2004年 - 2017年 (J1)
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「アルビレックス新潟」の記事における「2004年 - 2017年 (J1)」の解説
J1昇格後も2005年まで反町が指揮を執った。昇格1年目の2004年はエジミウソン、ファビーニョらブラジル人を中心としたカウンター戦術で、2ndステージで4連勝をマークするなど一時上位争いを展開し、最終節を待たずに残留を決めた。また、新潟県中越地震の影響(余震及びスタジアム駐車場が自衛隊の前線基地となった)により、10月、11月に予定されていた新潟スタジアムでの2試合は、国立霞ヶ丘競技場陸上競技場、平塚競技場で代替開催された。代替開催も新潟サポーターは県内から多数駆け付け、手製の横断幕を持って応援した。地震直後の試合となった柏レイソル戦では試合前に会場全体で黙とうが捧げられた。 2006年から2009年までの4年間は鈴木淳が監督を務めた。鈴木はマルシオ・リシャルデスや矢野貴章らを中心とした攻撃的なチームを作り上げ、2007年にJ1昇格後最高順位となる6位の成績を残した。また、この年には矢野がクラブ初の日本代表に選出され、3月24日に行われたペルー代表戦で初キャップを記録した。中心選手だったエジミウソン、坂本將貴らが移籍した2008年は残留争いに巻き込まれるが、2009年には4-3-3の攻撃的なフォーメーションを敷いて上位争いに顔を出した。 鈴木の後任にはヘッドコーチから黒崎久志が昇格し、2シーズン連続でJ1残留に成功した。2010年は11試合連続無敗のクラブ記録を作り、その間2004年以来6シーズンぶりに4連勝を記録した。しかし黒崎の在任中、前述した矢野、Jリーグベストイレブンに選出されたマルシオ をはじめ、代表経験のある酒井高徳、曺永哲等、多くの主力選手が国内外へ流出し、2011年終盤から得点力不足に悩まされた。2012年は開幕から3連敗を喫するなど降格圏内に沈み、黒崎は2012年5月に辞任した。シーズン途中での監督交代はクラブ史上初のことだった。黒崎の辞任後、2011年までジュビロ磐田の監督を務めていた柳下正明が監督に就任し、チームは薄氷のJ1残留に成功した。残留争いは最終節までもつれ、新潟が勝利してもなお自力での残留は困難な状況の中、最終節で勝利。残留を争うヴィッセル神戸とガンバ大阪が共に敗れ、逆転で15位に浮上してJ1残留を果たした。最終節に至る経緯は「2012年J1最終節」が詳しい。 J1連続在籍10年目を迎えた2013年は川又堅碁の活躍とともに夏場から調子を上げ、J1残留を決めた第30節から最終節までクラブ新記録となる5連勝を記録し、3年ぶりの1桁順位となる7位でシーズンを終えた。翌28日には2014年も柳下が引き続き指揮を執ることが発表された。 2014年はw杯の中断期間まで7位であったが、金珍洙、川又堅碁の退団やけが人の影響もあり12位で終了。 11年振りに2ステージ制に戻された2015年は終盤まで残留争いに加わってしまうものの、最終的に年間15位で残留を決めた。Jリーグカップでは、クラブ史上初の決勝トーナメントに進出し、ベスト4の成績を残した。シーズン終了後に柳下が監督を辞任した。 2016年は前年柏の監督だった吉田達磨が監督に就任した。開幕戦となった湘南戦は勝利を飾ったものの、次節で早くも守備の脆さが出て大敗。それから成績が振るわず1stステージを13位で終える。2ndステージも開幕4連敗を喫するなど波に乗れない(レンタルで3人放出したにも関わらず補強が無かった事による戦力不足に加え、怪我人が多発した事も響いた)。残留争いの直近の相手である甲府・名古屋に敗戦し、降格圏内まで勝ち点差1に詰め寄られた事が決定打となり、9月27日に吉田監督以下コーチ陣は4試合を残しての解任となった。後任はコーチを務めていた片渕浩一郎が就任した。その後残留争いは最終節までもつれた。勝てば残留という状況の中、広島戦も敗戦を喫し勝ち点で名古屋と並んだものの、得失点差で上回りかろうじて年間15位で残留を果たした。年間勝ち点30での残留は現行の18チーム制になってからは史上最少の記録である。 2017年は、前年長野の監督であった三浦文丈が新監督に就任 するも開幕からリーグ戦10試合で僅か1勝と低迷。第10節の川崎戦で敗れ、試合後に三浦が辞任。後任に呂比須ワグナーを招聘した。 呂比須の初陣となった第12節札幌戦でリーグ2勝目を挙げたが、その後はリーグ戦16試合勝ち無しとクラブワースト記録を更新するなど低迷してしまった。11月17日、第32節の甲府戦には勝利したものの、他会場の結果により昇格14年目にして初のJ2降格が決定した。最終的には第29節のG大阪戦から5勝1分と復調し17位で終了。シーズン終了後、呂比須の退任と神田勝夫強化部長の退任が発表された。監督の後任には鈴木政一に内定した。
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