいなかった。5月27日の放送では、再びゴミちゃんをゲリラ的に解き放つことが決定し、ゲリラ的にもかかわらず降臨する場所と日時が告知された。6月1日には告知どおり渋谷のハチ公前にゴミちゃんが降臨すると、番組のリスナーが50人程集結しており、ゲリラ的にゴミちゃんの写真撮影会と「ゴミちゃん闊歩(ただの散歩)」が行われた。6月3日の放送では、「ゴミちゃん待ち受け画像」の第2弾としてゴミちゃんの浴衣姿の配信が決まり(ゴミちゃんが手作業で返信)、この画像の希望者が1万人を突破した場合、6月10日の放送で「新宿二丁目ゴミマラソン」を決行することが発表された[1]
  • 2008年12月30日に放送された最終回のリスナージングルにてラジオネーム・ぼくくぼ(放送当時、熊本農業大学一年)によると、2008年12月16日放送回で番組が年内で終了することを後述の最終回演出をすることなくあっさり発表した後、ネット局の熊本放送では上田の実の兄、上田啓介のラジオ番組の宣伝CMが流れた。
  • 番組終了後、2009年4月16日放送のアンタッチャブルのシカゴマンゴに、有田がゲスト出演し、オールナイトニッポンなどでの裏話を語った。なお、放送当日のオープニングは、有田のフレーズ「まいったね」で始まることが、4月2日に決められていた。
  • 2010年2月26日に再び有田がゲスト出演。しかしこの日は休養中の柴田の代役パーソナリティ、ゆってぃが目立っていたため、有田が「来週も出る」と言い、実際に次の週も出演した。

番組の特徴・豆知識など

  • ポッドキャスト配信部分を少しでも長くするためか、番組のオープニングトークが長く必ず30分間要する。よって、その後2時までCMが偏って放送される事が多い。
  • オープニングトークが長いため、番組内でかける曲は他の番組に比べとても少なく、一曲もかからないこともしばしばある。曲紹介は上田が担当しているが、『一曲いっちゃうー、なんつってさ』から入り、わざと曲名を間違えるなどふざけが多い。この曲フリは『知ってる?24時』からの継承である。
  • 森三中黒沢かずこがこの番組のファンである。理由は「オープニングトークが長いから」(アメトーーク!より)
  • 笑い役
    • ラジオのバラエティ番組において、必須のポジションである笑い役は、番組のチーフ作家石川昭人である。彼の笑い方はかなり豪快で、ツボに入って大笑いすることもあるが、少なからずリスナーに対する誘い笑い的要素も含んでいると思われる。
  • フィラー
    • Lioの「The Best Of Lio」というアルバムの中から以下の曲が選ばれ、使用されている。

    Amoureux Solitaires , Zip a doo wah , Amicalement Vorte , Mona Lisa , Je ne sais pas dire oui , I'll expose you

  • ポッドキャスト
    • 2006年10月5日から、ニッポン放送 ポッドキャスティングステーションにて「電話が鳴るまで」のオープニングトークを配信。
    • またはiTunesをダウンロードし《iTunes Store→Podcasts→くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン→購読する》で聴けるようにもなる。
    • 第1回目のポッドキャストは、コーナー祭りでオープニングトークが省略されたため、ダウンロードできなくなっている(当初はできた)。
    • 開始当初はタイトルどおりリスナーからの電話が鳴ってタイトルコールを言ったところで終了したが、上記のように最近はリスナーからの電話がなくなったため、有田がタイトルコールをするまでの部分が配信されている。とはいえ、放送開始からタイトルコールまで30分もあるため、CMを除いた番組の1/3はこのポッドキャストで聴くことができる。

コーナー

通常コーナー

  • すべて通常はハガキコーナーである。
  • 冒頭にコーナー開始時期を示した。
  • ここでは番組内でのコーナー終了宣言の有無をもとにコーナーを分類しているが、自然消滅したコーナーも存在する。番組終了時点で募集していたコーナーはこちらの公式ページを参照:ハガキコーナー紹介!
  • 基本的に有田発信であるコーナーが多かった。

ツッコミ道場! たとえてガッテン!

番組開始時〜
  • この番組の看板コーナー。上田チーム・有田チームに分かれ、それぞれに用意されたテーマに対して、飽くまでもたとえツッコミを入れるコーナー。ただし後述のとおり、テーマの単語が文章中に入っているだけというネタが段々増え、形骸化が進んでいった。
  • タイトルはNHKの『ためしてガッテン』に由来。テーマソングはRam JamのBlack Betty。
  • 計5ラウンド。3人の判定員(番組スタッフやゲストが担当する)がどちらのチームのたとえツッコミが上手かったかを1ラウンドごとに判定し、3ラウンドを先取した方が勝者となる。5ラウンド待たずして決着がついた場合、消化試合が行われる。主に有田からの提案により、時々7ラウンドやることもある。
  • 5回連続で負けると罰ゲームが実行される(『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』のコーナー「たこいかジャンケン」のルールを踏襲)。今まで、上田・有田がともに4連敗を2回経験したが、有田チームが2007年10月2日・2008年11月18日に5連敗が確定した。
  • 放送された全116回の対決中、上田が65勝、有田が50勝、引き分けが1回。
  • 当初は純粋にたとえツッコミのみの対決であったが、第9回放送での「上田と前田アナ(テレビ朝日のアナウンサー)がくっついてほしい自分に対し一突っ込み、『恋のキューピットか』」というツッコミを契機に、次第に突っ込みの前の文章が長くなる傾向が始まり、コント調のネタや『長州藤波のオールナイトニッポン』(くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンのパーソナリティを長州力と藤波辰爾に置き換えたもの)などのテレビ・ラジオ番組を元ネタとしたものが増えていった。初期は上田は「たとえツッコミだからな!」と否定的だったが、この形式のネタが多く送られるようになると、上田も採用するようになった。
  • 罰ゲームの内容は決まっておらず、有田がコーナー内容説明の際に(あくまでもネタとして)発表している。当初は上田に対して『上田家物色』有田に対しては『どーも、ボクです総選挙』だったが、それ以降はほぼ毎週変わっている。上田に対するものは主に『上田さん(の奥さん)と100人の童貞リスナーによる〜』といった内容で、有田に対するものは、『一泊二日で温泉旅行に行く』などといった全く罰ゲームになっていない内容がほとんどであるが、『出家』『パイプカット』など厳しいものになっている場合もある。
  • ノベルティは勝利チームにはガネック!、敗北チームには手紙が送られる。ガネック!をもらいたいが為に、両チームに投稿するリスナーもいた。
  • 二人のフリートークの長さから他のコーナーが行われない場合でも、このコーナーだけはほぼ毎週行っていた。また一時期は、一つ一つのネタのボリュームが大きくなりすぎたため、30分以上の時間を割いていた。最終的に20分程度で落ち着いた。
  • 2006年の節分のとき、テーマが「鬼(上田) VS 仏(有田)」対決になった、「仏」はツッコミが難しく投稿が不調であり、それを面白がった上田やスタッフが、数週に渡って嫌がらせのようにテーマと無関係に有田チームのテーマを「仏」とした(これを契機として、コーナー全体にたとえツッコミはおろかツッコミですらないコント形式のネタが急増する)。次第に「仏」で有田チームが勝つようになり、連敗ストップのため逆に上田チームのテーマが「仏」になってしまう。ついには「仏 VS 仏」対決が行われ、それを最後に仏ネタは封印されたがお盆(盂蘭盆会)に復活した。他に「仏」のように面白がって有田チームへ繰り返し使われるテーマとして「おふくろさん」「豆」「ジョー小泉」などがある。
  • ダブルユー(松田優作内田裕也)のオールナイトニッポン(上田チーム)など、ほぼ毎週読まれるような定番ネタもあった。テーマのフレーズさえ入れれば後はフリーという傾向になっていったため、決着がついて読まれなかったネタに対して、「フレーズだけ変えて来週も送って」ということもあった。
  • 2007年10月2日の放送において、ついに上田チームが5連勝し、コーナー始まって以来初の罰ゲームとなる。翌週に有田への罰ゲームを決める際に当時『有田と付き合っているのでは』と噂されていた西川史子が生登場することが発表されると、翌々週に罰ゲームとして「哲平・史子のラブラブナイトニッポン」を放送することになった。
  • 2008年11月18日にも上田チームが5連勝。有田への罰ゲームとして大御所ゲストにパネェ質問SP リターンズが行われた。
  • 最後の対決(「紅白今年ブレイクした人対決」、上田チームは「DAIGO」、有田チームは「木下優樹菜」)は、葉書を募集したものの、放送されなかったため番組ホームページにて葉書を公開(勝敗はなし)。

