2010年代の経営危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/17 09:12 UTC 版)
「東部グループ」の記事における「2010年代の経営危機」の解説
2009年、唐津市に一貫製鉄所を建設した東部製鉄であったが、景気減退による需要減と中国製鉄鋼との価格競争に敗れ、2014年には2兆6000億ウォンの負債を抱えることとなった。2014年7月に迎える社債の償還が困難となった。東部グループは東部製鉄の自主経営を断念し、韓国産業銀行など債権団の管理下にゆだねることとなった。この時点で、グループの負債額が自己資本の4倍を超えており、過剰債務の企業がグループの系列51社中24社を占めていた。 半導体を生産する東部ハイテクなど好況に恵まれた企業もあったが、グループの中核であった東部建設も事実上倒産。2017年には、創業家出身のグループ会長、金俊起(キム・ジュンギ)が女性秘書からセクシャル・ハラスメントで訴えられたことにより辞任するなどの混乱も生じた。 東部製鉄については売却先探しが難航したが、2019年6月13日、KGグループとプライベート・エクイティ・ファンドが組んだコンソーシアムが第三者割当増資3,600億ウォンを引き受ける契約を結んだことを発表した。
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