キリストのふっかつ〔‐のフククワツ〕【キリストの復活】
復活 (キリスト教)
(キリストの復活 から転送)
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復活(ふっかつ、ギリシア語: Ἀνάστασις Anastasis アナスタシス、ラテン語: resurrectio、英語: resurrection、ドイツ語: Auferstehung、ロシア語: Воскресение)では、キリスト教における復活を扱う。
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- ^ 復活についてはプロテスタントでも重要と位置づけられて数多く言及される。事例→日本福音ルーテル名古屋めぐみ教会、泉北ルーテル教会、日本キリスト改革派盛岡教会、日本キリスト改革派四日市教会、那覇バプテスト教会、東京フリー・メソジスト昭島キリスト教会-説教要約
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- ^ 教会暦は日没を以て一日の始まりとするので、教会暦においてはこれは全て主日:日曜日と位置付けられる
- ^ 祈り-祭と斎:日本正教会 The Orthodox Church in Japan
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キリストの復活
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「復活 (キリスト教)」の記事における「キリストの復活」の解説
カトリック教会、プロテスタント、正教会など多くの教派で、キリストの死者の中からの復活は、初期キリスト教時代からの教えの中心的内容とされてきた。パウロ書簡で最も初期のものと考えられているテサロニケ人への第一の手紙において、パウロは「死者のうちから甦った神の子」(1: 10)に言及している。 会堂司の娘の復活(マタイによる福音書9: 18 - 26)、ラザロの復活(ヨハネによる福音書11章)といった奇蹟や、イエス自身による度重なる言葉により、死と復活はイエスによって事前に繰り返し予告された旨が福音書の各所に記述されている。 イエス・キリストの降誕について記していない福音書はあるが(マルコによる福音書、ヨハネによる福音書には具体的記述がない)、イエス・キリストの復活についてはすべての福音書に記されている。 キリストの復活マタイによる福音書: 28章 マルコによる福音書: 16章 ルカによる福音書: 24章 ヨハネによる福音書: 20章・21章 これら4つの福音書の記述をみても、イエス・キリストの復活した場面を目撃した者は誰も記されていない。遺体がなく空になった墓の記述と、イエス・キリストが復活した後、多くの弟子の前に現れたことが記されているのみである。キリストが復活した場面を描くイコン・図像は、時代が下ってから復活の深い意味を表現する手段として描かれるようになった。 4つの福音書は共通して、キリストの処刑後第三日、すなわち日曜日の早朝、女たちが墓をたずねていくと、墓が空になっており、青年(天使)が女達にキリストの復活を告げたことを述べているが、その後の記述はかならずしも相互に一致してはいないとする見解がある。 キリストの復活の諸々の出来事につき、マタイ、マルコは1日の間のことであるとし、ヨハネは数日に及ぶこととして、相違を見る立場がある。ルカは福音書(ルカによる福音書)においては1日の出来事として書いているが、聖書とパン裂きによって復活が知られる事を記す一方で、使徒言行録では復活のキリストの地上での生活を40日間と記述している。(しかし、聖書本文を見る限り、マタイ・マルコ・ルカに1日の出来事と特定した記述があるわけではない。) さらに、マタイとマルコでは、復活のキリストがガリラヤで弟子達に会うとされているが、ルカは全てエルサレムでの出来事として書いていることも相違とされる。 使徒パウロはコリントの信徒への手紙一(15: 5 - 8)において、復活後のキリストに会った人々の名を挙げている。ペトロ、十二使徒、500人以上の信者達、主の兄弟ヤコブ、全ての使徒達、最後にパウロである。しかしこの次第も、福音書の内容とは完全には一致していない。 伝統的解釈を重んじる人々(聖公会・プロテスタント内の伝統的解釈に則る人々、および正教会、カトリック教会)からは、こうした矛盾とされる現象につき、復活のキリストが時間と空間を越えた存在(光栄の主)になっていたためであり、諸々の出来事は超自然的な領域に属する現象であったためであるとする解釈が示される。また、こうした不一致につき、ガリラヤでの出来事の記述とエルサレムの出来事の記述は相互補完的なものであるとする説明もなされる。プロテスタントの聖書信仰では矛盾という語で表現せずに、聖書の現象と呼ぶ。 一方、近代以降の啓蒙主義の合理主義の影響を受けた自由主義神学に立つ解釈では、この矛盾を、復活は歴史的事実ではなく信者の心のなかにキリストがとどまりその印象が強化されたことを意味しており、したがって復活の記述はこの信仰の表現として創造せられたためと考える。 高等批評を行う立場からは、写本と用語の問題から、最古の福音書と考えられるマルコ福音書には当初、復活のキリストの描写部分はなかったと考えられている(これを是としない教派・思潮も多い)。 ハルナックなど自由主義神学からは、弟子達はキリストの死を悲しむあまり、キリストを求め、精神状態を乱し、キリストを見たと信じるようになった(つまり復活は錯乱した弟子達による錯覚)とされることがある。 こうした自由主義神学の説に対しては、疑い深かった弟子(トマス)がいたことが記されていること、イエスの死体に香料を塗ろうとして墓を訪れた女達もまるで復活を期待してはいなかったことなど、弟子達は錯乱や狂信から程遠い状態にあったとして、復活が事実であったとする信仰を強調しようとされることがある。
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