塩
『藺草(いぐさ)ずきん』(イギリスの昔話) 娘が「肉に塩がなくてはならないと同じくらい、父を大事に思う」と言ったために、追放される(*→〔追放〕1b)。娘は大きな屋敷の女中になり、やがて屋敷の若主人と結婚して、披露宴に大勢を招く。娘の父も、花嫁が誰か知らずに出かける。宴席の料理には塩が入っていなかったので、味気なく、とても食べられたものではなかった。父は塩の大切さを知り、娘がどれほど自分を思っていてくれたかを悟って泣く。
『絵本百物語』第4「塩の長司」 加賀の国・小塩の浦に住む塩の長司は家が富み、馬3百疋を所有していた。彼は悪食で、馬が死ぬと、肉を味噌漬けや塩漬けにして食べていた。ある時、生きている老馬を打ち殺して食ったところ、老馬の霊が毎日来て、長司の口から腹中へ入り込み、ひどく苦しめた。医療も祈祷も効果がなく、百日ほどを経て長司は、馬が重荷を負うような格好をして死んでしまった。
『百喩経』「愚人が塩を食べた喩」 愚人が他家を訪れ、主人から御馳走をふるまわれる。味が薄くて、おいしくなかったが、主人が塩を少し加えると美味になった。愚人は「料理がうまくなったのは、塩のおかげだ」と考え、塩だけをたくさん食べた。すると口中が不快で、具合悪くなってしまった。
★2.塩を運ぶ。
『イソップ寓話集』(岩波文庫版)180「塩を運ぶ驢馬」 驢馬が、塩を山のように背負って川を渡る。足を滑らせて転んだので、塩が溶けて流れ、驢馬は身軽になった。その後、海綿を背負って川にさしかかった時、驢馬は「水にはまったら荷が軽くなるだろう」と考え、わざと転ぶ。海綿は水を吸っていっそう重くなり、驢馬は溺れて死んだ。
『列王記』下・第2章 エリコの町の人々が「この町は水が悪く、土地は不毛です」と、神の人エリシャに訴えた。エリシャは水の源へ出かけ、塩を投げ入れて、人々に告げた。「主(しゅ)はこう言われる。『わたしはこの水を清めた。もはや死も不毛も起こらない』」。エリシャの言葉どおり、水は清くなって、今日にいたっている。
★4.「塩」という言葉を嫌う。
『日本書紀』巻25孝徳天皇大化5年3月 蘇我造媛(そがのみやつこひめ)の父・山田大臣(やまだのおほおみ)は、物部二田造塩(もののべのふつたのみやつこしほ)によって、斬首された。そのため蘇我造媛は、「塩」という言葉を聞くのを嫌った。近侍の者は、「塩」の語を口にすることを忌み、呼び名を「堅塩(きたし)」と変えた。
『イシスとオシリスの伝説について』(プルタルコス)32 エジプト人の中にも、オシリスの死の神話について(*→〔棺〕1a)、「オシリスとはナイル河であり、テュポン(=セト)は海で、その海へとナイル河が注いで、散って見えなくなるのだ」と解釈する人がいる。それゆえ祭司たちは、海の穢れにふれないように気をつけ、塩を「テュポンの吹いた泡」と呼ぶ。彼らは、食卓に塩を置くことも禁じられている。
『弟子』(中島敦) 孔子の弟子・子路は、衛の政変の折、2人の剣士を相手に闘い、全身膾(なます)のごとくに切り刻まれて死んだ。子路の屍は醢(ししびしお=塩づけ)の刑にされた。それを聞いた孔子は、家中の塩漬類をことごとく捨てさせ、爾後、醢はいっさい食膳に上さなかった。
『鉄腕アトム』(手塚治虫)「ゲルニカ」 科学者が、カタツムリを牛ほどに巨大化させて食用にしようと考え、「ゲルニカ種」と名づけて飼育する。しかし多数のゲルニカが檻を破って逃げ出し、都市を襲う。ゲルニカたちには、大砲も爆弾も歯が立たない。アトムが、あることを思いつき、空を飛んで白い粉をまく。たちまちゲルニカたちは溶けて縮んで、全滅する。アトムがまいた白い粉は、塩であった。
*酒を注いで怪物を退治する→〔酒〕1aの『捜神記』巻11-8(通巻270話)。
*海水の塩分→〔海〕1の『海の水はなぜからい(塩引き臼)』(昔話)・『パンタグリュエル物語』第二之書(ラブレー)第2章、→〔兎〕3の『古事記』上巻(稲葉の素兎)。
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