有田哲平の魂のリクエスト!

番組開始時〜
  • 番組終盤の26:45ごろに不定期に始まる、上田が忌み嫌っているコーナー。テーマ曲が流れ始めた途端に上田がうんざりし始める(2006年頃からは、「うぉ~い!」と罵声を発するようになる)のがお約束となっていた。略称は「有魂リク(ありたまりく)」。
  • 基本的には、目からウロコ!24にあったコーナー、「有田先生の青春応援歌リクエスト!」と内容は変わらない。
  • 福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ内のコーナー「魂のリクエスト」をパロディー化したもので、リスナーから寄せられたエピソードに有田の魂が揺さぶられた場合にのみ、有田がリクエスト曲を歌うことになっているが、毎回歌う。歌う時だけ大きめな手持ちのマイクに替えて歌う。
  • 有田のタイトルコールの言い方が福山雅治風になり(「目からウロコ!24」を担当していた時からすでにそうだった)、自分のことを「俺っち」「アリテツ」などと呼ぶナルシズム全開キャラに変貌する。しかし、少しずつ口調は崩壊しはじめ、最終的には何を言っているかわからないほどの完全な壊れキャラと化したと同時に「槍玉にあがってのじゃがましいアホンダラ」や「坂田利夫のやらしいよ!キクエちゃん」、「アリゾナ州ってレクレーション楽しいの」等コーナーの趣旨とは全く関係ないタイトルコールを言うようになった。そのくせ、投稿読みと歌だけはきちんとした口調で行うため、その「配慮」が上田の感情をさらに逆撫でした。
  • リスナーから寄せられるエピソードはたいてい著名人や、挙げ句の果てには人間でないモノを騙っており(ファミコンなどの物系や上野駅などの建物系、さらには月曜日などとモノとしては成立しないものにまで騙っている)、最後に追伸で全部嘘であることを告白し、有田が激怒しつつも結局リクエスト曲を歌うのがお約束となっていた。イルカの「なごり雪」や、C-C-Bの「Romanticが止まらない」など、複数回歌っている歌もある。
  • 追伸の締めには「有田さんの天使の歌声を今日も世界中に届けてください」や「友達の中でも1番の人気だから歌い続けてくれ」などのコーナー存続を願うリスナーからのメッセージが入っていることがあった。
  • コーナー開始から終了まで上田はキレっぱなしで、リクエスト曲が始まると有田本人や歌詞に対して(歌詞に合わせて)ツッコミ・罵倒を浴びせている。最初の頃は歌詞に合わせてツッコミを入れることから「わしゃ人生幸朗か」と言っていた(上田の好きな歌であるスピッツチェリーを歌ったときは、わざと遅れて歌うなどしたため半ば本気で嫌がった)。ただし、有田の歌マネが上手いときは、キレながら褒めていることがある(長渕剛乾杯」、サザンオールスターズ希望の轍」など)。また、曲のリクエストはANNエバーグリーンに送るように言うこともあった。
  • 上田は有田に対してキレたふりをしているだけで、CM明けの有田の提供クレジットの後には、何事もなかったかのように「エンディングー」と言っていた。
  • 2016年以降の復活特番でもこのコーナーが行われており、その際に上田は「うぉ〜い!」という雄叫びは発しないが、相変わらず有田は口調が崩壊しているキャラで、キチンとコーナータイトルを言わなかったり、上田も歌詞や有田に対してツッコんでいる。

いや、まいったね…

2007年4月24日〜
  • 2006年夏頃から、有田が番組の冒頭に必ず『いや、まいったね…』と言い、そこから有田がまいった内容のトークを展開していくのが定番となった。そして有田の『僕が毎週、この番組で話しているように、世の中、生きているだけでまいるような出来事ばかりが起きる』といったようなネガティブな発言に目をつけたスタッフが、遂にコーナーまで作ってしまった。
  • このコーナーではリスナーが、家、学校、職場等でこれはまいった…という話をリスナーが送ってくるというシンプルなコーナー。
  • これに対し上田は『人のまいった話なんて聞きたくねぇ!』と反発した。上田の発案により、有田が言うまいった話は『バス編』、そしてまいったと言っても、「いや、まいっちゃうぜ、デヘヘヘヘ…」と嬉しいニュアンスが入った方は『テノール編』として2種類を募集することになった。しかし、『テノール編』より『バス編』の投稿が多い。
  • 2007年7月3日放送で、コーナー終了間際に、有田が上田に「今週のマイッチストを決めてください」と言い出し、青森県のRN山形県の「お酒を飲むと楽しくなっちゃうんだよね、いや、まいったね」(テノール編)というネタが、マイッチストに選ばれた。ちなみに、それっきりマイッチスト選びは行っていない。

