くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン
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有田・上田のニッポン放送歴
- コンビ名改名前に担当したオールナイトニッポン単発特番で、海砂利水魚のオールナイトニッポンを1994年に金曜2部(深夜27:00-29:00)、1997年6月に月曜2部(深夜27:00-29:00)、1998年8月に水曜1部(深夜25:00-27:00)にそれぞれ一夜だけ担当した。
- 当時の上田・有田の2人は漫才ライブ以外の時、プライベートでは2人の地元熊本の熊本弁で話していたが、そのオールナイトニッポン単発特番を経験したため、「オールナイトニッポンもあるし、プライベートから標準語でしゃべろう」と標準語で喋るようになった。
- 有田は勅使川原昭によって頭を丸刈りにされたことがある(1994年の時)。
- しかし、特番としての2部初担当後、「女子高生サイコー!?裁判SHOW!!」と「海砂利水魚のディスコ・ザ・ガマ」は出演依頼がきたものの、結局、海砂利水魚には特番以外の「オールナイトニッポン」のレギュラー出演依頼はこなかった。しかし、有田に先んじて上田は2003年3月31日から「知ってる?24時。」をピンで担当。遅れて有田は、2003年10月から「目からウロコ!21」(その後2004年10月から時間移動により「目からウロコ!24」にタイトル変更)をそれぞれ担当。その後「知ってる?」と「目からウロコ」での仕事ぶりが評価され、2005年7月5日にレギュラースタート。
- くりぃむしちゅーに改名して以降は1度もスペシャルのオールナイトニッポンを担当していなかったため、2005年7月のスタートはかなり久々のオールナイトニッポン1部の担当だった。ただし、一夜限りのオールナイトニッポンR スペシャルナイトでは、2005年5月20日、同年8月20日に上田は、上田の後輩で親友の古坂和仁(古坂大魔王、元底ぬけAIR-LINE)と共に「上田晋也と古坂大魔王のオールナイトニッポンR」として担当したことがある。
注釈
- ^ ただしほとんどのネット局が放送せず、「火曜JUNK ZERO おぎやはぎのメガネびいき」をネットしている。
出典
- ^ だが後日、堺正章により、この時期に有田が「ゴミちゃん」ならぬ「エビちゃん」とコンタクトを取っていたことが暴露される。
- ^ 有田の口から「スターダストNIGHT」の「番組名」が明言された日。有田のFMの番組の喋りのようなトークは2005年11月から始まっている
- ^ 約1000通の質問候補が送られた。
- ^ あくまで冗談めかした口調である。
- ^ a b 「「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」公式本発売、歴代担当D&作家の証言も」『お笑いナタリー』、2021年3月19日。2021年3月19日閲覧。
- ^ a b c 「発売前から重版決定!『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン 番組オフィシャルブック』が超話題」『ニッポン放送』、2021年4月1日。2021年4月1日閲覧。
- ^ 「“伝説の深夜ラジオ”「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」公式本、2万部突破のヒット」『ENCOUNT』、2021年4月14日。2021年4月15日閲覧。
- ^ “【ANN55周年連載Vol.2】ラジオ界の歴史を変える『ANN』サブスク化 “ストック型”への挑戦で「全体が潤っていかなければ」”. ORICON NEWS. 2022年6月25日閲覧。
- ^ “くりぃむしちゅー、月1でチャリティトークライブ開催”. お笑いナタリー. 2016年6月18日閲覧。
- ^ “くりぃむしちゅーのANN復活第二弾生放送スタート!「結婚の先輩として、いろいろ教えて欲しい」”. オールナイトニッポン.com. 2016年12月18日閲覧。
- ^ 中京テレビ「太田上田」第70回より
- ^ allnightnippon.com お笑いラジオスターウィーク
- ^ お笑いラジオスターウィーク2020
- ^ 『くりぃむANN』2年ぶり“レギュラー放送” 有田哲平が星野源に感謝「ピンチヒッターで…」
- ^ “8ヶ月ぶり『くりぃむANN』 番組本ヒット受けて165回目の“通常放送””. ライブドアニュース (2021年4月27日). 2021年5月13日閲覧。
- ^ オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポン55時間スペシャル くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン
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