騎兵隊の突撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 06:48 UTC 版)
2通の手紙を書いたとき、頭にあったのはそのときマンチェスターの全住民の生命と財産があり得る限り最大の危険に晒されているということだった。私はこの集会が大きな計画の一部に過ぎず、やがて国中で行われるだろうということを考えた。 “ ” ウィリアム・フルトン セント・ピーターズ・フィールドの隅にある住宅から様子をうかがっていた治安判事会の議長、ウィリアム・フルトンはハントが到着時に受けた熱狂的な反応を目撃し、行動へ移すよう駆り立てられた。フルトンはヘンリー・ハント、ジョゼフ・ジョンソン、ジョン・ナイト、ジェイムズ・ムーアハウス(James Moorhouse)の逮捕令状を発令する。令状を受け取った主任治安官のジョナサン・アンドリューズ(Jonathan Andrews)は演壇周囲に群衆が大挙しているため、執行には軍の支援が必要であるという見解を示し、フルトンはマンチェスター・サルフォード義勇騎兵団司令官のトーマス・トラフォード少佐(Thomas Trafford)とマンチェスター派遣軍司令官のガイ・レストレンジ中佐に書簡を送った。内容は同一で次の通りである。 閣下、治安判事会の議長として私は貴殿に速やかにマウント街6番地の治安判事が集結している家までお出で頂きたく思います。治安判事たちは公権力では平穏を保つには全く不十分だと考えております。 ウィリアム・フルトン この書き付けは待機していた伝令に手渡された。マンチェスター・アンド・サルフォード義勇歩兵団はほんの少し離れたポートランド街にて待機しており、書き付けを軍より早く受け取っている。彼らはすぐさま剣を抜き、セント・ピーターズ・フィールドへ急行していった。この間1人が追いつこうと必死で急いだところ、彼が乗っている馬がクーパー街でひとりの女性と衝突し、女性が腕に抱いていた赤ん坊が投げ出され、赤ん坊は命を落とす結果となった。2歳のウィリアム・フィルズ(William Fildes)はピータールーの最初の犠牲者だった。 マンチェスター・アンド・サルフォード義勇騎兵団の60名の騎兵は、地元の工場主でもあるヒュー・ホーンビー・バーリー大尉(Hugh Hornby Birley)に率いられて、治安判事の集まる住宅に到着した。いくつかの報告では彼らは酔っていたと言われている。主席治安官のアンドリューズはバーリーに、逮捕令状はあるが執行するには援護が必要だと知らせた。バーリーは弁士を排除できるよう演壇まで騎兵隊を進ませるよう要請を受けている。時刻はそのときおよそ午後1時40分だった。 特別治安官たちの間に設けられた演壇への通路は狭く、不慣れな馬たちは群衆の間をどんどんと突き抜けていき、威嚇したり飛び上がったりするため、人々は進路から逃れようとした。逮捕令状は治安副官のジョゼフ・ネーディン(Joseph Nadin)に託され、騎兵隊のあとからついていった。騎兵隊が演壇のほうへ押し進むにつれて、彼らは人の波にのまれて立ち往生するようになった。混乱の中で騎兵隊は自らのサーベルで人々に斬りかかり始めた。演壇に到達するとネーディンはハントとジョンソン、さらにその他記者のジョン・タイアスを含む多数の関係者を逮捕した。タイアスによれば、騎兵隊が群衆の間を進むことによって煉瓦や石を投げつけられるようになり、そのことが「全ての兵士の怒り」を買う結果となった。逮捕令状の執行という彼らの使命が達せられたにもかかわらず、いまや群衆によって持ち込まれた旗や幟を破壊し始めたのである。 セント・ピーターズ・フィールドの隅にある拠点からの観察で、ウィリアム・フルトンは徐々に明らかになる目の前の混乱が騎兵隊への攻撃であることに気付いた。レストレンジは1時50分に到着し、騎兵連隊に対して次のように述べて広場から群衆を追い散らすよう命じた。「閣下、連中が騎兵隊を攻撃しているのが分かりませんか?集会を解散させなさい!」 第15騎兵連隊は聖ピーター広場の東側に一列になって展開し、群衆に突撃した。同時にチェシャー義勇騎兵団も広場南側から突入している。当初、群衆は広場から逃げるのにてこずっていた。それというのもピーター街への主要な脱出口を第88歩兵連隊によって塞がれ、さらにそこには銃剣武装兵が待ち構えていたからである。第15騎兵連隊のある将校は「恥を知れ!恥を知れ!自制しろ!自制しろ!逃げられないじゃないか!」などと叫び、今や統制外の状態にあったマンチェスター・アンド・サルフォード義勇騎兵団を抑え込もうと試みていたと言われている。そのとき騎兵隊は「手の届く限りあらゆる人を切りつけていた」。 けれども、10分のうちに群衆は散り散りになり、11名の死者と600人以上の負傷者が出る結果となった。怪我人とその介助者、そして死者のみがその場に取り残された。近隣に住む女性は、自分が「おそろしく大量の血」を見た、と証言している。その後しばらくの間、通りでは暴動が発生していた。そのうち最も重大だったのはニュー・クロス(New Cross)でのことであり、軍隊は女性改革家の旗を土産に持ち帰ったと噂された人物の店を襲撃する群衆に発砲した。マンチェスターでは結局翌朝まで平穏が取り戻されることはなく、ストックポートとマクルズフィールド(Macclesfield)では17日まで暴動が続いた。その日にはまたオールダムでも大規模な暴動が発生しており、一人が撃たれて負傷している。
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