80年代以降のパゴーヂ・ブームとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 80年代以降のパゴーヂ・ブームの意味・解説 

80年代以降のパゴーヂ・ブーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/01 01:01 UTC 版)

ベッチ・カルヴァーリョ」の記事における「80年代以降のパゴーヂ・ブーム」の解説

また、Cacique de Ramos(カシーキ・ジ・ハモス、ハモス酋長)というブロコ・カルナヴァレスコにも足しげく通い一緒にカーニバルパレード出たりしていた。このことから当時カシーキ・ジ・ハモスにあったコンジュント、フンド・ジ・キンタルや、そのメンバーだったジョルジ・アラガゥンやアルミール・ギネトなどと知り合うサンバには、リオのカーニバルのような1度に開く大規模なものと対照的に庶民の家の裏庭でホームパーティー開いて歌われるものがある。これはPagode(パゴーヂ)といい、カーニバルに対して日常的なサンバであることから、“普段着サンバ”などともいわれる。そして、このパゴーヂを演奏していたグループがフンド・ジ・キンタルであったベッチ1978年、“De Pé No Chão”で、まだ無名近かったジョルジ・アラガゥンの曲を初め紹介以降作品でも、そうした新進気鋭サンビスタ作品を歌うようになり、また彼女のショーバックミュージシャンとして彼らを多く起用し世の中広く紹介した。 しかし同年には、Funarte(フナルチ、ブラジル文部省付属芸術振興基金)のホールで、ネルソン・カヴァキーニョ讃えるコンサート開かれ、彼と共に出演している(これは後に“ライブ・イン・マラニャゥン劇場”として1995年日本国内発売されベッチ自身コメント寄せている)。したがってベッチ伝統的古典的なサンバ根底にしつつ、新しサンバ息吹きであったパゴーヂにも目を向けていることは特筆すべき点である。

※この「80年代以降のパゴーヂ・ブーム」の解説は、「ベッチ・カルヴァーリョ」の解説の一部です。
「80年代以降のパゴーヂ・ブーム」を含む「ベッチ・カルヴァーリョ」の記事については、「ベッチ・カルヴァーリョ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「80年代以降のパゴーヂ・ブーム」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「80年代以降のパゴーヂ・ブーム」の関連用語

80年代以降のパゴーヂ・ブームのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



80年代以降のパゴーヂ・ブームのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのベッチ・カルヴァーリョ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS