音楽性・主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/04 02:01 UTC 版)
彼らの曲の歌詞はすべてバスク語で書かれており、バスク語でのみ歌うことを選択していること、その活動方法や歌に込めたメッセージなどを通して、彼らは完全に政治運動に手を染めている。彼らのサウンドは、バスク・ラディカル・ロックとアメリカ合衆国のヒップホップのミックスであると定義することができる。バスク・ナショナリズム運動は、彼らの音楽性やメンバーの言動にも影響を与えた。バスクの人々はネグ・ゴリアックの存在を通じて、事実上完全な政治的・経済的・社会的・言語的な自治を楽しんでいるのである。メンバーのうち2人は、バスク語で意思疎通するために大人向けのバスク語学校(エウスカルテギ)に通った。これはバスク・ナショナリズム運動に対する強烈なメッセージであり、アイデンティティに関する言語の重要性の実証である。彼らはまた、トリキティシャ(ボタン式アコーディオン)など伝統的なバスクの楽器を音楽に取り入れている。 ネグ・ゴリアックの音楽は、アメリカ合衆国のヒップホップやアフリカ系アメリカ人のコミュニティに強い影響を受けている。アフリカ系アメリカ人に対してメッセージを広めるための好戦的なヒップホップの使用していたことで、もっとも大きな影響を受けたのはパブリック・エナミーだとしている。アフリカ系アメリカ人のコミュニティとバスク人は同様に虐げられ、彼らに自身の姿を見たとしており、バンドは彼らの弾圧に反対する活動も行っている。しかし、パブリック・エナミーがスペイン・ツアーを行った際、ネグ・ゴリアックはアメリカ合衆国から来たバンドが問題の原因に無知だったことに失望した。この時点でネグ・ゴリアックの人気は世界中で高まっていた。 スペイン政府への批判が露骨なネグ・ゴリアックの曲は、警察の残虐行為、教会などのスペインの機関、過去のフランコ政権を非難している。警察の残虐行為に関する「腐敗」という曲では、サン・セバスティアンの警察本部長を非難した。わずか数週間後、警察本部長は薬物の服用で有罪判決を受けた。このように、ネグ・ゴリアックは音楽を意見や自説の表現に用いるだけでなく、バスク州が置かれた状況の現実や、フランコ後のスペイン政府の限定的な警察についての若者への啓発にも使用している。フランコが既に死去したにもかかわらず、固有の言語や文化を参照してアイデンティティの感覚を若者に提供する形での誇りの表現を、バスク地方はいまだに必要としている。バンドは赤色の背景に交差した2本の斧が描かれたロゴを用いており、斧に1匹の蛇が巻きついているバスク祖国と自由(ETA)のシンボルとの関連を見いだす人もいる。このような好戦的なメッセージを持っており、バンドがマルコム・Xを含む多くの黒人政治運動家に心酔し、人種差別主義者の抑圧やヒップホップのような主流から外れた表現形式とのつながりを作っていることは驚きではない。 これらの理由から、ネグ・ゴリアックは若いリスナーに声を届けるためだけでなく、政治的急進性を持った政治声明を行うためにもヒップホップを使用している。『Esan Ozenki』というアルバムの『Napartheid』という曲(1990年)では、バスク文化やナバーラ地方のバスク人への差別を南アフリカでの合法化された人種差別システムに掛けている。さらにこの曲の歌詞では、「白人」をスペイン国家主義の恐怖や中央集権主義の象徴としている。アパルトヘイト政策とスペインの政治システムを結びつけ、不正義、人種差別、抑圧のテーマとして描いている。その後、この曲は制限的な機関に対する行動を求めている。これがネグ・ゴリアックの音楽の本質であり、問題に対する意識を形成するだけでなく、組織化や行動をも呼びかけている。このように、彼らは商業目的で音楽を作らない。彼ら自身の見解を表現する能力や彼らの言葉の効果が、音楽の選択の動機となっている。彼らのファンはその音楽を高く評価するだけでなく、彼らの政治的見解を世界中に広め、バスク・ナショナリズムから社会的抑圧や文化的解放についての普遍的なメッセージにまで広がった見解を認識している。
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