騎兵隊への復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 04:14 UTC 版)
「アール・ヴァン・ドーン」の記事における「騎兵隊への復帰」の解説
ヴァン・ドーンは騎兵隊指揮官としては有効であることが証明された。1862年12月のミシシッピ州ホリースプリングスでの行動で、ユリシーズ・グラントの第一次ビックスバーグ方面作戦を大きく妨害し、1,500名の兵士を捕虜にし、少なくとも150万ドル相当の北軍物資を破壊した。 ヴァン・ドーンは1863年3月5日のトンプソン橋の戦いでも成功した。このとき北軍ジョン・コバーン大佐の旅団がフランクリンを離れ南方の偵察に出た。スプリングヒルの約手前4マイル (6 km)で、コバーンは2個連隊からなる南軍を攻撃したが撃退された。ヴァン・ドーンはW・H・ジャクソンの下馬した部隊に直截正面攻撃を掛けさせ、一方ネイサン・ベッドフォード・フォレストの騎兵隊には北軍の左翼を回って後方に付かせた。ジャクソン隊は3度の突撃を撃退された後で、最後に北軍の陣地を落とし、フォレストはコバーンの輜重隊を捕獲し、唯一の逃げ道であるコロンビアに向かう道を塞いだ。コバーンは弾薬が付きかけてしかも包囲されており降伏した。 1863年3月16日、ヴァン・ドーンはブラクストン・ブラッグ将軍のテネシー軍で騎兵軍団の指揮を任され、4月10日の第一次フランクリンの戦いに参加し、北軍ゴードン・グランジャーの騎兵隊と小競り合いを演じて137名を失った。グランジャー隊の損失は100名程だった。この小さな戦闘を契機に、ヴァン・ドーンはその移動を止めて作戦を建て直し、その後スプリングヒル地域に戻った。
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