2010年代の活動
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2010年2月、シングル盤『INORI〜祈り〜』をリリース。広島平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデル・佐々木禎子の甥佐々木祐滋が禎子と平和への想いを綴った歌で、クミコに歌って欲しいと申し出た[要出典]。4月に「週間HIT 演歌/歌謡曲 USENチャート」で1位を獲得。 当初は、広島出身でもなく原爆という難しい内容を扱った歌「INORI〜祈り」を自分が歌ってよいものか悩み一度は断った。しかし依頼してきた佐々木は被爆二世で「こんな青年を未だに不安にさせる一個の原爆の怖さ、そしてそのことを後世に伝えたいという佐々木の熱い気持ちに、私の歌で伝えていく手助けになれば」と依頼を引き受けた。 2010年に初めて『NHK紅白歌合戦』に出場し、「INORI〜祈り」を歌唱。 2011年4月、NHKラジオ「ラジオ深夜便」の「深夜便のうた」で新曲「合歓の孤悲」(ねむのこい)が採用された。 1980年代からの活動からシャンソン歌手と形容されることもあるが、レパートリーにはシャンソンより、オリジナル、戦前戦後の日本と世界の歌謡曲やポピュラーソングが多い。2013年日本コロムビア・レコードに移籍、理由について同社はかつての歌謡曲版権を数多く保有し、それを取り上げ自由に歌う(録音して発表する)ことが出来るメリットを挙げている。 2011年3月11日の東日本大震災発生時は、石巻市民会館におけるコンサートのリハーサル直前で、同会館の地下控え室にいた。その後、津波が押し寄せてくる中で、ホール近くにある裏山へ命からがら避難して助かったことをブログやインタビューで明らかにしている。機材は全て失われ、身一つで日本海側経由で東京に戻ったという。
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2010年代の活動
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2010年度から法政大学で非常勤講師を務める。 2010年5月、参議院選挙に国民新党公認の比例代表候補として立候補することを発表。6月、大相撲の木瀬親方が土俵下の「維持員席」(いわゆる「砂かぶり」の席)を暴力団組長に手配していたとされる問題に関連して、2009年9月の大相撲秋場所4日目に、砂かぶり席で江本が暴力団組長2人と言葉を交わしながら相撲観戦しているところをNHKの中継カメラに捉えられていたことが報じられた。これについて江本は「議員になった暁には、この問題を文部科学省の委員会にかけて、相撲協会の正常化を訴える」などと釈明した。7月、参議院選挙落選。選択的夫婦別姓制度導入に反対していた[要出典]。 2015年10月26日、来シーズンから四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスで総監督(現場指揮をおこなう監督とは別)に就任することが決定した。 2017年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。2018年1月29日に「叙勲受章祝賀会」が行われ鳩山由紀夫、原辰徳が祝辞を述べ、乾杯の音頭はアントニオ猪木が取り、司会は松本秀夫が務め、金田正一、野村克也、川淵三郎、森喜朗、周防郁雄、山本浩二、谷沢健一、上田次朗、佐々木主浩など球界、政界、芸能界から約650名が出席した。
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