80年代の猟奇・変態カルチャーとその終焉
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「鬼畜系」の記事における「80年代の猟奇・変態カルチャーとその終焉」の解説
1980年代前半には“都市環境が美化された結果、死体が見えなくなったことに対する反逆”として局所的な死体ブームが起こった。写真週刊誌『FOCUS』(新潮社)に創刊号から連載され、わずか6回で打ち切られた藤原新也の『東京漂流』では、ガンジス川の水葬死体に野犬が喰らいつく写真に「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」というキャプションが添えられた。これはコマーシャリズムによって異物を排除する志向が広く浸透した、現代社会に対する痛烈なアンチテーゼである。 1982年にはインディペンデント出版社のペヨトル工房が刊行する耽美系サブカルチャー雑誌『夜想』5号で死体を通した文明論や異常心理に関する考察をまとめた「屍体─幻想へのテロル」特集が組まれる。1984年にはビー・セラーズ から死体写真集『SCENE』(中川徳章・小向一實・芝田洋一選)が出版された。これは法医学書や学術書の形を借りずに出版された日本初の死体写真集である。その後、同写真集に触発されたアリス出版編集部は『SCENE』の写真を転載し、自販機本『EVE』に根本敬の死体写真漫画『極楽劇場』を連載する(1991年に青林堂から刊行された根本敬初期作品集『豚小屋発犬小屋行き』に収録された)。 その他にも大手出版社の写真週刊誌では、自殺した三島由紀夫や岡田有希子の死体写真、また日航機墜落事故や山岳ベース事件の遺体写真が大写しで掲載された。1985年6月18日には豊田商事会長の永野一男が、約30名の報道陣の前で自称右翼の男に日本刀で刺殺され、その様子が全国の茶の間に生中継された。 1981年には白夜書房がスーパー変態マガジン『Billy』を創刊。当初は芸能人インタビュー雑誌だったが全く売れず路線変更し、死体や奇形、女装にスカトロ、果ては獣姦・切腹・幼児マニアまで何でもありの最低路線を突き進んだ。その後も一貫して悪趣味の限りを尽くし、日本を代表する変態総合雑誌として、その立ち位置を不動のものにしたが、度重なる条例違反や有害図書指定を受け、誌名を変更するなどしたが全く内容が変わっておらず、1985年8月号をもって廃刊に追い込まれた。 また同年には高杉弾、青山正明、蛭児神建らが連載していたロリコン系サブカル雑誌『Hey!Buddy』(白夜書房)の増刊号『ロリコンランド8』が「少女のワレメはわいせつ」として発禁・回収処分となった(読者投稿の犯罪写真や無修正のワレメが当局に問題視された)。本誌『Hey!Buddy』も“ワレメが出せないロリコン雑誌は、もはやロリコン雑誌ではない”として1985年11月号をもって自主廃刊する。その後はバブル時代の到来と共に、鬼畜系は約10年にも及ぶ長い冬の時代を迎えることになった。
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