ババアはほんっとにババア伝

2006年1月31日〜2006年11月14日、2007年6月26日〜
  • 前コーナー名は《ババアはほんっとにババアだなぁ》。
  • ミス・うっかり・言い間違い・見当違いのオンパレードであるくりぃむしちゅーの大橋由佳マネージャー(バツ一おばさん・大学生の一人娘持ち、現ナチュラルエイト代表取締役社長)の、リスナーが街で見かけた「ビッグプレー」を報告してもらうコーナー。
  • テーマ曲は明石家さんまの「アミダばばあの唄」。
  • 当初は大橋マネージャーが普通のシチュエーションで引き起こしそうなビッグプレーの投稿が多かったが、後に大橋マネージャーがカラオケで歌っていた失敗を開き直る内容の替え歌(大橋じゃんけんぴょんなど)や、娘との漫才やコント(オリエンタルラジオなかやまきんに君タカアンドトシなどのネタを題材としたもの)といった突拍子もないネタが投稿されるようになった。コーナーの大変な盛況ぶりにより行われた4月18日放送のSW企画「ヤマザキ春のババァ祭り」で大橋マネージャー本人による替え歌等の音源が放送された。
  • 投稿を読んだ後に、上田が訳も分からず「飛ばしてはくれてんのね」というコメントを有田に言わされることが多い(大橋マネージャーが何かやらかしたときに楽屋で交わされる台詞らしい)。
  • 公式ホームページでは前タイトルのままで募集されていた。
  • 投稿数減少のため2006年11月14日の放送で、ハガキがたまり次第行うとされ長らく休止状態が続いていたが、2007年6月19日のOPトークで、ババア大橋の過去の秘密(スカウトされた経験がある、JJの読者モデルをやっていたことがある、など)が暴露された。そのさい、このコーナーを《ババアはほんっとにババア伝》と改名してババアがやったと思われる過去の武勇伝を募集することが決定した。詳しくは ポッドキャスト第34回[リンク切れ]
  • くりぃむは『過去のババア大橋のエピソード』を募集しているが、送られてくるのは今のババアのことに関しての報告が多い。
  • 2007年6月26日のコーナー前のフリートークで、大橋を『ババア』と呼ぶと、知らない人に驚かれるため『ババさん』と呼ぶことがくりぃむから提案された。しかしその後、結局再び『ババア』と呼ぶようになった。
  • 2007年7月10日の放送から、最も面白かったネタにはベストバベリストが贈られるようになった。

私とラジオネーム

2006年8月8日〜2006年9月、2007年7月17日〜
  • リスナーがなぜ自分のラジオネームをこれにしたのか、という理由を披露し、上田がそのラジオネームの使用を正式に許可するか判定するコーナー。却下された場合、上田の考えた健全なRNに改名しなければならない。また、それによって上田のネーミングセンスの悪さも際立ったコーナーであった。
  • きっかけは「塩」「米」のような一単語系、「脱糞」「アウトオブうんこ」「カチンコチンコ」のような下ネタ系、はたまた「僕は誰だ?」「ピ」のような、あまりにも変なラジオネームしか来ないので、コーナー化された。
  • テーマソングはゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」。
  • 取り上げられたラジオネーム
    • 第1回 「塩」「検尿子」
    • 第2回 「南国」「俺のパンティー鹿児島」「うんちくん」
    • 第3回 「椅子」「てりやき産業」「水槽」
    • 第4回 「犬のにおい」「はじめのインポ」「うなぎファクトリー」「押入れ」
    • 第5回 「下から二番目」「こおろぎ鍋」「しこり」
    • 第6回 「せんずり」「布団が敷いてある」「カチンコチンコ」
    • 第7回 「騎乗位」「チンゲス・ハン」「ワキガ」
    • 第8回 「アナルンサー」「早漏流し」
    • 第9回 「包茎牧場」「ガナルアナル・タカ」
    • 第10回 「チャリティンコ」「なんだかんだで対面座位」
    • 第11回 「もう勃起しない俺のチンコ」「本能寺の変態」「サタデー太鼓フィーバー」
    • 第12回 「邪(よこしま)ペニスターズ」「ドイツ人・チンコ・ブラリーノ大佐」「栃木のイベンター」
  • 以前はこのコーナーはあまり行われずエンディングの呼び込みもほとんど行われ無くなり、いつのまにか公式ホームページのコーナー紹介からも削除されていたが、2007年7月17日の放送で復活。
  • “番組100回記念イベントin東京ドームシティ”では、「公開『私とラジオネーム』」が行われた。

僕らの美談

2007年11月13日〜

くりぃむしちゅーや多くのタレントの“創作美談”を募集し、「意外にもそんなハートフルな一面あったんだ…」と世間に思わせることでイメージアップを図ろうという非常にヤラしいコーナー。 上田はこのコーナーに「もっと、リアリティーがほしい。」などと積極的な姿勢を見せる。リアリティーのないものは「クソつきパンツ」らしい。評価の基準は、ダメなものから順に「クソつきパンツ」→「パンツ」→「美談」といった順番である。

ぷにすけ・パチェコのコーナー

2008年3月25日〜(『ぷにすけのコーナー』として)

『有田哲平の魂のリクエスト!』に投稿してきた「森ぷにすけ」というラジオネームから有田が着想を得、コーナー名のみ明示して投稿を募集。当初のコーナー名は『ぷにすけのコーナー』。その後3月25日のこのコーナーに「山田パチェコ」というラジオネームのリスナーから投稿があったことから、コーナー名が『ぷにすけ・パチェコのコーナー』に変更された。

「『ぷにすけのコーナー』とはどんなコーナーなのかを送ってもらう」という趣旨であり、具体的なコンセプトなどについては番組側からは一切明示されなかったため、徹頭徹尾脈絡のない意味不明な文章、俳句、「上田の母からの手紙」、構成に工夫を凝らしていたり美談を装っていたりするネタ文章、ぷにすけのおかしなアルバイトの顛末記などが次々と投稿されることになった。そういった多彩なネタのほとんどに「ぷにすけ」が登場するが、必ず登場させなければならないと決まっているわけではない。

このコーナーにおける上田は、『魂のリクエスト!』『スターダストNIGHT』等における場合と同様、有田やネタに苛立ちの表明と罵倒を繰り返す存在となっている。有田はネタを読み上げると、上田に「何ぷにですか」と評価を数値化することを求め、嫌々ながらも上田が下した評価にあわせ「では何パチェですね」と締める(たとえば上田が「2ぷに」と評価すると、「では8パチェですね」と締める。このように、「ぷに」と「パチェ」の数値の合計が必ず10になるように評価される)。なお、「ぷに」と「パチェ」がどういった価値を表しているのかは一切明示されていない。後には、「ぷに」「パチェ」に続いて、「晋也上田のハンパねぇ質問」(後述)に「スポーツとスパッツの違いがわかりません」という投稿があったことをきっかけに「スパッツ」という単位も使われるようになったが、こちらもどういった評価を示すのかは一切明かされなかった。

