騎兵隊指揮官とは? わかりやすく解説

騎兵隊指揮官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 07:34 UTC 版)

ジェイムズ・H・ウィルソン」の記事における「騎兵隊指揮官」の解説

1864年ウィルソン工兵から騎兵切り替えられた。1864年2月17日ワシントンD.C.騎兵局長任命された。ウィルソン優れた管理者であり組織者だったが、真の才能戦闘指揮官として示されることになったグラントウィルソン1864年5月6日に名誉少将昇進させ、フィリップ・シェリダン少将の下で騎兵師団長に任命したウィルソンオーバーランド方面作戦1864年のバレー方面作戦多く戦闘で、師団率いて大胆さ技能優秀さ示したウィルソンは、バージニア州ピーターズバーグに至る南軍ロバート・E・リー供給線を遮断するというグラント戦略実行するために、オーガスト・V・カウツ組んで事にあたったが、結果はうまく行かなかった。これがうまく行っておれば、リーピーターズバーグ捨てるしかなくなったはずだった。ウィルソンサウスサイド鉄道とリッチモンド・アンド・ダンビル鉄道線路破壊しスタントン川に架かるリッチモンド・アンド・ダンビル鉄道重要な鉄道橋破壊するために、騎兵による襲撃実行する命令受けた1864年6月22日、5,000名以上の騎兵16門の大砲率いて襲撃始まった。その襲撃最初3日間、ウィルソン騎兵隊60マイル (100 km) の線路剥がし列車2両と駅舎数か所を燃やした南軍W・H・F・"ルーニー"・リー少将北軍襲撃部隊追撃したが、効果無かった北軍大胆な襲撃はおよそ成功したかに見えたが、それまで障害となるものはなかったものの、スタントン大きな標的として立ちはだかった。この鉄道橋小さいが深いスタントン川にかっていた。南軍はその戦略的な重要さ感じ取っており、小さな砦を築いて、ベンジャミン・フェアインホルト大尉予備役296名を守備隊置いた地元老人少年志願兵による勇気ある抵抗に、周辺郡部からの援助もあり、守備隊総勢は1,000近くとなり、5,000名の武装整った部隊攻勢防いだウィルソン騎兵隊下馬して戦った。この戦闘終わりに"ルーニー"・リー騎兵隊到着しウィルソン部隊潰走させた。この敗戦なければ輝かしいものだったはずのウィルソン経歴を傷つけたという考え方がある。 しかし、1864年10月シーダークリークの戦いシェリダン決定的な勝利を挙げる前にウィルソン志願兵の名誉少将上げられ、再び西部戦線転籍となり、シャーマンの下でミシシッピ軍管区騎兵隊となったウィルソン騎兵隊長としてシャーマン騎兵隊ジャドソン・キルパトリック准将指揮)を訓練しシャーマンの海への進軍繋げた。しかし、ウィルソンシャーマンには付いて行かず1864年11月12月フランクリン・ナッシュビル方面作戦で、ジョージ・ヘンリー・トーマス少将カンバーランド軍17,000名の騎兵と共に付けられた。第二次フランクリンの戦いでは、南軍ネイサン・ベッドフォード・フォレスト少将側面攻撃ウィルソン撃退したことが、北軍を救う推進力になったウィルソン南軍伝説的騎兵士官破った数少ない北軍士官1人になった12月ナッシュビルの戦いでの戦功により、正規兵の名誉准将昇進された。アラバマ州ジョージア州通過したウィルソンの襲撃率いフォレスト小部隊を破りアラバマ州 セルマ占領し、さらに要塞化していた4つ都市を落とすという成果上げた。この作戦ではアラバマ大学建物大半燃やした部隊指揮していた。1865年復活祭4月16日)、その部隊ジョージア州コロンバス占領し、これが南北戦争最後の戦闘になった広く認識されている。1865年5月ジョージア州中央部で、ウィルソン指揮下の騎兵同州内を逃亡中だったアメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィスとアンダーソンビル刑務所指揮官ヘンリー・ウィルツ大尉捕まえた戦後ジョージア州統治したウィルソン管理幾つかの場合啓蒙的だったと見なされている。歴史家I・Wアベリーはその著書ジョージア州の歴史1850年から1881年』の中で、次のように記している。 多くの点で北軍軍人は大変賢明に行動したウィルソン将軍はアイラ・フォスター将軍に、南軍ラバ、馬、荷車ハーネス渡して貧乏人に配らせ、メイコンJ・H・Rワシントン大佐にはフォスター将軍の行う分配助けさせた。 1865年6月24日一般命令31号で、ウィルソン将軍フォスターワシントン感謝の意示し、彼らの退役認め、その任務ミシシッピ軍管区騎兵軍団のR・カーター大尉任せた終戦時にウィルソン中佐の位に戻され新しく創設されアメリカ35歩兵連隊配属とされたが、その任務工兵司令部のままであり続け、それは1870年12月ウィルソン退役するまで続いた

※この「騎兵隊指揮官」の解説は、「ジェイムズ・H・ウィルソン」の解説の一部です。
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