B 26とは? わかりやすく解説

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【B-26】(びーにじゅうろく)

Martin B-26 Marauder(マローダー)

アメリカマーチン社が開発アメリカ陸軍航空隊採用され双発爆撃機
1939年中型高速爆撃機仕様書基づいて設計されアメリカ陸軍提案され結果原型機試作さえ指示されずにいきなり契約結ばれるという異例経歴持っている
これは開戦間近目され欧州方面状況対応するため、より迅速に高性能中型爆撃機配備したかったからだと考えられる

1940年11月初飛行後、B-26は最高時速500km近く出る高速爆撃機として欧州戦線登場し、その高速性は遺憾なく発揮された。
後の話になるが、太平洋戦線も本機の高速には日本軍のベテランパイロットたちも手を焼いたそうである。ただし、初期型武装配置問題があって有効な弾幕を展開できず、一度食らいつかれるとカモだったらしい。

しかし、本機最高速度速い着陸速度当時としては異常に速く(210km/h)、その上現場からの改修要請盛り込んだために機体重量増加したことで低速運動性悪化事故多発する結果となった
そのため、この機体は「未亡人製造機」(Widow maker)という非常にありがたくないあだ名つけられてしまうことになる。
この事故発生率の高さから一時生産中止になるところだったが、米陸軍新たな高速中型爆撃機設計している余裕はなく、なし崩し的量産続けられた。
やがて、エンジン強化して低速運動性改善したB型量産開始され、この機体事故発生率劇的な改善見せた

機体名B-26G
全長17.09m
全幅21.64m
全高6.20m
乾燥重量11.5t
最高速度455km/h
エンジンP&W R-2800-43「ダブルワスプ」(2000馬力 B-26C以降)
武装12.7mm機銃×11
ペイロード1.8t

B-26 (航空機)

(B 26 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/05 05:13 UTC 版)

B-26 / JM マローダー

飛行するB-26B-55-MA 42-96142号機
(1944年撮影)

B-26 マローダーMartin B-26 Marauder)は、マーティン社が開発し、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空隊で運用された爆撃機

米陸軍航空軍における愛称の「マローダー(Marauder)」とは、「略奪者」の意である。同時期に開発されたB-25 ミッチェルより、高速性能などで勝っていたが、操縦の難しさから初期型では事故が多発し、乗員には「マーダラー(人殺し)」「キラー・プレイン(殺人機)」「ウィドウ・メーカー(未亡人製造機)[1]」と呼ばれて嫌われた。その結果、B-25 に比べて生産数や運用国の数で大きく差がつく結果となった。とはいえ、この航空機の長所と短所を理解したパイロットにとっては、B-26 は非常に信頼性が高く、当時使用中の他の機種より遥かに安全だった。

概要

開発・改良

1939年1月25日にアメリカ陸軍航空隊から出された新型高性能爆撃機の仕様に対して、マーチン社が計画・開発したのがB-26である。計画書は特に速度性能を重視しており、当時の爆撃機に比べて円形断面で紡錘型の胴体を持ち翼面荷重の高い高翼機となっていた。

同じ仕様に応募されたB-25と同じく、本機は試作機無しにいきなり1,100機の大量発注を受けることとなった[1]1940年11月25日に量産第1号機がボルチモアのマーチン社飛行場を離陸した。この機体は、最高速度508 km/hという高速を出した。合計139機生産されたA型は1941年に納入されたが、本機特有の操縦方法を会得するための訓練期間が必要となり、実際に戦場に登場したのは1942年4月に入ってからとなった。

爆弾を投下するB-26B
自由フランス軍のB-26B

B-26は高速で、重武装かつ防御力の優れた爆撃機だったが、高速力を目指したために翼面荷重が高くなり、操縦はかなり難しく、また、着陸速度は200km/hを超えるなど危険な航空機であったため離着陸時や低速飛行時の事故が続発した。戦時下ということもあって生産と配備は続行されたが事故は止まず、1942年3月には特別調査委員会が設立され、マーチン社に対してB-26の生産を一時中止し、主翼面積の増加や着陸速度の低減など安全を高めるための改修を行ってから再開することが勧告された[1]

勧告に従って改良を加えたB-26Bが開発され、1942年5月に生産が再開された[1]。この型はエンジンと武装が強化されており、B-26各型の内で最も多く、1,883機が生産された。当初は主翼変更が間に合わずB-26Aと同型だったが、B-26B-10型からは翼幅を21.64mまで延長し、翼面積も61.13m2まで増やして翼面荷重を減らしている[1]。水平尾翼の面積も大きくした。しかし、こういった改善も、武装強化によって、爆弾搭載量が減り、相殺された。なお、ネブラスカ州オマハのマーチン工場で製造されたB-26B規格の機体には識別のためB-26Cの型番が与えられており、合計1,210機が生産された[1]

XB-26DとXB-26Eは実験機で、それぞれ防氷装置と軽量化のためB-26とB-26Bを改造して製作された[1]

B-26Fでは、航空機の離着陸の性能を向上させるために翼の迎角が3.5度増加して7度となった[1]。300機が生産され、うち200機はイギリスに供与されている[1]。最終型のB-26Gは機内装備品を陸海軍統一規格として生産効率を高めた型で、893機が生産された[1]

このほか、XB-48ジェット爆撃機用の降着装置研究のためにB-26Gを改造した、XB-26Hという実験機がある[1]

