ROCK OPERAとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ROCK OPERAの意味・解説 

ロック・オペラ

(ROCK OPERA から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 15:01 UTC 版)

ロック・オペラRock opera)とは、ロック・ミュージックの形式の一つで、ロックオペラのことである。


注釈

  1. ^ オペラのコンサートでは歌い手が衣装を着て歌いながら演技を行なう。しかしロック・オペラのコンサートは必ずしも演技を伴わない。例えばロック・オペラの代表作であるザ・フーの『トミー』のコンサートは、ヴォーカリスト、ギタリスト、ベーシスト、ドラマーの4人編成であるザ・フーだけによって行なわれた。そこでは、メンバーが登場人物の役を分担して演奏しながら代わる代わるに歌い、演技は一切行わなかった。つまりオペラのコンサートに比べると、ロック・オペラのそのコンサートでは、視覚の面での『劇』の要素が希薄になるきらいがあると言えよう。歌い手が衣装を着けて演技を行ないながら歌う形式をとるものは、ロック・ミュージカルとされる傾向がある。ちなみに、『トミー』も1992年にブロードウェイでロック・ミュージカル”The Who's Tommy"として上演された。
  2. ^ ビートルズが1967年に発表した『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が初期のコンセプト・アルバムの代表作である。
  3. ^ 1962年に彼がシンガーのレイ・コリンズと発表したシングル'Hey Nelda'の名義に因んだ名前だった。
  4. ^ 日曜日のテレビ番組の一つで様々な実験を取り上げて放送していたCBS Repertoire Workshopの番組プロデューサーだった。
  5. ^ ザッパが高校の同級生だったドン・グレン・ヴリートらとスタジオZで録音した主題歌は、ザッパの『ミステリー・ディスク』(1998年)に収録されている。ドン・グレン・ヴリートは、後にドン・ヴァン・ヴリートと改名して、キャプテン・ビーフハートとして活動した人物である。
  6. ^ ザッパが当時ロック・オペラという言葉を用いていたかどうかは不明。
  7. ^ 1964年4月から1978年8月までのメンバーはピート・タウンゼントロジャー・ダルトリージョン・エントウィッスルキース・ムーン。代表曲は「マイ・ジェネレーション」、「ババ・オライリィ」、「無法の世界」など。
  8. ^ 6つの小曲から構成され、各曲のヴォーカルをメンバーが分担した。
  9. ^ 「ラエル1」と「ラエル2」からなり、「クイック・ワン」に続く2作目のミニ・オペラとして扱われることもある。「ラエル2」のインストルメンタル部分が後述するアルバム『トミー』(1969年)に流用されたが、曲の内容には『トミー』との関係はない。
  10. ^ 「ロッキー」のテーマをヒットさせた。
  11. ^ 別名'Grocer Jack'。ウェストと共に当時トゥモローに在籍していたスティーヴ・ハウも録音に参加してギターを弾いた。
  12. ^ 同年11月、ワーツは再度ウェストを起用して第二弾シングル'SAM (from "A Teenage Opera'')'を発表したが、前作に比べると売り上げは振るわず、全英シングルチャートで最高位38位に終わった。翌1968年2月、ワーツは自らヴォーカリストを務めて第三弾シングル'(He's Our Dear Old) Weatherman (from "A Teenage Opera'')'を発表したが、チャートインを逃してしまった。
  13. ^ 1996年、全曲を収録したCDがワーツのプロデュースで発表された。
  14. ^ ビートルズレコーディング・エンジニアピンク・フロイドプロデューサーとして知られるノーマン・スミスをプロデューサーに迎えて制作された。
  15. ^ 後述するザ・フーのアルバム『トミー』(1969年)を史上初のロック・オペラ・アルバムとする記述が散見されるが、タウンゼンドは自伝で、自分達が『トミー』を発表した時には『ティーンエイジ・オペラ』と『S.F.ソロウ』というロック・オペラが既に存在していた、と記している。
  16. ^ 1998年8月、ザ・プリティ・シングスはロンドンのアビー・ロード・スタジオに少人数の聴衆を集めて、デヴィッド・ギルモアを客演者に迎えて『S.F.ソロウ』の完全再演を行ない、インターネット配信した。この音源は1999年1月にライブ・アルバムResurrectionとして発表された。
  17. ^ アルバムの正式名はTommyで、ロック・オペラという語句はジャケットには見られない。殆んどの広告ははっきりと「ロック・オペラ」と謳っていたが、いくつかの広告には「トミー(1914-1984)」と書かれてあった。タウンゼントは自伝で、当時ザ・フーもキンクスも、『トミー』や『アーサー』についてロック・オペラという語句を半ば冗談めかして使っていたと述べている。
  18. ^ 2曲がベーシストのジョン・エントウィッスルの作品、1曲がドラマーのキース・ムーンの作品、1曲がブルース歌手サニー・ボーイ・ウィリアムソンIIの『Eyesight to the Blind』、残りはタウンゼントの作品。但しムーンによるとされた作品は、実際には彼の案に基づいてタウンゼントが書いた(http://www.thewho.net/discography/songs/TommysHolidayCamp.html) 。
  19. ^ 全英、全米のアルバムチャートでそれぞれ最高位2位、4位を記録した。
  20. ^ 1970年にカナダのLes Grands Ballets Canadiensが『トミー』を伴奏にしたバレエFernand Naultの振り付けで制作し、1971年4月2日にニューヨークのシティ・センター・シアターで上演した。このバレエは好評を持って迎えられたので同年10月に再演された。
  21. ^ 1971年4月28日から3週間、シアトルムーア・シアターで、シアトル・オペラによる独自の解釈版が上演され、ベット・ミドラーがジプシー役を務めた。1971年3月に南カリフォルニア大学で制作された舞台版は、約一年後の1972年2月から約1か月間、ハリウッドサンセット大通りバイン通りの交差点にあるアクアリウス劇場で、Joel Rosensweigの制作の下に上演された。
  22. ^ ロンドン交響楽団イギリス室内合唱団が、ザ・フーのメンバー、リンゴ・スターロッド・スチュワートらを客演者に迎えて制作した。
  23. ^ 映画でピンボールの魔術師を演じたエルトン・ジョンによる「ピンボールの魔術師」は全英シングルチャートで7位に達し、日本でも一部で話題を呼んだ。
  24. ^ ザ・フーは1964年にデビューして、モッズの間で非常に人気があった。
  25. ^ 様々な人物が登場した『トミー』とは異なり、ジミー以外の登場人物はゴッドファーザーとベル・ボーイの二人だけで、ゴッドファーザーが「パンクとゴッドファーザー」、ベル・ボーイが「ベル・ボーイ」という曲で、ジミーと会話を交わす形式で登場する。残りの曲は全てジミーの独白であり、抽象的な内容の物語を補足説明する為にタウンゼントによるライナーノーツと写真集とが添付された。作品の評価は高く、売れ行きも好調であり、1978年には本作品に基づいた映画が制作された。この映画では多くの新しい登場人物が加えられ、ジミーを含めた登場人物全員の台詞は全て会話で、内容は具体的な物語だった。原作からの数曲が、ザ・フーの他の曲や設定年代時のヒット曲と共に挿入歌として用いられた。
  26. ^ 売り上げの数字に関しては、ザ・ウォールを参照のこと。
  27. ^ ハンガリー動乱は、1956年2月のソ連共産党第20回大会におけるニキータ・フルシチョフ第一書記の秘密報告によるスターリン批判がきっかけとなった。スターリン批判は東ヨーロッパの衛星国に大きな衝撃をもたらし、ハンガリーでも民主化の動きが起こった。10月23日に動乱が勃発してハンガリー勤労者党政権の下で一時期失脚していたナジ・イムレ元首相が首相に返り咲き、同日ソ連共産党は事態を憂いてソ連軍を介入させた。停戦によって事態は一旦沈静化したが、ナジは民主化・自由化政策を推進しようとしたので、ソ連共産党はハンガリー勤労者党改めハンガリー社会主義労働者党カーダール・ヤーノシュ書記長に圧力をかけてナジの民主化を「反革命」の動きとして終結させようとした。11月4日に再びソ連軍の軍事介入が起こり、ナジは捕えられて2年後に処刑。カーダールはソ連に支援されて新しい共産主義政府を組織して、ハンガリーを統治していった。

