青森県重宝とは? わかりやすく解説

青森県重宝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/10 16:37 UTC 版)

櫛引八幡宮」の記事における「青森県重宝」の解説

建造物八戸小学校講堂明治記念館)(平成3年1991年3月13日外観意匠構成洋風であるが、架構小屋組伝統的な和風とする擬洋風木造2階寄棟造地元大工である関野次郎設計し、藩大工流れを汲む青木次郎棟梁として施工した。明治14年1881年8月八戸小学校(現八戸小学校吹上小学校前身)の講堂として堀端町建てられ同月24日には明治天皇奥羽巡幸に際して行在所とされた。昭和4年1929年)に小学校新校舎竣工伴って内丸の現八戸市庁前に移築され八戸市図書館として活用された後、昭和37年1962年)に保存目的として境内移築復原された。 工芸品 鰐口 応永十二年銘昭和46年1971年9月6日青銅で鋳られた鰐口で、鼓面を同心円状に三区に分け中央区菊花とも見え模様を持つ撞座とし、外区銘文を鋳出した銘帯とする。銘文年紀から応永12年1405年)の制作である事が判り、「守行敬白」らしき文字があることから、南部氏中興の祖といわれる三戸南部13代守行が奉納したものとされる日本刀 銘「備州長船幸光」(昭和46年9月6日備前国長船刀工、幸光の手になる鎬造庵棟の日本刀刃文丁子乱れ。「長船幸光」を名乗る刀工南北朝から戦国時代にかけて7、8名が存在するが、本刀作者裏銘の「永徳二年(1382年)」の年紀から最も早い者と推定されている。根城南部氏の光経が応永18年国宝白糸威鎧一緒に奉納したものという(『三翁昔語』巻の二。「祭祀節」の「流鏑馬」項も参照)。資料的、美術的貴重なものとされる彫刻 舞楽面9面(昭和46年9月6日納曽利還城楽げんじょうらく)、二の舞の尉と媼、貴徳散手2面陵王神事面(伝採桑老さいしょうろう))の9面。納曽利還城楽2面鎌倉時代後期の作で、材の本格的な作風から中央制作され可能性高く二の舞2面貴徳散手2面1面合わせて4面は、鎌倉末から南北朝時代にかけての作、その作風からは東北地方における制作とされる残り3面室町から江戸時代にかけての作。9面の伝来状況から、当宮では中世から近世にかけての長期間亘って盛んに舞楽演じられていたことが判る

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青森県重宝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 19:57 UTC 版)

高照神社」の記事における「青森県重宝」の解説

津軽信政着用具足1領(工芸品昭和31年5月14日江戸時代中期のもの。信寿寄進刀剣類11口(工芸品平成12年2000年4月19日明治10年藩祖為信合祀に際して旧家臣等から奉納されたもの。

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