2人に死刑求刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 05:26 UTC 版)
「名護市女子中学生拉致殺害事件」の記事における「2人に死刑求刑」の解説
1998年2月10日に、那覇地裁(林秀文裁判長)で論告求刑公判が開かれ、検察官は2被告人に死刑を求刑した。沖縄県内での死刑求刑は当時、暴力団抗争・2警官殺害事件(1997年10月に無期懲役判決)以来だった。 検察官は論告で、両被告人の主従関係や、犯行行為の役割分担について、「2人の罪に責任の軽重はなく、同等である。Uの『主犯はYで、自分は従犯だった』という主張は卑劣な弁解で、犯行態様から見れば決して従属的な立場ではなかった」と、殺意や計画性についても「拉致から死体遺棄まで、当初の計画通りわずか2時間半で終了しており、極めて計画的な犯行」「捜査段階での自供通り、両被告人とも事前に殺害を計画していた。公判で2人が『殺意は突発的だった』と主張を翻したのは、罪の軽減を狙ったもので、反省も見られない」と主張した。また、Yの弁護人が自首の成立を主張した点についても、「Yは出頭した時点で殺害について供述しておらず、沖縄に連行された後、取調べ中に自白したのであって、自首は成立しない」と主張した。その上で、犯行を「何の落ち度もない非力な少女を狙って殺害した最も極悪非道な部類に属する犯罪で、その罪質は極めて凶悪・重大」と非難し、動機に酌量の余地がない点や、遺族の被害感情の峻烈さ、そして教育現場・県民全体に与えた多大な衝撃などについても言及し、「罪刑の均衡、一般予防の見地からも、永山判決やその後の最高裁判例が示した死刑選択の基準からも、極刑をもって臨むしかない」と結論づけた。 次回公判(同月24日)で弁護人の最終弁論が行われ、第一審の審理は結審した。両被告人の弁護団は、それぞれ殺害の計画性を否定した上で、「殺害・死体遺棄については、計画性がないなど、情状酌量の余地がある」と主張し、死刑についても、「永山判決」以降、被害者1人で死刑が確定した事例は、強盗殺人や身代金目的誘拐殺人、被告人に重大前科があった場合などに限られていることを挙げ、「最高裁が示した死刑選択の一般的基準に照らし、死刑選択は許されないケースである」「死刑制度は公権力による殺人であり、憲法違反」などと主張。このほか、Yの弁護人は、殺害・死体遺棄に関して自首が成立する点、両被告人の立場が対等であった点を主張した一方、Uの弁護人は「Uは終始Yに従属的で、殺害直前までその意思はなかった」と主張した。最終意見陳述で、両被告人はそれぞれ被害者や遺族への謝罪の言葉を述べた。
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