コーナーの最後に有田が「MVP」(MVぷにパチェ)を選定するが、どのネタも「ぷに」と「パチェ」の合計が10であるため差がつかず、毎回MVPは「なし」だった。このことに上田が怒るのも定番の流れとなっていた。

BGMは西村由紀江の「いつまでも」

剛長渕の「へへっ、おめぇも螺旋食うのか」

2008年7月29日〜

2008年7月1日の放送で、上田が親交のある長渕剛と食事に行ったエピソードを披露。上田が、そこで出されたキュウリを螺旋状に切った刺身のつけ合わせを食べるべきか迷っていたが、長渕が食べているのを見て会話の間に食べることにした。その際、長渕が「おぉ~、お前もこういうの食うのか。」と話した。それを聞いた有田が長渕の口真似で「おめぇも螺旋も食うのか」とギャグを挟んだ。ここから着想を得て開始されたコーナーである。

「長渕が日常生活で言ってそうなフレーズ」を募集しているという体だが、もちろん「長渕が言わなさそうなフレーズ」を募集している(後述するコーナー「長州有力(ありき)の今しかないぞ! 俺たちの時代だ!!」と同じ趣旨)。コーナー開始にあたり、長渕本人の許可は得ていない模様。上田は長渕への体面もあり、笑いながらも嫌がっている。

晋也上田のハンパねぇ質問

2008年9月9日〜
  • リスナーから募集したスポーツに関する質問に上田が回答するコーナー。しかし、その質問は『プロ野球のネクストバッターズサークルUFOは呼べますか?』『フットサルをする時に頭にほうれん草を乗せないのはなぜですか?』『バスケの試合中に突然太鼓を叩きたくなった場合、どうすればいいですか?』といった意味不明且つ理解不能な内容(上田曰く「パネェ質問」)ばかりで、上田が忌み嫌うコーナーの一つである。
  • 元々は、2008年8月12日放送分のOPトークにて、夏休みで海外へ行っていて日本の状況を知らなかった有田が、上田に対して、当時盛り上がっていた北京五輪に関する「パネェ質問」を延々と投げかけたことがこのコーナーの発端である。その「パネェ質問」は翌週も続けられ、さらには2008年8月26日放送分で、なでしこJAPAN澤穂希をゲストに迎えるに当たり、澤に向けた質問を募集したところ、『疲れるのがわかっているのに、人はなぜスポーツをするんですか?』『スポーツとスイーツはどう違うんですか?』といったような「パネェ質問」が有田に乗っかったリスナーによって多数投稿されてしまったため、代わりに同日のオープニングで上田が質問に答えた。そして、2008年9月9日放送分より、リスナーから募集した「パネェ質問」を有田が上田に投げかけるコーナーとしてレギュラー化された。
  • 「スポーツに関する質問」を募集するという建前があったが、実際には『先程からハンディカムでずっとお稲荷さんを撮影しているのですが、ピクリとも動きません。やはり室温を25度にしてしまったのが原因なんでしょうか?』『なぜ殺されるのに本能寺なんて行ったんですか?』、『どうして母さんは出て行ったんですか?』等スポーツと全く関係ない質問も多数採用された。
  • タイトルは「人志松本のすべらない話」を基にしており、有田のタイトルコールも当該番組のナレーション(若本規夫)風のものになっている。

心にあったかいミルクティーを。 くりぃむしちゅーCAFE

2008年11月4日

OPトークにて、有田の初心に戻るといった考えから始まったメール相談コーナー。リスナーの素朴な悩みを有田がFMラジオのDJ風に読み上げるというものだった。しかし、有田が下品なラジオネームを伏せて相談を読みだしたため、その度に上田がラジオネームを発表するよう有田に要求し、有田が架空の趣味の話などをした後に、ラジオネームを紹介して次の相談に行くというパターンが繰り返された。はがきの募集はしていたものの、結局一度きりであった。

