雷と神話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 03:39 UTC 版)
古来より、雷は神と結びつけて考えられることが多かった。 ギリシャ神話のゼウス、ローマ神話のユピテル(ジュピター)、バラモン教のインドラは天空の雷神であり最高神である。北欧神話のトールも古代では最高神であった(時代が下るとオージンが最高神とされた)。マライ半島のジャングルに住むセマング族でも雷は創造を司る最高神であり、インドシナから南中国にかけては敵を滅ぼすため石斧をもって天下る神(雷公)として落雷を崇めた。 欧米ではカシが特に落雷を受けやすい樹木とされたのでゼウス、ユピテル、北欧神話のトールの宿る木として崇拝した。欧州の農民は住居の近くにカシを植えて避雷針代わりとし、また、犬、馬、はさみ、鏡なども雷を呼びやすいと信じたので雷雨が近づくとこれらを隠す傾向があった。 雷雨の際に動物が往々紛れ出ることから雷鳥や雷獣の観念が生まれた。アメリカ・インディアンの間では、その羽ばたきで雷鳴や稲妻を起こす巨大な鳥(サンダーバード)が存在すると考えられた。 日本神話においても雷は最高神という扱いこそ受けなかったが、雷鳴を「神鳴り」ということからもわかるように雷を神々のなせるわざと見なしていた。天津神の1人で天孫降臨の前に葦原中国を平定したタケミカヅチ(建雷命、建御雷、武甕槌)はそういった雷神の代表である。雷(雷電)を祭った神社に「雷電神社」「高いかづち神社」などがあり、火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)・大雷大神(おおいかづちのおおかみ)・別雷大神(わけいかづちのおおかみ)などを祭神としている。 日本では方言で雷を「かんだち」ともいうが、これは「神立ち」すなわち神が示現する意である。先述した稲妻の語源が示すとおり、雷は稲と関連づけられている。日本霊異記や今昔物語にあるように雷は田に水を与えて天に帰る神であったため、今でも農村では雷が落ちると青竹を立て注連縄(しめなわ)を張って祭る地方がある。 雷神は平安時代になると、天神の眷属神として低い地位を占めるようになった。 また、雷が起きると、落雷よけに「くわばら、くわばら」と呪文を唱える風習がある。これは、菅原道真の土地の地名であった「桑原」にだけ雷(かみなり)が落ちなかったという話に由来するとされる。平安時代に藤原一族によって流刑された道真が恨みを晴らすため雷神となり宮中に何度も雷を落とし、これによって藤原一族は大打撃を受けた。このとき唯一、桑原だけが落雷がなかったので後に人々は雷よけに「桑原、桑原」ととなえるようになったといわれる。菅原氏の流れをくむ公家に桒原(くわばら)家があり、菅原氏は「桑原」の地名を道真由来と考えていたことが伺える。 また、菅原道真関連の桑原以外にも、雷が落ちないとする話は各地に伝えられており、兵庫県三田市桑原の欣勝寺や大阪府和泉市桑原の西福寺などに残っている。 「くわばら、くわばら」と唱えるのは、桑の木が神聖な力を持つという信仰があったためであるとも考えられている。詳細は「クワ」を参照。 雷神は古くから美術に表現されてきたが絵では京都建仁寺の俵屋宗達筆の障壁画、元禄時代の尾形光琳の作など、彫刻では日光東照宮、京都三十三間堂などのものが有名である。
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