運用

1941年2月より部隊配備され慣熟訓練が開始された[1]。上述のとおり操縦の難しさから事故が多発したが、1942年4月からは太平洋戦域で実戦投入された[1]。一部の型は魚雷を胴体下に装備する事もでき、対艦攻撃機として対日戦のミッドウェー海戦ニューギニア方面などで用いられたが、投入機数が少なかったこともあり大きな戦果を挙げることはできなかった。

1942年11月からは北アフリカで戦闘任務に就いた[1]。さらに、1943年からはイギリスを拠点として大陸沿岸部への爆撃任務に投入されている[1]。このころにはB-26の飛行特性も周知されて事故率は減少しており、改めて性能が評価され現場での評判も高いものとなった[1]。1943年後半からはイギリスに集中配備され、1944年6月のノルマンディー上陸作戦でも活躍するなど、ヨーロッパ戦線におおいに貢献した[1]

また、1943年になって戦争の状態が逆転し始めると、無塗装の航空機が戦場に現れているが、太平洋の戦場に登場したB-26は、無塗装の航空機として最初のもので、シルバー・フリート(銀の飛行隊)と呼ばれた。このようにカムフラージュをしなくなったのは、つや消し塗装をしないことで最大速度が増加するからであると言われた。

最後のB-26は1945年3月30日に納入された[1]。第二次世界大戦終結後も暫く運用されたが、1948年には全機退役している。

第二次大戦中には、連合国イギリス軍自由フランス軍に対してもレンドリース機として相当数が供与された。なお、1961年に発生したピッグス湾事件亡命キューバ部隊に供与され、実戦使用されたのは本機ではなく、1948年の機種区分変更以前はA-26 インベーダーと呼ばれていたダグラス社製の航空機である。

海軍での運用

標的機を曳航するJM(B-26C)

陸軍だけでなく海軍でも本機を訓練支援機や写真偵察機として使用した。アメリカ海軍では本機をJMの呼称で、乗員訓練・標的曳航などを行う汎用機として採用した。1943年-1944年にかけて、合計225機が引き渡された。これらは、B-26Cをベースにして不要な武装を撤去し標的曳航装置を備えた、射撃訓練/標的曳航機であった。

この中の数機は、航空カメラを装備し写真偵察機として使用された。これとは別に、1945年に陸軍からTB-26G(B-26Gの練習機型)を47機譲渡され、訓練と標的曳航に使われた。これらの機体は太平洋戦争の終結とともに退役し、その後はミサイル標的の曳航機として利用され運用を終えた。

逸話

第9空軍所属の B-26B の「フラック・ベイト(高射砲の餌)」は、ほとんど伝説的な存在になっている。この B-26B は、1943年8月16日から戦争終了までの間、絶えずヨーロッパの空で活躍し、出撃が200回に達した最初の連合国側の爆撃機である。そして、出撃の終わりの頃には、高射砲弾や破片などの1,000を超える穴ができ、胴体や翼にはそれらを塞ぐ300以上の継ぎが当ててあった。

採用国

スペック

  • 全長:17.65m
  • 全幅:21.64m
  • 全高:6.55m
  • 翼面積:61.13m2
  • 全備重量:17,340kg
  • エンジン:P&W R-2800-43 空冷18気筒 2000hp×2
  • 最大速度:454km/h
  • 実用上限高度:6,040m
  • 航続距離:4,590km
  • 武装
    • 爆弾1,500kg
    • 12.7mm機銃×11
  • 乗員:7名

現存する機体

型名     番号    機体写真     国名 所有者             公開状況 状態 備考
B-26-MA 40-1370 アメリカ カリフォルニア州 航空機修復サーヴィシーズ
(Aircraft Restoration Services)
公開 修復中 [1]
B-26-MA 40-1459 アメリカ オハイオ州 マップス航空博物館[2] 公開 修復中 [3]
B-26-MA 40-1464 アメリカ フロリダ州 ファンタジー・オブ・フライト[4] 公開 飛行可能 [5]
B-26-MA 40-1501 アメリカ アリゾナ州 ピマ航空宇宙博物館[6] 公開 静態展示 [7]
B-26B-25-MA 41-31773 アメリカ メリーランド州 ポール・E・ガーバー維持・復元・保管施設[8] 公開 修復中 [9]
B-26G-11-MA 43-34581 アメリカ オハイオ州 国立アメリカ空軍博物館[10] 公開 静態展示 [11]
B-26G-25-MA 44-68219 フランス マンシュ県 ユタビーチ上陸作戦博物館[12] 公開 静態展示 B-26B-15-MA / 41-31576号機の塗装で展示されている。以前はル・ブルジェ航空宇宙博物館で展示されていた。旧塗装

登場作品

ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐
アメリカ陸軍所属機が登場。アメリカ軍ミッドウェー島基地を攻撃した南雲機動部隊への反撃に魚雷を搭載して出撃するが、護衛戦闘機を伴っていなかったことでゼロ戦の迎撃によって多数が撃墜され、それを潜り抜けた少数が魚雷を投下するも命中弾は無く、最後は空母飛龍」などからの対空砲火により全機撃墜となってしまう。
撮影には、ミニチュアが使用されている。

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 野原 2024, pp. 84–87.

参考文献

  • Angelucci, Enzo、Matricardi, Paolo 著、石川好美 訳『航空機 第二次大戦Ⅱ』木村秀政(日本語版監修)、小学館〈万有ガイド・シリーズ5〉、1981年8月。 
  • 野原茂『アメリカ陸軍機事典1908-1945』イカロス出版、2024年9月15日。ISBN 978-4802214896 

関連項目



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