不定期・休止コーナー

スターダストNIGHT

2005年12月6日[2]〜2006年4月18日(第1期)、2006年11月14日〜2006年12月26日(第2期)、2008年12月30日、2016年12月6日
全体に共通する特徴
  • 有田哲平が演じるDJ「スターダスト有田」(または「スターダストNIGHT有田哲平」有田哲平という割には何故か女性)が、1時の時報直後から始めるFM番組調のコーナー。厳密にはコーナーではない。このコーナーの間、上田は有田への突っ込みと罵倒に終始する。
  • 自身が語るところによると、スターダスト有田は東京外国語大学卒。入試のときには運をつけるために、クソをぶっ掛けたパスタを食べて臨んだ。放送局は「東都FM」。FM局のパーソナリティーということで、坂上みき(TOKYO FMの番組に出演しているナレーター)や松本ともこ(元TFMアナウンサー)と交流が深いらしく、よくパスタを一緒に食べにいくという。くそのぶっ掛け合いもするという。
  • 有田はメールのことをエレクトリック(エレクトリカル)・メールと呼ぶ。はがきの事を「官製はがき」と、きちんと説明し、必ず上田に「はがきでいいよ」と突っ込まれる。
  • 第一声は「寒いわね」。「コックピットのあなたへ」と言う時もある(TBSラジオで放送されていたいすゞ歌うヘッドライトからの引用か)。
  • リスナーからの投稿は、恋愛相談や、(自称)兄弟番組からのパーソナリティからのものなどがあるが、投稿内容もDJのトークも「クソをぶっかける」など糞関連の内容で終わるのが定番である。そして、糞関連以外の話題については、「有名人(荒川静香城島健司など)とパスタを食べにいった」といった話に終始し、内容が極端に短く薄いため、上田に「内容のある話をしろ」と突っ込まれる。上田がオープニングに季節柄の話題を話したいと発したため、ワールド・ベースボール・クラシック決勝戦当日の放送では、冒頭に日本代表優勝決定の模様が流れ、WBCの話題へ持ち込む空気を作っていたが、その直後に「星に願いを」を流すフェイントをした上に、WBCについての話題は早々に切り上げられて、糞関連の話題が展開された。
  • FM局の番組を自称しているが、スタッフに絡んだり、駄洒落を発したり、「ドカンとお送りする」といった前時代的なフレーズを発するなど、実際の内容は極めてAM局的である。
  • 有魂リクにも出てくる「ケンちゃん」と呼ばれるADかミキサーらしき人物がいるらしいが誰も見たことがない(AD改めED:ビーチの本名をもじった物という説がある)。
  • 放送開始から15周年を超える長寿番組を自称している(2006年4月11日放送でスターダスト有田は151回目の放送だと言ったが、上田にそれだと年に10回程度しかやっていない計算になると突っ込まれるや、15年と1回目と訂正した上、あたかもケンちゃんが間違ったようにうそぶいていた)。
  • 有田哲平の魂のリクエスト! とは併用されない暗黙のルールがある。しかし、過去に1度だけある。
  • ポッドキャストでも配信されている(第七回〜第十二回、擬似的に第五十六回)。著作権等の理由により、BGMはカット。
  • 兄弟番組には、有田の後輩であるスターダスト無田の担当する「スターダストランチ」(スタラン)、アイコの担当する「スターダストお帰りなさい」(スタおか)や月曜日~土曜日の朝(放送時間は朝の7時から夕方3時までCM無しの8時間ぶっ続け)に有田の妹的存在のユキが担当する「スターダストモーニング」などがある。ちなみにスターダストランチではイベントとして糞の配布会が行なわれたり、スターダストモーニングでは糞関連のメールの募集やアンケート、ちん毛のコーナー、一杯のかけ糞のコーナーなどが行われているなどいずれも糞関係の内容が放送されているらしい。
  • このコーナーで頻繁に発せられた「糞ぶっかける」というフレーズは、長州力が発した「あいつらが死んだら俺が墓に糞ぶっかけてやる」という発言が元ネタである。
第1期の沿革
  • 当初は有田が「さわやかにやってみたい」という希望から、FMの番組をまねたような口調で話し、実際にはかからない曲紹介をするだけで終わっていたが、2005年12月6日に有田の口から「スターダストNIGHT」という「番組名」が明言される。そして12月13日放送でRNせんずりが港区在住のOL・哲平ラブになりすまして送ってきたメールが読まれて以降、毎回リスナーのメール・ハガキを読むスタイルになった(間もなく糞がらみのメール・はがきが多数を占めるようになる)。またオルゴールによる曲(当初はクリスマスソング、後に「星に願いを」。北海道知床での放送のときは、「知床旅情」)がテーマ曲として流れるようになり、第1声に「寒いわね」が使われるようになった。またリクエスト曲も実際に掛けられるようになり、有田がそれに合わせて糞関連の替え歌を歌った後(この時点で、『魂のリクエスト!』の裏バージョン的スタイルが確立する)、有田が上田の罵倒に対し「何なんですか!!」と言って終わるのが定番となった。結果、当初は30秒足らずで終わっていた「有田の悪ふざけ」が、第1期終了時には6分前後を費やすコーナーに発展した。
  • 『星に願いを』が流れ始めても有田がいっこうに話し始めず、その間上田が愚痴や罵倒を連発するといった演出も多用された。
  • エスカレートする一方の内容の薄さ・下品さ・DJの身勝手さにキレた上田が、2006年4月4日に、翌週(スペシャルウィーク)に松本ともこを本当にゲストに呼ぶこと、坂上みきとは交渉中であることを発表。事前に知らされていなかった有田は、大焦りで「設定は曖昧になっていたが、スターダスト有田とくりぃむしちゅーの有田は別人」「スターダスト有田は女性」ということにしてくれと懇願していた。
  • そして2006年4月11日放送で、本当に松本ともこがゲストとして登場(坂上みきは登場せず)。スターダストNIGHTでのメール紹介の時にスターダスト有田が「マッピー」と呼びかけると、松本ともこに「呼び捨てにしないで」とバッサリ斬られたりもしたが、松本ともこの「大人の対応」により、「親友」にしてはちぐはぐなトークが展開されつつも、なんとかコーナーは終了。その後、松本ともこにDJという職業にまつわるエピソードを聞きながら本物のDJのあり方を学んだ有田は、スターダストNIGHTの完成型を次週に見せると豪語。それに対して上田は、進歩が見られなければ次週でスターダストNIGHT終了と宣告した。結局、4月18日放送ではパスタをパエリアに変えたなどと有田は主張したが根本的な進歩の欠片は見られず、「15周年を迎える長寿番組」は終了となった。
第2期以降の沿革
  • 2006年11月14日放送のオープニング冒頭、「寒いわね。」という言葉で約7ヶ月ぶりに復活。理由は「寒くなってきて『寒いわね。』の言葉を発するようになったから」らしい。突然の復活に上田は激怒し、コーナー中「何で復活したんだよ!」「マッピー呼ぶぞ!」などと罵倒するばかりである。
  • 復活後はトークやメールの内容は相変わらずであったが、有田の口から松本や坂上の名前は一切出されなくなった。その代わりケンちゃん・マネージャーの木下さん・友達のマリちゃんといったキャラクターが登場し、トークの題材となった。替え歌は歌われなくなり、有田がなんでもないエピソードに過剰反応して延々と甲高い笑い声(ヒューマンビートボックスを行ったり、救急車のサイレンをまねたような声を出すこともある)を上げ続けた後に、有田が突然素に戻り「何なんですか!!」と言って終わる展開となっている。上田はこれに対して、初期は罵倒していたが、後に呆れ調子で、リスナーに対して『文化放送を聴け!』と言ったり『放送禁止用語言いてぇ〜。今のこいつには放送禁止用語しかあてはまらねーよ。』と言うようになった。
  • 2006年12月26日放送以来、休止状態となったものの、2007年12月11日放送でスターダスト有田が自信の持ちネタ芸を披露したため、擬似的に一夜限りの復活。上田は常に罵倒し続けていたが、この復活した回はお笑いDynamite!で108組の芸人のネタを長時間かけて見た後だったが「今日見た109組のなかで一番面白い」と絶賛しアンコールを求め結果2つのネタを披露した。
  • 2008年12月30日の最終回で復活。延々と甲高い笑い声(ヒューマンビートボックス込み)を上げ続けた後、曲が掛けられるという、第1期と2期を混ぜたような展開となった。またこの回ではケンちゃんと木下が結婚したというエピソードが披露されたが、第2期放送時は木下の言葉は男声で表現されており、設定の矛盾が起きている(途中で有田と上田は矛盾に気づいており、有田は木下は女性であると強弁)。
  • 2016年12月6日の復活放送で復活。

幻のコンビ芸人『4400』〜サードシーズン〜

2006年12月12日〜
  • アメリカの海外ドラマ4400 未知からの生還者のイメージキャラクターをくりぃむしちゅーが務めていることがきっかけとして始まった。2006年12月12日に12月末にまでの期間限定で行われることが発表された。もしもくりぃむしちゅーが2006年12月の時点でコンビ名を4400に改名した場合、数年後にどこでどんな活動をしているのか!?というのを送ってもらうコーナー。
  • 2006年12月限定のコーナーだったが、2007年1月以降から『セカンドシーズン』と名を改めて継続することになった。
  • 2007年3月6日の放送で『セカンドシーズン』の第1回が行われた。このとき、上田がコーナー中に「こんなコーナーだったかなあ?」と疑問を投げかけた。新たな展開になることを願って次回からは『サードシーズン』と名を改めて継続することを上田が決定した。
  • 2007年4月24日の放送で『サードシーズン』の第1回が行われた。今回も上田は「コーナーの趣旨がズレてきているな…」再び疑問を投げかける。そして有田が「今日まで〜にしますか?」問いかけるが、上田は「前回よりも少し方向性が見えてきた」と話し、もう1週だけ行い、そこで方向性が見つかれば、フォースシーズンに突入すると上田が決定した。
  • 毎週募集されていたにもかかわらず、一度きりしか行われなかった。
  • 内容はほとんど違わないのに募集呼びかけの際「サードシーズンだからな。(セカンドシーズンと)間違えんなよ。」と発言する上田が「ウケをいただいている」としてリスナーにいじられる要因になった。
  • BGMは4400TVシリーズのイメージソングだった、My Little Loverの「チャンス」。

