シャーマンの海への進軍 (1864年11月-12月)
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「西部戦線 (南北戦争)」の記事における「シャーマンの海への進軍 (1864年11月-12月)」の解説
詳細は「海への進軍」を参照 シャーマンのサバンナ方面作戦は一般には海への進軍と呼ばれている。シャーマンとグラントは、アメリカ連合国の戦争に対する戦略、経済および心理的許容力を決定的に打ち破った時に南北戦争が終わると信じた。それゆえにシャーマンは焦土作戦を基本とし、途中にある農作物を焼き、家畜を殺し、物資を消費し、公共の施設を破壊するよう兵士達に命じた。この方針は総力戦の戦略として鍵となるものである。 シャーマン軍は11月15日にアトランタを発ち、2隊に別れて約60マイル (100 km)を進軍した。右翼はオリバー・ハワード少将、左翼はヘンリー・スローカム少将が受け持った。この2隊が進軍した間の地域は破壊が凄まじく、何世代にも及ぶ住民の憎しみを作った。サバンナではウィリアム・ハーディ少将の指揮する約10,000名の守備隊が守っていた。長期の砲撃の後でハーディはサバンナ市を放棄し、シャーマン軍は12月22日に市内に入った。シャーマンはリンカーン大統領に次のような電報を打った。「私はクリスマスの贈り物にサバンナ市を進呈したい」
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