2人に死刑判決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:42 UTC 版)
「北九州市病院長殺害事件」の記事における「2人に死刑判決」の解説
1982年3月16日に判決公判が開かれ、福岡地裁小倉支部(佐野精孝裁判長)は両被告人(SおよびY)にいずれも死刑を言い渡した。 福岡地裁小倉支部 (1982) は事実関係について多くの面で、被告人Yの主張を基本とした検察官の主張を採用し、犯罪計画の発案・殺害行為ともに、2人の共同行為と認定した。一方、Aをあいくちで斬りつけた人物については、両者の供述や死体の鑑定結果から検討。「Sが斬りつけた」という検察官の主張を退け、「Aは左斜め後方から斬りつけられているため、Aにとって見知らぬ人物だったSではなく、Aと事件前から面識のあったYが斬りつけたと認められる」という判断を示した。その上で、Aの死因についても、検察官の「あいくちで重傷を負い、大量出血で衰弱したところを首を絞められ窒息死した」という主張を、「解剖鑑定から、窒息死したことを証明するものはない」として退け、「負傷の失血が首を絞められたことで加速されたと取るべきで、死因は傷害による窒息死である」と認定したが、「(Aに対する2人の)殺意は明らか」として、死因に関する判断を両者の量刑に影響させることはなかった。 両被告人の役割(刑事責任の程度)については、「2人ともそれぞれ自己の動機を実現するため、意欲的に犯行に取り組み、互いに案を積極的に出し合って計画を練り、実行行為も大半を2人で共同して行った。Sに幾分主導的な側面が見られるが、Yは被害者を誘い出して傷害を負わせ、首を絞めるなどして直接死亡の原因を作った」と指摘し、「被告人両名は正に車の両輪となり互いに助けあって右犯行を遂行したものというべく、その刑責に逕庭はないといわねばならない。」と判示した。 情状については、「犯行は、2人が完全犯罪を狙い、金を奪う方法や隠蔽工作など、周到な準備をした上で実行におよんだもの」と計画性を強調した上で、「必死の哀願を尻目に、苦しんでいる被害者を放置した上、さして迷わず殺し、遺体を切り刻んで塵芥のごとく海に捨て、得た金は酒食に使った。まれに見る冷酷かつ残忍な犯行だ」「2人とも相当の収入があったのに、遊惰な生活を夢見て一攫千金を図った。動機に酌むべきものはない」と指摘した。また、事件後に2人が隠蔽工作を図ったり、さらなる犯罪計画を立てたりした点、法廷で互いに自己の主導性を否定した態度について、以下のように判示した。 犯行に使用したあいくち、解体道具、被害者の持物等を種々の場所に投棄し、人を頼んで被害者の血で汚れた絨毯を3度にわたり張り替えるなどあらゆる隠蔽工作をなし、捜査機関から嫌疑をかけられていることを察知するや、被告人両名で善後策を相談し、自白さえしなければ嫌疑不十分で無罪に持ち込めるという目算のもとに互いに自白しないことを誓い合い、更には捜査が難航しているとみるや大胆不敵に他の数件の多額な現金強取の計画を立てて下準備にも着手し、あまつさえ悲嘆にくれている被害者の遺族から被害者の未発見の頭部の存在場所を教えると称して金員を巻き上げることまで相談している有様で、被告人両名には人間性を認める余地は乏しく、その倫理観の欠如と犯罪性向の深さには底知れぬものがあることが窺われ、また捜査機関に逮捕された後も頑強に犯行を否認し続け、最終的にはもはや逃れられないものと観念して自白するに至ったものの、被告人両名の各自白たるや数々の不自然、不合理な点があり、全てをありのままに供述したものとはとうていいえず、互いに自己の刑責を少しでも軽くするため真実と虚偽とを巧みにおりまぜて供述し、相互に相被告人が主謀者で自らはこれに引きずられたものであるという印象を与えることに専念し泥仕合を演じているのであり、いずれもいまだ己の罪の深さに十分思い及んでおらず、反省悔悟の情に欠けるところがあるといわざるを得ない。 — 福岡地裁小倉支部 (1982) 、 そして、被害者Aに落ち度がないこと、遺族が極刑を望んでいること、社会への影響が大きいことを挙げ、「2人は写経に励んでおり、さしたる前科もないが、死刑が人間の生存権を奪うことを慎重に考慮しても、犯行の重大性からして極刑をもって臨むしかない」と結論づけた。 被告人Yは3月17日に、被告人S(量刑不当を主張)も翌18日にそれぞれ福岡高等裁判所へ控訴した。
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