鳩山由紀夫 首相(当時・左から4人目)に表敬訪問した代表チーム
2010 FIFAワールドカップ日本代表 (2010フィファワールドカップにほんだいひょう)は、2010年 に南アフリカ で開催されたFIFAワールドカップ のサッカー日本代表 である。
概要
メンバー選考
日本代表はアジア最終予選 グループAでオーストラリア に次ぐ2位となり、4大会連続ワールドカップ出場を果たした(2002年大会 は自国開催枠での出場)。2008年に急病のため退任したイビツァ・オシム から監督の座を引き継いだ岡田武史 は、初出場した1998年大会 以来2度目の大舞台での指揮となった。
国際サッカー連盟 (FIFA)が採用した新ルールでは、5月11日までに予備登録メンバー30人、6月1日までに最終登録メンバー23人を申請するという流れだったが、日本は締切り3週間前の5月10日の時点で最終登録メンバーを発表した[ 1] 。予備登録の7人は事前合宿にも参加せず、代わりに練習要員のサポートメンバー4人をチームに帯同した[ 2] 。
主力メンバーは2004年アテネ五輪 世代(29歳~27歳)と2008年北京五輪 世代(24~22歳)が中心となった。上の年代の黄金世代 に比べると国際大会での成績が見劣りするため、「谷間の世代」「谷底の世代」と冷評されていた[ 3] 。ワールドカップを経験している30歳以上の選手も7人おり、ゴールキーパー の川口能活 と楢﨑正剛 は4大会連続選出となった。候補に挙げられていた石川直宏 や香川真司 が最終登録から漏れる一方、岡田ジャパンでの実績が少ない矢野貴章 や、大怪我により半年間実戦から遠ざかっていた川口能活がサプライズ選出された[ 4] [ 5] 。
戦術変更
岡田の監督就任以来、日本代表は前線からのプレッシング でボールを奪い、素早く攻撃に転じるサッカーを目指してきた[ 6] (岡田はそのスタイルをハエ に喩えた[ 7] )。しかし、2月の東アジアカップ やその後の国際試合では得点力不足や守備の不安を払拭できず、岡田は本大会直前になって堅守速攻スタイルへのシフトを決断した[ 8] 。
フォーメーションを4-2-3-1から4-1-4-1へ変更。DFラインの前(バイタルエリア )に守備的MF(アンカー)阿部勇樹 を配置する。
先発メンバーの変更
ベテラン中澤佑二 (32歳)に替えて、中堅の長谷部誠 (26歳)を新キャプテンに指名。
アンカーシステムの採用は5月30日のイングランド 戦(テストマッチ)、本田の1トップ起用は6月10日のジンバブエ 戦(練習試合)が初めてであり[ 9] 、6月14日の初戦までに時間のない急造作業となった。
「出場状況」欄の「○」はフル出場、「 」は途中交代アウト、「 」は途中交代イン、「 」は獲得得点をそれぞれ示す。
「年齢」「所属クラブ」は、開会式が行われた2010年6月11日時点。
予備登録メンバー
サポートメンバー
スタッフ
試合結果
日時はすべて現地時間 (UTC+2 )。
グループ E
順
チーム
試
勝
分
敗
得
失
差
点
1
オランダ
3
3
0
0
5
1
+4
9
2
日本
3
2
0
1
4
2
+2
6
3
デンマーク
3
1
0
2
3
6
−3
3
4
カメルーン
3
0
0
3
2
5
−3
0
日本 vs カメルーン
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オランダ vs 日本
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デンマーク vs 日本
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決勝トーナメント
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脚注
外部リンク
1910年代
男子
1910年
1911年
1912年
1913年
1914年
1915年
1916年
1917年
1918年
1919年
1920年代
1930年代
1940年代
男子
1940年
1941年
1942年
1943年
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1945年
1946年
1947年
1948年
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関連項目
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1999年までは特別奨励賞、2000-2002年と星野,内山,福原,阿部は特別功労賞