魔術論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 05:48 UTC 版)
魔術と神秘思想は本作の大きな部分を占めている。評論家夏目房之介は「最後の殺人に向かって徐々に異常をきたし、ついに幻視から実際に時空を超えてゆく圧倒的な描写」を「圧巻」と呼んでおり、翻訳者柳下毅一郎はガルの魔術的行為が描かれる二章を「白眉」としている。 作者ムーアは実人生でも「魔術師」と名乗って魔術を実践していることで知られる。そのきっかけとなったのは本作の執筆だった。作中、主人公のガルは「議論の余地なく神々が存在する場所、それは我らの精神の中だ」というセリフを口にする。ムーアは自分が書いた言葉が真実を言い当てていると感じ、一つの啓示と受け取った。40歳を目前にして、ムーアは自身の思想を根底から再構築し、その中心に魔術と神秘学を置くことになる。共作者キャンベルの説明によると、ムーアが悟ったのは神の実在あるいは不在といったことではなく、想像力の至上性だった。ムーアが言う魔術とは象徴を操る力のことであり、想像力が世界と相互作用する芸術という行為は魔術そのものだった。以降の作品には『プロメテア』(1999-2005年)を筆頭に魔術の要素が取り入れられるようになり、あるいは執筆それ自体が魔術の実践となった。この転回には、『ウォッチメン』や『フロム・ヘル』のような徹底した計算に基づく作風がいつか形骸化することを恐れていたムーアが新しい方法論を求めたという面もある。技術や論理よりも直感と感性に頼って「第四の壁」を破り、読者の深奥にアクセスするのがムーアの新しい目標となった。 ムーアの魔術的思考の特徴に非単線的な時間感覚がある。柳下によると、ムーアの世界観の中では象徴を通じた因果関係が時間の流れの双方向に伸びており、過去・現在・未来の事象が一体となって「現実のマトリックス」を形作っている。時間はムーアが執着していたテーマの一つで、過去作『ウォッチメン』でもすべての過去と未来を常に知覚しているキャラクター(Dr.マンハッタン(英語版))が登場していた。『フロム・ヘル』ではこの時間観がプロットの中核を占めており、物語の序盤で主人公ガルの友人ジェームズ・ヒントンの息子ハワードが唱えた数学的な時間理論(『第四の次元とは何か?』)が紹介される。それによると、時間は全体として一つの構造物であり、流れていくように見えるのは人間の知覚の限界でしかない。互いに無関係に見える一連の事象も、四次元世界の幾何学形状が三次元世界に落とした影である。作中の言葉によると歴史には「建築構造がある」。それを裏付けるように、作中でガルは未来の20世紀世界を幻視し、過去や未来の事件に干渉する。
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