出典

  1. ^ a b Miles (2004), pp. 81–82.
  2. ^ Maconie, Stuart (2013). The People’s Songs: The Story of Modern Britain in 50 Records. p. 167. https://books.google.com/books?id=6xmq82qoq70C&pg=PA167 
  3. ^ 1996年に再発されたCD『トミー』のライナー・ノートに寄せられた、リチャード・バーネス(Richard Barnes)の『Deaf, Dumb and Blind Boy』という一文が出典である。
  4. ^ Atkins (2000), p. 72.
  5. ^ Townshend (2012), pp. 101–103.
  6. ^ Atkins (2000), p. 81.
  7. ^ Atkins (2000), pp. 87–88.
  8. ^ imdb.com”. 2023年9月9日閲覧。
  9. ^ Kenrick, John, "Rock: 'The Age of Aquarius'" article at the Musicals101 website
  10. ^ merurido.jp”. 2023年9月9日閲覧。
  11. ^ a b Howe (2020), p. 44.
  12. ^ Discogs”. 2023年9月17日閲覧。
  13. ^ Discogs”. 2023年9月17日閲覧。
  14. ^ merurido.jp”. 2023年9月9日閲覧。
  15. ^ merurido.jp”. 2023年9月9日閲覧。
  16. ^ a b Townshend (2012), p. 164.
  17. ^ a b Neill & Kent (2007), pp. 248, 280, 300–301.
  18. ^ "ロック・オペラ"とは何ですか? - CDJournal.comリサーチ - 2023年12月18日閲覧
  19. ^ Rocker Meat Loaf endorses Romney | thetelegraph.com.au - 2023年12月18日閲覧
  20. ^ 米歌手ミートローフさん死去 74歳 「地獄のロック・ライダー」 写真10枚 国際ニュース:AFPBB News
  21. ^ Miles (2004), pp. 277–279.
  22. ^ imdb.com”. 2023年8月15日閲覧。
  23. ^ 深谷志寿:「文化 ― ロック・オペラにハンガリー国民“熱狂” ― 史話劇『国王イシュトヴァーン』、『朝日新聞』,1985年2月13日(水)付夕刊5面「文化」
  24. ^ Miles (2004), pp. 329–330.
  25. ^ a b Townshend (2012), pp. 471, 475, 490, 494.
  26. ^ The Hypertext Who > Liner Notes > Endless Wire - 2010年10月3日閲覧


「ロック・オペラ」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ROCK OPERA」の関連用語

ROCK OPERAのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ROCK OPERAのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのロック・オペラ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS