80年代以降の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 06:01 UTC 版)
「クインシー・ジョーンズ」の記事における「80年代以降の活動」の解説
1981年の自身のアルバム「The Dude」収録「愛のコリーダ」(チャズ・ジャンケルの1979年録音のアルバム『愛のコリーダ』(原題"CHAZ JANKEL")収緑曲のカヴァー。タイトルの由来は、大島渚監督の同名映画)はポップ・チャートでも大ヒットした。 1982年のマイケル・ジャクソンのアルバム『Thriller』はギネス・ワールド・レコーズに史上最も売れたアルバムとして認定され、その地位は不動のものとなる。同年、自主レーベルクウェスト・レコード(英語版)を設立、1985年までA&Mレコードが供給したが、後にワーナー・ブラザース・レコードに売却される。また同年には、アメリカのスーパースターが一堂に会して録音したチャリティー曲「We are the World」のプロデュースも手がけた。 1987年のマイケル・ジャクソンのアルバム『Bad』も同一アルバムからのシングルカットが5つのナンバーワンヒットを記録。このアルバムを最後にマイケルとのタッグを解消する。 さらに90年代のクインシー自身のアルバムからは「シークレット・ガーデン」のヒットが生まれた。1990年代のクラブ・シーンでは、1960年代のファンキーなジャズ作品が再評価され、「ソウル・ボサ・ノヴァ」は、映画『オースティン・パワーズ』のテーマ曲としても使用された。日本では、テレビ番組『ウイークエンダー』のジングルとして『鬼警部アイアンサイド』のテーマが再度注目された。 1999年、クインシー、ボブ・ゲルドフ、U2のボノが中心になって、マイケル・ジャクソン、マドンナ、スティング、ポール・マッカートニーほか多数のミュージシャンがサポートした世界の貧困救済を唱えるジュビリー2000の運動に参加した(2005年のチャリティ・コンサートLIVE 8へと発展していった)。 2003年、クインシー・ジョーンズ生誕70周年ベストアルバムがリリースされる。 2006年、北京オリンピック組織委員会の芸術顧問になったが、後にダルフール紛争に関する中国政府の姿勢に抗議して芸術顧問を辞任した。 2007年に、2008年度のグラミー賞レコーディングアカデミー50回大記念の大使に任命された。「現在18,000ものミュージックメーカーで構成されたグラミー賞の創始者の一人として誇りに感じている」とコメントし、50周年を祝う数々のセレモニーを企画している。
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