有田川柳・上田俳句

2006年1月3日〜
  • 新春スペシャルで好評だった「有田川柳・歌会はじめ」をコーナー化したもので、有田を賞賛する川柳関連の季語(「クソ」「便」「フン」「ウンコ」など)を入れた上田を罵倒する俳句を募集する「21世紀正岡子規を発掘する文部科学省推薦のコーナー」である(有田談)。
  • 上田が忌み嫌うコーナーの一つであり、上田俳句に送ってきたリスナーの本名を明らかにすることがお決まりとなっている。但しコーナー第1回目は激怒した上田が本名と住所を暴露しようとした途端、有田に制止されたりハガキを隠されたりとリスナーを庇われ、「翌週送ってきた奴の本名と住所全部暴露してやる。それ覚悟で送ってこい!」と脅迫し2回目以降から暴露された。
  • コーナーを開始するやいなや大反響を集め、一時期は例えてガッテンのハガキの数を超えることもあり、2007年新春スペシャルでも、数多く紹介されて感謝メールが殺到するなど、リスナーから強く支持されていたコーナーである。
  • コーナー自体は滅多に行われなかったが、エンディングで有田が告知し、上田が送ってくるなというパターンは時々見られた。
  • なお、このコーナーは毎年、年明け最初の放送のオープニングで行っていたが、2008年は昭和プロレススペシャルと題し、2時間まるまるますだおかだと昭和プロレスについて語ったため行われなかった(なお2007年最後の放送でも、事前にコーナーはまったく行わないと告知されていた)。

上田晋也のおしゃれだからねぇ

2007年3月6日〜
  • 上田がどこでどんな服装をしていたか、そのとき上田の服装に文句をつけたら「○○だからねぇ」と返された、という目撃談を報告するコーナー(もちろん本当の目撃談ではなくネタである)。
  • 2007年1月30日のオープニングトークで、上田のファッションセンスの酷さの話になり、昔から上田が自分の格好悪いファッションに文句をつけられたときに「○○(ブランド名などが入る)だからねぇ」と言い訳して文句を言ってきた人を黙らせるという技を良く使っていたということも話された。そこで有田がコーナー化を提案した。
  • 上田の酷いファッションセンスが元ネタのコーナーで、かつリスナーから送られてくるネタ上でも上田のファッションセンスは酷く、上田が嫌がる(演出上)コーナーの1つ。しかし、コーナーのタイトルコールやあて先は上田が言わされている。しかし最近では有田一人で言っている。
  • RN川上オブジョイトイによるネタで、上田に「○○だからねぇ〜」と言われた後も、さんざん上田の服装につっこみをいれ続けたために、追いこまれた上田が川上オブジョイトイに対して「おい川上オブジョイトイ、そっからさきのことは黙っとくわけにはいかないかぁ、口をつぐむわけにはいかないかぁ。」と言う、という流れが非常に盛り上がり、その盛り上がりはコーナー内にとどまらず、他のコーナーにも広がり、この番組の中では大きな話題となった(「口をつぐむわけにはいかないかぁ」のフレーズはくりぃむのラグビー部時代の同級生ブリーフのセリフからの引用であるが、このネタ以降は上田の決めゼリフとして扱われることが多かった)。
  • 後には「うるせぇなぁ、先行ってんかんな!」と言い、どこかへ走り野グソをするというオチネタ、上田の妻が出てくるネタ、さらにはファッションについて全く語っていないハガキも多くなり、ある意味やりたい放題なコーナーと化した。
  • このコーナーでハガキを読んでいるのは有田であり、変な上田のモノマネ(声帯模写)の人気がこのコーナーを支えていると言える。
  • 当然ながら上田はこのコーナーを嫌っている(体)。そのため、有田が上田に『あて先を紹介してください』と言っても『嫌だよ』と拒否したり、『このコーナー今日までー』などと言って、あて先紹介をしようとしない。しかし有田が『コーナー募集を黙っとくわけにはいかないかぁ』などと言われると、人が変わったかのようにあて先を募集する。それでも最後には『送ってくるなよ』と脅迫は忘れない。この件は、上田の「嫌い」なコーナーや企画のほとんどで行われている。
  • 2007年7月頃を最後に自然終了。

ガゼッタ・デロ・ブッコミーノ

2008年2月5日〜
  • 前コーナー名は「ガゼッタ・デロ・カリカリーノ」。
  • 2008年1月22日のOPトークで、有田がリスナーから送られてきたメールを何通か紹介。その内容とは、上田がおしゃれイズムなどのピンの仕事の中で、例えをぶっこんだりして笑いを取っている場面のレポートだった。これを上田は極度に嫌がったものの、有田は逆にその様子を面白がり、このレポートをレギュラーコーナー化することを決定した。その名も、「ガゼッタ・デロ・カリカリーノ」。このコーナーでは、リスナーが記者となって、イタリアのスポーツ紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」風に、テレビ番組に登場した上田の動きを、サッカーのプレーに例えて評価する。文頭は「今回本紙は、○○(テレビ番組)の司会を務めた、上田晋也の動きに注目した。」ではじめ、最後は「本紙が下したこの日の上田晋也の評価は、前半○(点数、10点満点)、後半○だった。」で締めくくる。上田本人の「俺は一度も笑いをとりにはいっていない、ぶっこんではいない」という発言を受けて、2月12日の放送からタイトル名が「ガゼッタ・デロ・ブッコミーノ」に変更になった。
  • このコーナーは、この番組で以前行っていたコーナー、ガゼッタ・デロ・オワライーノの調査対象を、上田に特化したコーナーと言える。
  • 上田曰く「俺はぶっこんでいない。世直しをしているだけだ」と言い、今まで送られてきた全てのはがきに対してぶっこみの否定をしている。そのためか、コーナー初期では3, 4通のはがきが紹介されていたが、その後、葉書が2通ほどに減少し、コーナー自体行われていない回が多かった(番組終盤の告知でも取り上げられていない)。
  • 世直しのため、一番乱れたバラエティ番組を許せないから芸人になったと主張する上田だが、リスナーからの「デビュー当時はボケだったがどういうことだ」というはがきに「そいつはすげーや」と言葉を濁した。
  • 番組内で上田が笑いを取るための発言や方法論を分析してイジるような投稿が読まれた際、「俺をいじるな、だが興味は持て」と言っていたが、このコーナーで毎週詳細な分析が投稿されることから「俺をいじるな、そして興味も持つな」と言っていた。

タイトルコールBGM:UEFAチャンピオンズリーグ・アンセム

ネタ読みBGM:アンセム-2002 FIFA World Cup 公式アンセム

終了したコーナー

ガゼッタ・デロ・オワライーノ

番組開始時〜2006年11月14日
  • イタリアのスポーツ紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」のように、リスナーが記者となって、テレビ番組などに登場した特定のお笑い芸人(藤波辰爾などの一部プロレスラーの報告もある)の動きを、サッカーのプレーにたとえて評価するコーナー。最後に前半と後半に分けて各10点満点でリスナーが評価を下す。だが、長文でハガキ職人の負担が大きいことから、ハガキが来なくなり、コーナー終了となってしまった。

みんな大好き!サンキュ〜です!

