80年代以降のパゴーヂ・ブーム
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「ベッチ・カルヴァーリョ」の記事における「80年代以降のパゴーヂ・ブーム」の解説
また、Cacique de Ramos(カシーキ・ジ・ハモス、ハモスの酋長)というブロコ・カルナヴァレスコにも足しげく通い、一緒にカーニバルのパレードに出たりしていた。このことから当時カシーキ・ジ・ハモスにあったコンジュント、フンド・ジ・キンタルや、そのメンバーだったジョルジ・アラガゥンやアルミール・ギネトなどと知り合う。 サンバには、リオのカーニバルのような年1度に開く大規模なものと対照的に、庶民の家の裏庭でホームパーティーを開いて歌われるものがある。これはPagode(パゴーヂ)といい、カーニバルに対して日常的なサンバであることから、“普段着のサンバ”などともいわれる。そして、このパゴーヂを演奏していたグループがフンド・ジ・キンタルであった。ベッチは1978年、“De Pé No Chão”で、まだ無名に近かったジョルジ・アラガゥンの曲を初めて紹介。以降の作品でも、そうした新進気鋭のサンビスタの作品を歌うようになり、また彼女のショーのバックミュージシャンとして彼らを多く起用し、世の中に広く紹介した。 しかし同年には、Funarte(フナルチ、ブラジル文部省付属芸術振興基金)のホールで、ネルソン・カヴァキーニョを讃えるコンサートが開かれ、彼と共に出演している(これは後に“ライブ・イン・マラニャゥン劇場”として1995年に日本国内で発売され、ベッチ自身もコメントを寄せている)。したがって、ベッチは伝統的・古典的なサンバを根底にしつつ、新しいサンバの息吹きであったパゴーヂにも目を向けていることは特筆すべき点である。
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