80年代初頭から中期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/17 07:52 UTC 版)
1979年10月26日に朴正煕が暗殺されたことで18年間続いた独裁政治に終止符が打たれたが、全斗煥・盧泰愚などの新軍部勢力は同年12月12日の粛軍クーデターと1980年5月17日の非常戒厳令拡大(5・17クーデター)で政治の実権を握り、再び独裁政治が復活し、学生運動や民主化運動は沈滞を余儀なくされた。しかし、1983年の秋から84年4月にかけて様々な分野の在野団体が誕生し、1985年3月29日には「民主統一民衆運動連合」が結成され、組織的な民主化運動の基盤が作られた。民衆歌謡も、大学内の歌サークルから民衆歌謡を普及させる積極的運動体へと変化していった。歌が持っている政治的・社会的影響力と運動性について論議が深められ、民衆の「集団的情緒」を高め、共同体意識を高める影響力を民衆歌謡がもっていることを認識することで、民衆歌謡もそれまでの替え歌から歌い手のグループが独自で作り出す歌に変わっていった。当時作られた「五月の歌」「無等山の歌」「イム(あなたの)のための行進曲」「光州出征歌」などは、80年5月の光州事件をモチーフとして作られたものである。また85年以降は労働者の生き様を表現するような歌も登場するようになった。
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