番組開始時〜2006年11月14日
  • 何でもいいから、「サンキュ〜です!」と言える出来事を募集するコーナー。このコーナーの名前の由来は知ってる?24時。(上田時代)のリスナーの名言、「サンキューです!」から。
  • 主に不幸なことを明るく笑い飛ばす内容が多かった。

新★48手

番組開始時〜2006年11月14日
  • もはや時代遅れとなった48手に代わり、新しい時代にふさわしい48手を考えるコーナー(有田も認める「下ネタコーナー」)。単語だけでも可。上田はあまり気が進まないコーナー。
  • 有田の「オールナイトには下ネタコーナーが王道。」という発言から始まった。
  • BGMは「有田川柳・上田俳句」と同じ。

上田相談員の一単語人生相談

2005年11月22日〜2006年11月14日
  • 進行役の有田曰く「みんなのアニキ」「ヤンキー先生」「なにわのヤングボーイ」こと相談員の上田が、送られてくるリスナーの悩みを一単語で解決するコーナー。
  • 「みんな大好き!サンキューです!」の中で、有田が投稿を読んだ後に言わされる上田のコメントが、極端に短くなければ有田にダメ出しされていたのが、人生相談に置き換わって独立したコーナー。この「極端に短いコメント」がここではさらに極端になって一単語である。
  • 有田進行役のタイトルコールの最後は、有田のモノマネによる「一言だけ、一言だけ言わせてください。」という高田延彦の台詞。
  • 有田進行役が深刻そうに読み上げるリスナーからの相談は、下ネタ関係の下らない内容か、すでに解決済みの悩みを前フリにした、やっぱり下らない内容が定番。
  • 上田相談員は投稿内容に呆れたりキレたりしつつも、何とか一単語の回答を絞り出すのだが、体言でない回答(動詞形容詞など)を言うと、有田進行役がダメ出しをする。
  • 有田進行役の「前へ前へ出ようとする持ち前の明るさ」ゆえに、上田相談員の回答を否定しつつ持論を展開したり、回答を待たずに持論を展開しCMに入ることがあり、置いてけぼりにされた上田がキレることが多い。
  • 番組本番中に、「魂のリクエストより、この前へ前へ出てくるヤツが一番嫌いだ」と上田が怒鳴っており、上田が一番嫌いなコーナーであると公言していた。ただ、2008年から開始された「ぷにすけ・パチェコのコーナー」や「晋也上田のハンパねぇ質問」といったコーナー中では、「こんなコーナーやるぐらいなら、まだ一言人生相談やってくれた方がマシだわ」とも述べている。なお、2016年以降の復活特番でも何度か行われている。

アタシのカラ笑い

2005年12月5日〜2006年11月14日
  • リスナーカラ笑いしてごまかすしかない微妙な空気を感じた時を募集するコーナー。
  • 「有田が後輩に説教していたら、後輩に逆ギレされたが後輩はその後改心し、有田に土下座して謝っていたら後輩のポケットからメリケンサックが落ちてきた」という有田の体験談から生まれたコーナー。人志松本のすべらない話第4弾(2005年12月27日)でも、披露されていた。
  • 上田は募集が終了する前から終了したと言っていた。
  • メールでの応募も可能だった。

長州有力(ありき)の今しかないぞ! 俺たちの時代だ!!

2005年9月20日〜2006年1月24日
  • 「キレてないですよ」というフレーズがもはや一世を風靡した今、新時代の長州力のモノマネを模索するために、リスナーが発掘した長州の名言を、その言葉が出たときのエピソードとともに発表する。
  • 2005年9月20日放送のオープニングトークで有田が提案し始まったコーナー。
  • 長州小力の登場など、長州力のモノマネが市民権を得つつあるなか、代表的ネタとなった感のある「キレてないですよ」。しかし、有田はそのネタを最初にやったのは自分なのに、長州小力の持ちネタにされていることが少し悔しい。しかも、有田の一番好きな長州語録はそれではなく、藤波辰爾との試合における「俺はお前の噛ませ犬じゃないぞ!」だという。そこで、長州小力に対抗すべく、リスナーが耳にした長州の新たな名言を募集するコーナーを提案した。
  • 有田が提案したその日のうちに、リアルタイムで寄せられるメールをもとに、レギュラーのコーナーやトークの合間に都合3回もやったため、上田が呆れかえる。
  • 当初のコーナー名は「おい! 俺は長州小力の噛ませ犬じゃないぞ!」であったが、2005年10月18日放送で、「C-1クライマックス」と題する長州小力との因縁の対決で長州有力(ありき)こと有田が勝利を果たしたことにより、2005年10月25日放送から現コーナー名に変わった。
  • ジングルは長州力のテーマ「パワー・ホール」。
  • 有田が「引退試合」と称して放送した回から休止状態になった。

男の決断

2006年4月5日〜2006年11月14日

アーハーライン

2006年7月4日〜2006年11月14日
  • 値段を聞いて一度は「あぁ〜」と慄くものの「はぁ〜」と思わず納得するかしないかのギリギリのラインを募集しているコーナー。有田がちょい悪系ファッションの服を買いに行った際、適正価格が分からないため値段が高いと感じても言いだせなかった、というトークが発端。
  • タイトルコールBGMはLOVE PSYCHEDELICOの楽曲「Aha!(All We Want)」。
  • RNロングランによるベッキー絡みの下ネタがコーナーの名物であった。上田はハガキが読まれるたび、ロングランに対し謹慎処分を言い渡したが、有田が「名前の字が読めない」とごまかしてはがきを読んだり、投稿者本人が「匿名希望(ロングラン)」、「堂本剛」や「長い走る」「ウンコ食べ蔵(71歳)」「ロングランじゃないよ」などのRNで送ったりしていた。
  • ベッキーネタが読まれたときに、上田が「ロングラン!!」「ベッキー!!!」と「そのままツッコミ」をする流れは、コーナーが終了以後もハガキ職人のネタの良き材料となった。
  • 上田は謹慎を言い渡しても送ってくるロングランに対して、本名やハガキの消印の郵便局名を読み上げたりしていた。また、ベッキーネタをやめたら「(ロングランの)謹慎を解いてもいい。」と発言している。
  • 06年11月14日のコーナー祭りで終了(なぜか、ロングランの投稿は読まれなかった)。因みに上田が番組内で言っている「今日まで〜」というセリフはこのコーナーの終了宣言のときテンポよく「今日まで〜」と言って周囲を笑わせたのがきっかけで生まれた。

