コスモス167号
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コスモス167号 | |
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所属 | ソビエト連邦 |
国際標識番号 | 1967-063A |
カタログ番号 | 02852 |
状態 | 運用終了 |
目的 | 金星探査 |
打上げ機 | モルニヤ-M |
打上げ日時 | 1967年6月17日 |
消滅日時 | 1967年6月25日 |
質量 | 1106 kg |
軌道要素 | |
周回対象 | 地球 |
軌道 | 低軌道 (宇宙待機軌道) |
近点高度 (hp) | 187 km[1] |
遠点高度 (ha) | 266 km[1] |
軌道傾斜角 (i) | 51.8[1] |
軌道周期 (P) | 89.2分[1] |
コスモス167号(ロシア語: Космос-167、ラテン文字表記の例: Kosmos 167, Cosmos 167)とは、1967年にソビエト連邦が打上げた宇宙機である。金星探査機として宇宙待機軌道に打上げられたが、金星へ向かう軌道に乗せることが出来なかったため、コスモス衛星の名前が与えられた[2]。
飛行
コスモス167号は1967年6月17日にモルニヤ-Mロケットによりバイコヌール宇宙基地より打上げられた。しかし上段ロケットの不具合のため金星へ向かう軌道へ移行出来ず、地球周回軌道を回り続けた。打上げ8日後の6月25日、地球の大気圏へ再突入した[1]。
この探査機は5日先立って打上げられたベネラ4号と同様の設計であったと考えられている[2]。
参考文献
- ^ a b c d e “Launch/Orbital information for Cosmos 167”. NASA NSSDC. 2013年10月4日閲覧。
- ^ a b “Cosmos 167”. NASA NSSDC. 2013年10月4日閲覧。
関連項目
「Kosmos 167」の例文・使い方・用例・文例
- 日本の人口は 1990 年 10 月 1 日の国勢調査によると 123,611,167 人であった.
- 1678年にジョン・バニヤンによって書かれた寓話
- 1679年、議会の再招集を誓願した人々を非難し憎悪する、チャールズ2世への請願に署名した人
- 芸術の後援者であり、南アメリカの先住民への虐待を非難した法王(1675年−1758年)
- 植民地時代のアメリカの詩人(イングランド生まれ)(1612年−1672年)
- チェコの教育的改革者(1592年−1670年)
- 英国の脚本家で、喜劇で知られる(1670年−1729年)
- アメリカで印刷された最初の新聞の出版者(1673年−1713年)
- 英国の抒情詩人(1591年−1674年)
- 英国の唯物論者、政治哲学者で、人間の利己主義によって引き起こされた問題を解決できた唯一の種類の政府として絶対主権を支持した(1588年−1679年)
- 英国のトランプゲームについて書いた作家(1672年−1769年)
- イタリア人の1676年から1689年までのローマ法王で、作品がローマ教皇の職が、フランスのカトリック教徒への教皇権をめぐるフランスのルイ14世との戦いであった
- スコットランド人の一味のリーダー、無法者で、ウォルター・スコット卿による1817年の小説のテーマ(1671年−1734年)
- フランス人の宣教師で、ルイ・ジョリエに同行してミシシッピ川上流の谷を探検した(1637年−1675年)
- 英国の詩人(1621年−1678年)
- フランスの洗練された喜劇を書いた作家(1622年−1673年)
- スコットランドの船員で、チリ沖の無人島に5年間置き去りにされた(ダニエル・デフォーのロビンソン・クルーソーについての小説の基礎を提供した)(1676年−1721年)
- オランダ人の哲学者で、汎神論的な体系を支持した(1632年−1677年)
- 英国の作家(1672年−1729年)
- オランダ人の風俗画家(1626年−1679年)
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