上田教授の、逆に脳を鍛えるおとぼけトレーニング

2006年9月26日〜11月14日
  • 2006年6月に開催されたFIFAワールドカップドイツ大会の試合を見ていて、ルールの分からない所があった三谷幸喜が「ルールを教えてくれ」と、かつて仕事上で若干付き合いがあった上田に、突然電話をかけてきたエピソードが紹介される。この電話で上田は、サッカーに詳しくない自分に電話をかけてきたのは、2006年初頭のスペシャルを持って終息宣言をした、古畑任三郎二代目のオファーの前兆だと思い込む。有田は「古畑刑事といえば、お気楽な場面でのちょっとした勘違いや、言い間違いが特徴的。そこが、上田さんに足りない。」と言い、このコーナーがスタートした。
  • 簡単にいえば上田に対する即興大喜利で、有田の質問に対して上田が必ずおとぼけで答える。リスナーには、この質問とおとぼけ正解を募集していた。
  • 2006年11月14日のコーナー祭りで終了が決定した。

ちょイ悪SHOP

2006年7月4日〜11月14日
  • 有田がこの頃ちょい悪グッズ(ちょいわるおやじになるためのグッズ)に興味を持ったことがきっかけで始まったコーナー。
  • リスナーにはちょイ悪SHOPで見かけた芸能人とお店の人との架空のやり取りを募集していた。
  • ハガキが思うように来ず、コーナーとしてきちんと開始されないまま自然消滅した。

ちん毛のコーナー

2006年5月23日〜不明
  • 2006年3月21日の放送エンディングにて、番組内にあまりに下ネタコーナーが多く、有田が「チン毛のコーナーは無いの?」と発言したのがきっかけ。その後もコーナー名のみは時々会話に出てきており、個々の予想で葉書を送るリスナーもいた。
  • 2006年5月23日の、CMが終わった直後に流れるリスナーからのジングルにて「前から有田が言っている、チン毛のコーナーってなんなんだ!?」との発言を受けての会話で正式にコーナー化。
  • 有田曰く、このコーナーはルールとかは無く、リスナーが自由に考えて送ってきて、面白かったらコーナーに採用という、実に意味不明なコーナー。
  • しかし、その後は何の進展もなく、このコーナーはお蔵入りとなった。だが、後に似たような経緯・趣旨で「ぷにすけ・パチェコのコーナー」が生まれた。

「金田一先生の日本語レッスン」presents「有田一先生のボケる日本語レッスン」

2007年3月6日〜2007年3月27日
  • リスナーによるタイトルコールが廃止されたことにより、この番組にリスナーが電話登場する機会がなくなった。そこで、リスナーにまたその機会を与えようという目的でできたコーナーである。リスナーは毎週1人ずつ登場する。
  • ニンテンドーDSのソフト「金田一先生の日本語レッスン」のタイアップ企画である。
  • 有田がリスナーに対して10問のことわざ問題を出し、リスナーはそれに対してボケて答える。(例:有田「石の上にも…?」リスナー「○○」←ここがボケ)
  • 電話登場したリスナーの10問のボケ回答を聞いた後、上田が、「金田一先生の日本語レッスン」のソフトをそのリスナーにあげるかあげないか判断を下す。
  • 有田は、上田が判断を下す前に毎回上田に対して「あげちゃうかあげちゃわないかを判断して下さい。」と言う。これに対して上田が「あげましょう」とか、「あげよう」という風に普通の返事をすると、有田はすかさず上田に「『あげちゃう』か、『あげちゃわない』かを判断して下さい。」とダメ出しをする。その後、上田がエコーに乗せて「あげちゃう〜」と大声で言うのがお約束となりつつある。
  • 上田は有田曰く「審査委員長」である。有田が「審査委員長の仕事は、あげちゃうかあげちゃわないかを判断するだけです。」と言って、上田が「それだけかい!」と返すのが定番となっている。これに酷似した流れが、過去の「A-1グランプリ」でも定番となっていた。
  • 2007年3月27日の放送にて有田が『このコーナーは3月限定です』と明かした。そして上田の『このコーナーは…今日までー』の一言で終了した。

注釈

  1. ^ ただしほとんどのネット局が放送せず、「火曜JUNK ZERO おぎやはぎのメガネびいき」をネットしている。

出典

  1. ^ だが後日、堺正章により、この時期に有田が「ゴミちゃん」ならぬ「エビちゃん」とコンタクトを取っていたことが暴露される。
  2. ^ 有田の口から「スターダストNIGHT」の「番組名」が明言された日。有田のFMの番組の喋りのようなトークは2005年11月から始まっている
  3. ^ 約1000通の質問候補が送られた。
  4. ^ あくまで冗談めかした口調である。
  5. ^ a b 「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」公式本発売、歴代担当D&作家の証言も」『お笑いナタリー』、2021年3月19日。2021年3月19日閲覧。
  6. ^ a b c 発売前から重版決定!『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン 番組オフィシャルブック』が超話題」『ニッポン放送』、2021年4月1日。2021年4月1日閲覧。
  7. ^ “伝説の深夜ラジオ”「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」公式本、2万部突破のヒット」『ENCOUNT』、2021年4月14日。2021年4月15日閲覧。
  8. ^ 【ANN55周年連載Vol.2】ラジオ界の歴史を変える『ANN』サブスク化 “ストック型”への挑戦で「全体が潤っていかなければ」”. ORICON NEWS. 2022年6月25日閲覧。
  9. ^ くりぃむしちゅー、月1でチャリティトークライブ開催”. お笑いナタリー. 2016年6月18日閲覧。
  10. ^ くりぃむしちゅーのANN復活第二弾生放送スタート!「結婚の先輩として、いろいろ教えて欲しい」”. オールナイトニッポン.com. 2016年12月18日閲覧。
  11. ^ 中京テレビ「太田上田」第70回より
  12. ^ allnightnippon.com お笑いラジオスターウィーク
  13. ^ お笑いラジオスターウィーク2020
  14. ^ 『くりぃむANN』2年ぶり“レギュラー放送” 有田哲平が星野源に感謝「ピンチヒッターで…」
  15. ^ 8ヶ月ぶり『くりぃむANN』 番組本ヒット受けて165回目の“通常放送””. ライブドアニュース (2021年4月27日). 2021年5月13日閲覧。
  16. ^ オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポン55時間スペシャル くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン





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